第十話 アクロード様からのプレゼント

 婚約式の宴は大変だった。


 なにしろこれまで私は一部では馬ぐるい令嬢で通ってはいたものの、皇族方の間では全くの無名。知られていなかったのだ。


 それが次代の皇帝陛下の最側近だと期待されているアクロード様に、身分差を乗り越えて妻にと望まれたのだ。それはどんな女性なのかと興味を惹かれるに決まっているわよね。


 そのため、私は公爵閣下や公妃様達からは勿論。そのご家族からも質問攻めにあったのだ。幼少時の事からどんな事を学び、どのような事に興味があり、これからはどんな事をしたいか。


 多分、お貴族様らしいお返事をすれば良いんだろうな、とは思ったわよ。一通りの淑女教育を学びましたが、特にお芸術に興味を持って油絵が得意ですとか。次期公爵夫人になったからには、慈善活動に力を入れていきたいですとか。 


 まぁ、そんな嘘は私は吐けないわよね。正直に言ったわよ。私は馬が大好きです。馬にしか興味がありません。次期公爵夫人になっても馬の育成に関わる予定です。夢は帝国で一番強い馬を育てる事です。って。


 まぁ、皇族の皆様はオホホって笑って本気にはしていないようだったわね。お側にいるアクロード様もフェバステイン公爵ご夫妻も普通に笑っていたから。私が冗談を言っていると思われたのだろう。


 アクロード様の二人の妹君は「「エリー義姉さま!」」と既に私を呼んでくれて、彼女たちも私に質問しまくっていた。


 彼女達と他の年少の皇族の姫君達の興味は私とアクロード様の馴れ初めや交際エピソードに集中していて、夜の庭園で出会ったと話したら「ロマンチック!」と騒いでいたわよね。そんな感じでもなかったけどね。あれは。お互い幽霊かと思ったのだもの。


 皇族の年少の貴公子達はアクロード様を慕っていて、必然的に私へもちゃんと敬意を払ってくれた。アクロード様の婚約者である私に失礼などしたら、アクロード様がご機嫌を損ねる事は確実だろうからね。


 ただ、アクロード様と同年代の方々は男性も女性もあまり私に良い印象を抱いていないようだったわね。


 男性は私を見て「アクロード程の男なら、もっと相応しい令嬢を娶れただろうに」とか言ってたし、女性は「一体貴女のどこをアクロード様は気に入られたのかしらね?」みたいな事を仰っていた。それは私もそうは思うんだけど。


 どうも男性の方々は私の身分が低過ぎる事を問題視していたようで、女性は「私の方がアクロード様に相応しかったのに」と考えているようだったわね。そんな事を私に言われても困るんだけどね。


 特に皇太子殿下は私の事を明らかに「アクロードに相応しくない」と見なしていた。これは後日にご本人に聞いたんだけど、皇太子殿下には私が何の特徴もない女性に見えていたそうで、アクロードが何をもって私を妻に定めたのか分からない。私が何か怪しげな術でアクロードを誑かしたのではないか? とまで疑っていたのだそうだ。


 皇太子殿下はアクロード様を非常に信頼し、その有能さをある意味崇拝している程だったので、彼には並び立つに相応しい、輝くような女性と結婚して欲しかったらしい。……ただ後に、皇太子殿下が呆れたように言うことには「あのアクロードが普通の女性を選ぶ筈がなかった」という事だったわね。


 そんな感じで夕方には婚約披露の宴は終わり、私は公爵家の馬車にアクロード様と一緒に乗り込んで内宮を退出した。疲れた。


 いよいよ公爵家入りだ。と緊張するほど気力が残ってなかったわよもう。何しろ三回もお色直しでドレスを着替えたんだからね。私は馬車の中でアクロード様に寄りかかって思わずうつらうつらしてしまったくらいだったわね。


 公爵邸は帝宮から二十分ほど離れたところにある。帝宮がある丘とは違う丘に城壁を巡らしてあり、その広大な丘全が公爵邸らしい。……お屋敷というよりこの大きさではお城という方が相応しいわね。その規模は帝宮の三分の一程。ちなみに帝宮の敷地は信じられない程広く、帝都全体の五分の一くらいを占める。


 城門を潜って城内に入ったけど、そこは森の中で建物は全然見えない。しばらく走ると上り坂になる。すると左右に庭園が現れ、小さなお屋敷が何軒か見えた。歴代の公爵家の方がお建てになった別館だそうだ。そういう別館が公爵城内には沢山あるのだという。


 そしてもう一度城壁を潜ると丘の最上部に出る。そこには壮麗なお屋敷が夕日を浴びて、でーんと建っていた。薄い緑色の壁と真っ青な屋根。方々に金で飾りが付けられ、神様だか英雄だかの像が飾られている。そんな実家のお屋敷よりも遥かに大きな建物が四つぐらいくっ付いて建ってるのだ。


 帝宮にはあった高い尖塔や鐘楼は無いのだけど、これは帝宮は儀式の場でもあるのに対して、公爵城は完全な私的な邸宅だからだろう。


 ただ、公爵領の統治やその他の公爵家の事業のための事務所がいくつもあり、そのために働く家臣も沢山いるので、私的な邸宅とは言えどお役所みたいな機能もあるんだけどね。社交を開催することも多いし。


 馬車は壮麗な公爵城本館の玄関口で停車した。御者が踏み台を置いてくれるのを待って、アクロード様のエスコートを受けながら私は馬車を降りた。


「「お帰りなさいませ若君。いらっしゃいませエクリシア姫」」


 並んだ使用人、約五十人が一斉に私たちに綺麗に揃ったお辞儀をしてくれた。物凄い人数に顔が引き攣ってしまうけど、これでも公爵城の使用人の中でも最上位の者たちだけがここに来ているのだ。全体全員では一千人以上の人間がいるらしい。


 私とアクロード様の前に三人の人物が進み出た。長身だが細身の、銀髪の男性が頭を下げる。


「初めてお目に掛かります。エクリシア姫。私はクラバード。このお屋敷の侍従長を務めさせて頂いております。何なりとご用命くださいませ」


 続けて、しっかりした顔付きの、焦茶色の髪の女性が頭を下げる。歳の頃は四十歳前後か。


「ニルベニアでございます。侍女長としてお仕えしております。姫様のお世話は主に私達が致します。よろしくお願いいたします」


 最後に、私と同年代の女性が緊張も露わに頭を下げる。髪は黒髪で瞳も黒。少しソバカスがあるけどなかなか可愛い娘だ。


「ミミリアでございます、エクリシア姫の専属侍女を務めさせて頂きます。どうかよろしくお願い致します」


 私は頷いて言う。


「よろしくお願い致しますね。皆様」


「お疲れでございましょう。早速お部屋にご案内致します」


 ニルベニアが言う。うん、疲れた、とりあえずお夕食まで休ませてもらいましょう。ちなみに、この時はまだお父様とお母様は同行して、応接室に通されている。この後晩餐を共にしてお別れの予定だ。


 私がフラフラとニルベニアに付いて行こうとすると、私の肩がそっと掴まれた。見上げると、アクロード様が何やらご機嫌に笑って私の肩を抱いていた。なんでしょう?


「その前に、こっちに来てくれないか? 見せたいものがあるのだ」


 ……婚約者様にそう言われては仕方がない。私はしぶしぶ彼のエスコートに従って、お屋敷の中ではなく外の方へと歩き出した。


 庭園を過ぎると林の中に入った。気持ちの良い林の中だけど、正直、私はくたびれ果てているので、早くお部屋で休みたい。私が疲れている事はアクロード様にだって分かっている筈なのに、どうして休ませてくれないのかしら? お散歩は後にして欲しいわ。


 などと私が婚約者様に少し腹を立てていると、突然、林が切れて空が開けた。夕日に目を射られる。


 私は思わず目を擦って、開いて、そして目前に広がる光景に我が目を疑った。え……? 何これ?


 そこは広大な空間だった。概ね平らに整地されていて、そこに私の顔くらいの高さのある柵が巡らせてある。柵はずーっと続いており、その向こう側十メートルくらいにも平行に柵が設置されている。その間は芝がフサフサと伸びていた。そしてそこを、人を乗せた馬がゆっくりと走っている。


 ……どう見ても馬場だった。しかも、乗馬を運動させるような小規模なサークルではなく、結構大規模なコースだったのだ。一周は一キロメートルくらいはあるだろうか。


 え? 何これ。公爵城の中に競走馬調教用のコースがある?


 私の理解が追い付かずに呆然としていると、コースを走っていた馬が私に気が付いて、とっとこ歩いて寄ってきた。


「お嬢」


 騎手が声を掛けてきたので見上げると。


「レオック!」


 なんと、ロランの息子で、家の牧場で牧夫をしている筈のレオックだった。彼は真っ黒に日焼けした顔を綻ばせて笑っている。


「ど、どうしてここに! ここはなんなの?」


「それは……。おっと、それはアクロード様から話してもらった方が良いでしょうな」


 レオックは笑うと、馬を促してコースの続きを走っていった。よく見ると、あの馬も家の牧場の馬だ。


「ど、どういう事なんですか! なんでレオックが? 家の馬が? なんで? どうして?」


 私は驚きのあまりパニックになりながらアクロード様に詰め寄った。


 アクロード様は会心の笑みを浮かべたわよね。


「これが君へのプレゼントだよ。我が婚約者殿」


「プレゼント?」


「君のために造ったのさ。このコースは」


 は? 造った?


 アクロード様が言うには、公爵城に入れば、私は簡単には牧場には出向けなくなる。そうすると、私との約束、結婚後も馬に関わるという婚約時の約束が守れなくなってしまうだろうと考えたのだそうだ。


 それを解決するためには、城内で私が馬に関われる場所を造るしかない。アクロード様はそう考えたのだ。そのため、私から求婚の承諾を貰ったその日から、彼はこのコースの建設に奔走したのだという。


 元々この場所には別館が三つほどあり、大きな庭園もあったのだが、アクロード様は豪快にも全部ぶっ壊してしまった。中には有名な建築家が設計した建物や、名高い庭園もあったようなんだけど。


「婚約者のためならそんなもの惜しくもない」


 という恐ろしい理屈で全て破壊して更地にしてしまった。勿論、公爵閣下のご許可は頂いた上での行動なんだけど。


 そしてコースを建設すると同時に放牧場、厩舎も建設し、同時にお父様お兄様と交渉して、クランベル伯牧場から馬を移動する交渉をした。


 ロランの意見も聞いて色々検討した結果、競馬場に入る直前の馴致段階の馬をこの馬場には入れることにして、レオックを場長として引き抜いた。今後クランベル伯牧場では主に繁殖をして、馴致から競馬場に入れる前の調教をこちらで出来ればという話だった。


 私は呆然とした。な、なんて、なんてこと!


 なんて素晴らしいの!


 私は喜び、躍り上がり、思わずアクロード様に抱き付いてしまった。


 こんなすぐ側に馬場があるのなら、ほんの少しの休み時間に駆け付けて馬に乗れる。乗れなくても馬に触れ合い、レオック達に調教の指示が出せる。


 当分は馬に触る事も出来ないと思い込んでいたのだもの。私は狂喜したわよ。


 流石はアクロード様だ! 私の最愛の旦那様だ! こんな素敵な夫が二人といるだろうか? いやいない!


 ちなみに、この話はクランベル伯爵家への財政支援の言い訳にもなっているそうで、人や馬の移籍に関わる費用名目で、私の婚約のために作った借金を帳消しにするくらいの支援をしてくれたそうだ。


 先ほどまでの疲れはどこへやら、私は興奮してアクロード様の手を引っ張って馬場の施設を見て回った。


 馬場は芝が延ばされたコースだが、これは砂を敷き詰めたコースは見栄えが悪いため、公爵閣下と公妃様が芝にせよと命じたのだそうだ。それはそうよね。砂や土のコースだと砂煙もすごいしね。芝の方が管理は大変だしお金も掛かるんだけど、公爵家にとっては見栄えの方が大事なのだろう。


 放牧場は流石にそれほど広くは無かったが、他にも公爵城内をぐるっと巡る、馬が散歩出来る道も造ったのだそうで、馬が運動不足になることは無さそうだった。


 厩舎も新しく、広く、立派だ。これは公爵城内にある以上、訪れる人の目に入る可能性があるので、あんまり見すぼらしい建物には出来なかったからである。同じ理由で馬糞や汚れた藁は速やかに回収されて運び出され、公爵城内に残さないようにするのだそうだ。


 アクロード様は休暇の間にこれらの事を全て計画し、定め。それ以降も色々動いて実現したのだった。私のために。私との約束を真面目に叶える為に。なんという誠実な人なのだろうか。


 厩舎には見覚えのある馬が五頭ほどいて、クランベル伯牧場にいた牧童が三人ほど牧夫に昇格の上で来てくれていた。彼らはレオックも含めて公爵家お抱え、つまり私の家臣となる。


 その馬の中に一際立派な馬がいた。ガーナモントだった。黒光する神々しいまでの馬体。すっかり私に懐いている彼は私の登場に、喜んで鼻を擦り付けてきた。私も思わず高級なドレス姿であることを忘れてガーナモントの首に抱き付いた。


「ロランの話だと、そろそろ競馬に使えそうだという事だ。君がここで最後の調教をして調教師に預けるとしよう」


「なら、ケビンが良いですわ。あの調教師なら安心して任せられます」


 私は公爵家お抱えの調教師の名前を挙げた。あの不敵な猫背の男なら、しっかりガーナモントを仕上げてくれるだろう。


「そうするか。ではこの馬は公爵家で買い取ろう」


 後で聞いた話では、アクロード様はガーナモントをお父様から途方もない金額で購入したらしい。これも援助の一環だったのだと思う。でも、ガーナモントは後に、アクロード様に計り知れない利益をもたらす事になったので、結果的には安い買い物となったのである。


 真新しい馬場を日が暮れるまで見て回った私はもう感激のあまり目を潤ませてしまっていた。凄過ぎる。私はアクロード様の手を握って何度も何度もお礼を言った。


「ありがとうございます! 私は、私は帝国一の幸せ者ですわ! 大好きです。アクロード様!」


「喜んでもらえて良かったよ」


 アクロード様はそれは幸せそうに、嬉しそうに笑って仰った。


 アクロード様に、婚約者様にここまでされては、私も頑張らないわけにはいかないわよね。私は馬の事も勿論だけど、次期公爵夫人としての仕事も、アクロード様のために頑張ろうと決意したのであった。

 

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