第十二話 公爵領の牧場にて

 フェバステイン公爵領は帝都からのんびり行って北に三日の位置にある。国境までは十五日くらい掛かるので結構帝都の近くにあるという事になる。のんびりなので三日なのであって、鮮魚を運ぶ高速便だったら二日。早馬なら丸一日で着くそうだ。


 領域はかなり広大で、海にも面しており、全部見ようと思ったら一日ではとても無理なのだそうだ。なので私とアクロード様は今回、移動に往復六日。領内の視察に十日という計画を立てた。


 道中の宿はその領地の領主の現地屋敷をお借りする。領主の方が駆け付けて歓待してくれた所もあったが、お部屋だけを整えて下さった場合もあった。私とアクロード様は気楽にお話をしながら、ゆったり丸三日掛けて公爵領に入った。


 フェバステイン公爵領の領都「ノラーブ」は、海沿いの港町である。かなり大きな都市で人口はなんと二十万人もいるらしい。漁業と貿易で栄えているということで、帝国でも屈指の大都市である。


 公爵家の現地屋敷は領都の陸側の外れにあり、一見何事かと思うような厳つい砦だった。灰色の石造りで飾り気は何も無く、高い城壁と防御塔が威圧的に訪問者を見下ろしている。


 これはこのノラーブの街はその重要性から、しばしば他国や海賊などの襲撃を受けてきた歴史があるからだそうで、街全体も高くて厚い壁に覆われて、港の入り口にも防御のための砦に挟まれている。ただ、この百年ばかりは平和だから心配しなくても良いとアクロード様は言っていた。


 外観は無骨な砦だけど、中は流石に公爵家。優雅な内装だった。五日前から先遣隊の侍女や侍従が来ていて、整備してくれているからピカピカだし何の問題も無い。私とアクロード様は到着したその日は新鮮な魚貝を使った料理を満喫し、バルコニーから海を眺め(私はこの時海を初めて見た)、楽しくお話をした。


 翌日は早速、牧場視察だ。私はいつも通りの早起きをして、やることが無いので砦の厩舎に行って馬を愛でていた。乗ってきた馬車の馬もいたし、乗馬用の馬も何頭か飼われていたからね。誰も見ていないここなら良いだろうと、馬房掃除や餌やりやブラッシングをさせてもらった。事情を知らない現地の牧夫は面白そうに笑って任せてくれたわよ。


 で、朝食を摂ったら馬車に乗り込んで牧場に向かう。帝都からの街道は舗装されていたけど、流石に領内の道路はガタガタで、馬車の乗り心地は極めて悪かった。これなら乗馬馬を借りて騎乗で来た方が楽だったわね。


 領都を出て二時間ほど馬車で揺られたら、アクロード様にもう目的の牧場に入ったと言われた。意外に近かったわね。私は馬車の窓から外を見たのだけど、外には確かに牧場っぽい風景が広がっているものの、牧柵以外に何も見えない。馬もいない。私が首を傾げているとアクロード様が言った。


「厩舎があるのは後二時間くらい行ったところだ」


 なんと! 領都からここまでと同じくらいの距離なんですか? それくらい牧場が広大だという事だ。物凄い広さだ。私はちょっとワクワクしてきたわよね。


 牧場の中心は普通に村だった。それはそうよね。この広さでは管理に何百人単位で人が必要な筈だもの。二十軒くらいの家が建っていて、その周りに厩舎が沢山取り囲むようにしてあった。


 村の中心に石造りの立派な建物があって、これが牧場事務所というか公爵家の別荘だった。私たちは牧場の管理をしているランバー男爵に出迎えられ、昼食を食べてから牧場視察に手掛けた。


 この途方もない広さの牧場では馬だけではなく牛や山羊、羊も育てているそうで、これらは帝都に食肉や乳製品、毛織物や皮革の原料として卸す他、領都の港から海外に輸出してもいるそうだ。


 馬は競争馬だけでなく乗用馬や農耕馬も生産しているけど、一番多く生産しているのは軍馬だそうだ。アクロード様が現役の軍人である事が示す通り、フェバステイン公爵家は代々軍事に重きを置くお家である。戦争となれば公爵領上げて帝国を支援する。その中には軍馬も当然含まれるのだ。


 軍馬だけで三百頭くらい飼育しているのだとか。それは凄い。それに比べれば競走馬の生産は小規模で、繁殖牝馬は十頭しかいないらしい。まぁ、競走馬の生産は半ば道楽だろうからね。実家くらいの経済規模だと重要な商品なんだけど。


 馬の飼育場は牧場中央からやや離れた所にあり、そこにも十件ほど家があった。厩舎も並んでいて、馬が出入りしていた。それを見て私はもう馬しか見えなくなる。


 私は馬車を降りると馬の方に駆け寄った。ただ、この時の私の格好は貴族の奥様風外出着。日焼けしないための大きな帽子も被っている。それほど機敏には動けない。


 こんなヒラヒラした格好で馬を驚かせるのも不味いしね。私は牧柵に寄って馬を観察した。大きな農耕馬、足が太くて丈夫そうな乗用馬、精悍だがガッチリした体格の馬は軍馬の一種だろう。軍馬と一言に言っても兵科によって必要な馬は違うからね。


 そしてその中に、一際スラッとした、磨き抜かれた鋼のような毛艶の馬がいた。競走馬。北の王国で改良されたランニングホースだ。


 公爵家では今の公爵閣下の前の代から、北の王国からランニングホースを輸入して馬の改良に取り組んでいるのだそうだ。前にアクドール様が仰っていたように、近年騎士が乗る軍馬にはスピードが求められるようになっているので、ランニングホースの血統を取り入れようとしているのである。


 うん、良い馬だ。恐らくは繁殖牝馬なんだろうけど、手入れも行き届いて大事にされている事がよく分かる。他の馬もよく肥えていて、表情も穏やか。公爵領の牧夫の腕は悪くないようだ。


 私とアクロード様は馬飼育の責任者であるという牧夫の案内を受けながら、競走馬の馬房へと向かった。ハイダンという五十歳くらいの牧夫で、流石に馬には詳しかったわね。


 ただ、そのハイダンが言うには「ランニングホースは扱い難くて大変だ」という事だった。


 ランニングホースは競走用の馬種であり、気性が荒い事が多い。勝負なので、最後は気力の勝負となった際、気が強い馬の方がどうしても強いからだ。


 ランニングホースの改良は、とにかく競馬に沢山勝った馬の子供を作り、それを更に競馬に沢山勝った馬と掛け合わせる事で行われる。そうすると、どうしても競馬に強かった気性の荒い馬の子孫が増えてしまうのだ。


 普通の馬、乗用馬や農耕馬は当たり前だけど人間に逆らうような馬は即刻処分されてしまう。そんな馬を使っていたら危ないもの。軍馬は敵に突撃して行くような兵科の場合は、気の強い馬が望まれる場合もあるみたいだけど。


 なので、ハイダンのように大人しい乗用馬や農耕馬を扱ってきた牧夫には、ランニングホースの激しさはちょっと持て余してしまうらしい。


 それは若馬の馴致場に行ってみてはっきりと分かった。私はうーんと唸ってしまった。これは、ダメね。


 なにしろ一歳の馬が暴れると、牧童の方が怖がって逃げてしまうのだ。運動前の散歩も怖くて出来ないらしく、早々に放牧場に追い払っていた。馬房でも大暴れで、大人しくするために餌を入れた飼馬桶を押し付けている始末だ。


 馬に舐められ放題ではないか。これでは馴致などろくろく出来まい。成る程ね。公爵城の馬場に送られてきた馬が我儘に育っているわけだ。


 この牧夫たちはランニングホースの扱い方を知らないのだわね。乗用馬や農耕馬を扱う要領でしか馬を育てた事が無いのだろう。軍馬もあんまり暴れる馬は処分して終わりなんだろうからね。


 ランニングホースは高価な北の王国から輸入した馬の子孫だし、処分は許されていないのだろう。それで、面倒が見切れないから放置する事になってしまっているのだと思われる。


 私はちょっと腹を立てた。ペーパロルドもこんな感じだったのかもね。それをあんなに良い馬に仕上げたケビンの腕への評価が上がったけど、このままでは私がこの先困る。


「ハイダン! 競走馬担当の牧夫と牧童を集めて下さい!」


 私が命ずるとハイダンは驚いた様子だったけど、彼は慌てて走って十数人の牧夫と牧童を集めてくれた。彼らは突然集められ、見た事もあまり無いであろう貴族夫人の前に跪かされて当惑を露わにしている。


 その前に私は堂々と立ち、彼らに言い放った。


「貴方達の馬の扱いは全然なっていません! これから私がお手本を見せるから、よく見ていなさい!」


 私の放言に若い牧童は唖然とし、年嵩の牧夫は眉を顰めた。そりゃそうよね。今の私の格好は馬には縁遠い貴族夫人だもの。


 私は一際気が強そうで、暴れている一歳馬を引き出させた。私は帽子を脱いでミミリアに渡した。少し曇っているとはいえ、顔を陽の下に晒すことにミミリアはいい顔をしなかったけど、馬が帽子に驚いたら困るから仕方が無い。


 私は枯れ草色の髪を靡かせ、水色の瞳を光らせて馬の前に立った。引き綱を牧童から受け取る。牧童は驚き戸惑っていたわね。


 私は引き綱を強く引いた。若馬は怒って前脚を振り上げる。周囲で牧夫達の悲鳴が上がったが、私は微動だにせずに馬を睨み付け、引き綱を引き絞った。


 すると馬はうぬぬぬっと言いたげな感じで前脚を下す。私が動かないので動けない。やがて落ち着いて動かなくなる。


 それを確認したら、私は綱を引いて馬を歩かせる。馬は仕方なさそうに付いてくる。そして二十歩も歩いたら私はピタッと立ち止まった。引き綱をグイッと引っ張って馬も止める。馬は怒ったが、私は勝手を許さない。ギュッと引っ張った引き綱で私の意思を伝える。


 すると馬は不承不承私の指示に従った。私はこれを何回も繰り返した。するとあれほど我儘だった若馬が見違えるように私の指示に従うようになったのだった。


 牧夫、牧童が大きく口を開けて驚いている。私は曳いていた馬を牧童に渡すと、彼らに向き直って言った。


「分かりましたか? 馬に好き放題させたら馬に舐められる一方ではありませんか! 馬よりも人間の方が偉いのだと覚え込ませなければなりません。出来るだけ仔馬の頃からね。それが出来るのは生まれた時から仔馬の面倒をみている貴方達だけなのですよ!」


 私のお説教に、牧夫や牧童は次々と跪いた。ハイダンも深く頭を下げて言った。


「お、仰る通りです! なんとも、不甲斐ない事で……。それにしても、見事な手際。一体貴女様は何者なのですか」


 私はミミリアに帽子を被せて貰いながらニッコリと微笑んで言った。


「元馬ぐるい令嬢にして次期公爵夫人。そして今後この馬牧場の責任者になる女。エクリシアです。よろしくお願いしますね」


  ◇◇◇


 結局、私はその日から牧場の別荘に泊まり込み、十日間みっちりと競走馬の馴致方法を牧夫達に叩き込んだ。


 本当は領地の他のところの視察にも行きたかったんだけどね。とりあえずレベルとはいえ、ランニングホースの扱い方を牧夫達に伝えるには、どうしても朝から晩まで牧場にいて、付きっきりで教える必要があったのだ。


 アクロード様は苦笑していたけどね。本当は私と海沿いの景勝地なんかでデートしたいと言っていたから。私がその事について謝ると、彼は楽しそうに笑って言った。


「君に馬を見せればこうなることぐらい予想はしていたからな。大丈夫だ。今後いくらでも機会はあるさ」


 公爵領の牧夫達は優秀だったので、教えればすぐにランニングホースの扱いを覚えてくれた。これまではなにしろ公爵閣下が大事にしている馬でもあったので、厳しく躾けて良いものかという懸念もあったらしい。もちろん私は虐待は許さないけど、しっかり躾けるようにと許可を出したわよ。


 馬だって人間の言うことを聞いて、きちんと扱われた方が良いに決まっているのだ。ブラッシングや装蹄なんかは馬には必須なのだけど、大人しく出来ない馬にはこれを丁重にしてあげる事が出来ない。結果、馬は病気になったり怪我をしたりする。あんまりな暴れ馬は処分しなければならない事だってあるのだ。


 きちんと人間が面倒を見ないと、馬は本当の実力を出すことが出来ないのである。そして馬が働いてくれなければ人間だって困る。馬と人間は持ちつ持たれつの関係なのだから。


 私がいる間に、牧場の競走馬の扱いは激変して馬の様子も変わってきた。これなら大丈夫だろう。次に公爵城に送り込まれて来る馬はきっとちゃんと馴致されているに違いない。


 十日後、私は牧場のみんなの歓呼の声に見送られて公爵牧場から帝都への帰路に付いた。なかなか有意義な旅行になったわ。


 牧場ではほとんどアクロード様とい一緒だったので(アクロード様は公爵閣下から仰せつかっていたお仕事をこなす為に一日だけ領都に戻っていた)、彼と久しぶりに親しく触れ合えた。以前に実家の牧場で過ごした時には単なる友人だったけど、今は婚約者だ。雰囲気が違う。イチャイチャしていると、牧場の子供達に囲まれてジーッと見られたりしていたわね。


 帰りの道中も三日、アクロード様と楽しくお話ししながら馬車に揺られ、私たちは帝都の公爵城に帰ったのだった。


 公爵城に入り、私とアクロード様は帰宅の挨拶のために公爵閣下の所に行った。私たちのお話を聞くために、今日は早くお帰りになっていたのだ。


 食堂に入り、食卓に付く前に公爵閣下にご挨拶をしたのだけど、明るい閣下にしては珍しく、少し不機嫌そうに眉を顰めていた。どうなさったのだろう。


 そして私とアクロード様が椅子に座ると、公爵閣下はそのムッとしたお顔のままこう仰ったのだった。


「皇帝陛下が、クラーリアをアクロードに譲れなくなった、と言っている」

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