第八話 アクロード様の事情

 私は随分後に、アクロード様に「私なんかのどこが良かったのか。いつ私を見初めたのか」と尋ねた事がある。


 するとアクロード様は麗しい笑顔を浮かべて仰った。


「そうだな。要するに一目惚れだな。なんだ。そんな胡散臭そうな顔をするな。嘘じゃないとも。まぁ、それだけでも無かったけどね」


 アクロード様はあの出会った夜、本当に疲れていたのだそうだ。


 彼は当時、騎士団の副団長として、国境と帝都を往復する生活をしていたのだ。東の隣国であるフロバール王国との関係が緊迫していて、既に小競り合いが何度か起こっている頃だった。


 なので国境で忙しく働いているのに、夜会の為に帝都に呼び戻された。仕方なく強行軍で帝都に帰ればそこは平和で何事もなく、お父上もお母上もアクロード様の顔を見ると「そろそろ結婚しろ。この令嬢はどうだ?」という話しかしない。


 夜会に出れば大勢のご令嬢に取り囲まれ、香水の匂いはキツく、誰も彼もみんなのんびりしている。国境の危機になど皆お構いなしだ。なんだかそのギャップにアクロード様は疲れてしまったのだった。


 今考えればちょっと根を詰め過ぎていたんだろうな、と仰る。小競り合いが起こっていたとはいえ、大規模ではなく、現地の守備兵でなんとでもなる話だったのだから、アクロード様がそれほど気を揉む事はなかったのだ。


 要するにアクロード様は真面目過ぎたのだ。騎士団のお仕事に打ち込み過ぎて他が見えなくなっていたのだろう。


 それで、我慢出来なくなり、こんなどうでも良い夜会にはいられない、すぐに国境地帯に戻ろう、と考え、夜会会場を出ようとして、公爵家のお付きの人に止められて(夜会を理由なく中座するなんて失礼な行為だからだ)、それでも出ようとして庭園で暗闇に迷った、という事らしかった。


 それで迷っている内になんだか自分が情けなくなってしまったらしい。大人しく夜会にもいられず、脱走にも失敗し、真っ暗な中途方に暮れているしかない自分とはなんと無能なのかと。そんな事でそんなに思い詰めるなんて、随分と精神が疲れていたんだろうね。


「その時突然君が現れたのだ。びっくりしたぞ。最初は薄黄色のドレスだけが花壇の中を漂っているように見えたからな」


 ……当時の私は肌が日焼けで真っ黒だったからね。闇に溶け込んで見えなかっただろう。


 しかしすぐに女性だと分かり、ホッとしたのだそうだ。アクロード様は丁度良いと考えた。一人で会場に戻るのはみっともないが、ご令嬢を伴えばそれはちょっと二人で席を外していた事になり、会場から姿を消した言い訳になる。


「……貴方が女性と逢引きしていたという事になったら、それはそれで大騒ぎになると思わなかったの?」


「思わなくもなかったが、やむを得なかろう」


 私以外のご令嬢だったらやむを得ないでは済まなかったと思うんだけど。


 それは兎も角、私とアクロード様は一緒に会場に戻る事にしたわけだけど、アクロード様は最初は私の事を少し警戒していたのだそうだ。


「私に付きまとう令嬢は本当に多かったっからな」


 そりゃ貴方は大人気でしたからね。彼と二人きりになるチャンスなんて滅多に無いんだから、この機会に彼との距離をなんとか縮めたいと思うに決まっている。私以外の令嬢だったならね。


 それが私は、彼の肘に手を掛けるのも遠慮がち、というかよそよそしくて、話す事は馬のことばかり。彼は呆れながらもホッとしたそうだ。


 ホッとしたせいかリラックス出来て、私と馬の話しをしながら会場に帰ると、すっかり冷静な自分を取り戻せていて驚いたらしい。


 それで、私の事が気になって、私が話の中ですっかり住み着いていると言っていた家の牧場にやって来たのだそうだ。


「その時はまだ、君が得意げに語った君の馬の育成方法が気になったのもあったな。半分くらいは」


 という事は、この時からすでに半分は私に会うために来ていたわけである。どうして私の事がそんなに気になったのかは、正直彼自身にも説明出来ないのだそうだ。まぁ、そういうものかも知れないわね。


 牧場で会ってみると、すっかり私は農民風の格好だし、やっている事は牧夫そのものだしで彼は呆れ果てたらしい。


「せっかくの君の美しい容姿が勿体無いと思ったな。でも、汚い格好で生き生きと働く君を見ていると、なんだかこっちまで元気が出てきた」


 牧場から戻ると、どうしても国境にいなければならないと、強迫観念を抱いていた事が嘘のように落ち着いて、帝都の騎士団事務所での仕事も軽々とこなせたのだそうだ。どうも私のいる牧場に行くのは精神安定に良いらしいとアクロード様は気が付いた。


 それで牧場通いを始めたのだけど、しばらくは牧場でのんびりしてリフレッシュしているのが良かったのか、私と一緒にいるのが良かったのか、よく分からなかったらしい。兎に角牧場で馬に乗る私を見ているだけで楽しくて、しまいには仕事の途中でも牧場に行くようになってしまったのだという。


「父には怒られるどころか喜ばれたがな。『私が若い頃は仕事など他に任せて女の所を泊まり歩いたものだ。男はそれくらい余裕があった方が良い』とか言っていた」


 公爵閣下は若い頃は随分とプレイボーイだったようだ。公妃様には内緒にしておいてあげましょう。今では改心して公妃様一筋みたいだから。


 そんな感じで私に対する好意が自分でもはっきり分からなかったらしいアクロード様だけど、それをはっきり自覚するようになったのは。


「ガーナモントを君が手なづけたのを見てからだな」


 アクロード様は、あの時も言っていたけど、ガーナモントを大人しくさせるのは無理だと思っていたらしい。彼は軍馬を扱った経験があるからね。軍馬には気性の荒い馬も多いから、その経験上の判断だった。


 それなのに私が「そんなに難しくない」とまで言い切ったから、随分大言壮語を吐くものだ、と少し腹を立てたらしい。


 しかし私は三ヶ月間を掛けて慎重に真剣に愛情を込めてガーナモントと向き合い、ついにガーネモントの心を開かせた。それはアクロード様にとっては衝撃的な事だった。


 彼は有能で、頭も良い。アクロード様の予測が裏切られる事は滅多にないのだ。それが、私のやる事は彼の予想を簡単に裏切ってくる。アクロード様にとってそれは驚きであると同時に喜びでもあったらしい。


「ガーナモントがみるみる君に心を開いて行くと同時に、私も君への好意をどんどん自覚した。そして、君が見事ガーナモントの背中に乗ってみせた時、私は君への求婚を決意したのだ」


 というわけで、アクロード様は私へのプロポーズを考えたわけなんだけど、当然、無策で私に「結婚してくれ」と言っても断られるに決まっている、と彼には分かっていたらしい。それはそうだろうね。


 それと、家柄の問題もある。伯爵家の三女と公爵家の嫡男では身分差が大き過ぎる。慣例では公爵家の嫡男なら侯爵家以上の長女を嫁にもらうものなのだ。彼が勝手に決めても公爵閣下や、皇帝陛下の御許可が頂けない可能性があった。


 なのでまず、私をお父上の公爵閣下とお母様である公妃様に合わせようと考えたのだ。


「父と母なら、君と接すれば君を絶対に気に入るだろうと分かっていたからね」


 どこからその自信は出てきたのか。ただ、実際にはアクロード様が結婚したいと言い出したら、公爵閣下は「それは良かった」と大いに喜び、相手が伯爵家の三女だろうが馬ぐるい女だろうが一切気にしなかったのだそうだ。心が広い。


 公妃様の方も身分のことは言わなかったようだけど、こちらは私の事をアクロード様が語れば語るほど不安そうなお顔をなさったそうだ。さもありなん。


 ペーパロルドを見せる事を口実にホイホイ誘い出された私と公爵閣下を対面させ、公爵閣下の正式なご許可が出たら私にプロポーズする。もちろん単にプロポーズしてもダメだろう。


 そこでアクロード様は公爵家の牧場の管理を私に任せるという大盤振る舞いを決めたのだ。そして、事前にちゃんと公爵閣下に、結婚後も私に馬産関係を全て任せる許可も取っていた。よくもそんな許可が出たと思うんだけど、公爵閣下の豪放な性格を知れば不思議な話でもない。


「私は君を公爵家に押し込めたいと思ったのではなく、君の行動を公爵家全体で後押ししたかったのだ」


 ……こんな理解のある夫は、人生を何度やり直してももう二度と出会えないだろうね。


 ただ、アクロード様はそれでも私がプロポーズを承諾するという自信は無かったのだそうだ。それに、結婚は家同士の契約なので、私が承諾したとしても、お父様が皇族の係累になることに恐れをなして結婚を承認しないかも知れない。


 なので、お父様お母様が私と一緒にダフネス競馬場を訪れてくれて「手間が省けた」と喜んだらしい。私の承認とお父様の承認を同時に得られるからだ。まぁ、公爵閣下の御前でアクロード様との縁談を辞退するなんて、お父様には無理だったわね。


 私がクラーリアをくれれば求婚を受諾すると言って、アクロード様は本当にホッとしたそうだ。もっととんでもない「今のまま牧場に住み着いていていいなら結婚する」とか「北の王国に馬を買い付けに行きたい」とかいう実現不可能に近い要求では無かったからだ。


 自分になら十分に可能である条件を付けたということは、私も自分と結婚するつもりはあるのだなと喜んだくらいだったそうだ。私は随分な無理難題を言ってしまったと気に病んでいたのに。


 アクロード様は次の日に帝宮に参内して皇帝陛下と接見し、皇帝陛下に言ったそうだ。


「嫁が欲しがっているのでクラーリアを下さい!」


 何事かと驚いた皇帝陛下だけど、事情を詳しく聞くと大笑いをなさり、鷹揚にクラーリアの譲渡を約束して下さった。ただ、この時に即座に譲渡ではなく、競走馬を引退したら、と条件を付けた本当の目的は、アクロード様の結婚を即座に承認しないためだったと思うのよね。


 可愛い甥っ子であり、将来の帝国を背負って立つと思われている男であり、高位貴族のご令嬢がこぞって憧れ、幾つもの家が皇帝陛下に縁談の仲介をお願いしていたというアクロード様に、簡単に婚約承認の内諾は出せなかったんだと思う。私との結婚の必要条件だというクラーリアを、すぐに完全にアクロード様に譲ったら、婚約を承認した事になってしまうからね。


 だが、この中途半端な譲渡の約束が後で騒動の原因になってしまって、私も随分と悩まされたのだった。


 見事クラーリアの譲渡の内諾を得たアクロード様は翌日、クランベル伯爵家に勇んで乗り込み、私に改めて求婚した。


「その時の君の顔は今でも忘れられないな」


 アクロード様はクスクスと笑ったけど、私はその時の自分の顔なんて知らないわよね。


「喜んで良いのか、怒って良いのか、それとも悲しむべきなのかという複雑な表情だったけど、それでも頬を染めて嬉しそうに笑って『求婚をお受けいたします。でも、きっと私の馬優先主義は変わらないと思いますから、覚悟して私を娶ってくださいませね?』と言ったんだよ」


 ……よく覚えていますね。私はもう忘れていましたよ。私の言葉を聞いて喜びを爆発させたアクロード様が、見守るお父様お母様、お兄様夫婦の前で私をギューっと抱きしめてくれて、その時のどうしようもなく幸せな複雑な気分は覚えているんですけどね。


 私からの求婚の承諾をもらったアクロード様は、即座に騎士団の本部に行って、二週間の休暇を取った。アクロード様が休暇を取ることなどこれまで無かったから、騎士団の団長であるボーバラ侯爵は驚き、理由が「婚約の準備のためだ」と聞いてまた驚いたそうだ。


 そして公爵邸に帰ったアクロード様は、公爵閣下とお妃様に報告。お二人は喜び、即座に使用人を集めて指示を出した。


 正式に婚約した後に、私を公爵邸に迎えるための準備を指示したのだ。


 慣例では、公爵家の嫡男と正式に婚約したご令嬢は、その時点で実家を離れ公爵邸に入るのである。公爵家は皇族だ。それだけに普通の貴族とは違った伝統や慣習が沢山あり、帝宮における皇族の儀式の作法なども覚えなければいけない。


 広大な公爵領の事も色々覚えなければならず、それは統治に関わることや交易に関わる事、軍事的な機密など多岐に渡る。


 これを教育するためのは通いでは無理であり、結婚前に公爵家に入って教育を受けなければならない、という事なのだ。


 そのためには婚約者のお部屋を用意しなければならない。ちなみにこのお部屋は結婚後のお部屋とは異なり、客間扱いだ。ほとんどは公爵家があらかじめ準備をして、入室した婚約者が自分の希望で手直しをすることになる。


 ……ここまで聞けば分かると思うけど、だいぶ話が違うわよね。でも、それは婚約した時点で私にも分かっていた事だった。結婚後には馬産に関わらせてくれるとアクロード様は約束して下さったけど、それでも公妃としての最低限の勤めは果たさなければならないだろう。そしてその最低限が既に膨大なものである事は、流石の私にも最初から分かっていた。


 だから、婚約して、公爵邸に入ったら、当分の間は馬に乗ることも出来なくなるだろうと覚悟していたわよ。お休みがあれば、その日になんとか家の牧場に行って、ほんの少しでいいから馬と触れ合える時間を作ろう、なんて涙ぐましいことを考えていたのだった。


 しかし、アクロード様は私がそう思っていることはお見通しで、そしてそんな風に閉じ込めてしまったら私がストレスのあまり脱走したり「婚約は止める!」と泣き喚きかねない事もちゃんと分かっていたのだ。


 なのでアクロード様は最初から対策を準備して、私から求婚の返答をもらったその日にはもう動き出していたのだった。


 それはもう、私の事をよく理解してるアクロード様ならではの対策だったわよ。流石は私の自慢の旦那様だ。

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