第1話 おしとやかな令嬢の終了

「で、殿下……アマリリスにございます」

「……」


 あまりに惨めで、悲しくて。

 気づけば私は、ヒューズに声をかけていた。

 楽しい談笑を邪魔された彼は、先ほどまでの表情を一変させる。

 眉間にしわを寄せ、怪訝そうな顔で私を見た。


 私がご自分の婚約者候補だって知らないはずなんてない。

 知っていてこの態度なんだわ。

 でもなんで? 私は嫌われるようなことなんて一つもしていないのに。

 むしろ今まで、この日のためにただ全てを我慢してきたのに。


「オルド公爵、珍しいですね。夜会に参加なさるだなんて」


 私から視線を逸らした殿下は、エスコートしてくれた黒髪の貴族に声をかけた。

 オルド公爵様。

 そうか。この方がこの国の三大公爵様の一人なのね。

 それなのに私、全く知らなかったなんて。とても失礼なことをしてしまったわ。


「今日は国王陛下に必ずと言われたので、仕方なくね」

「ふーん。で、それを連れてきた、と」


 今、この方は私のことを鼻でソレって言ったの?

 興味がないって分かってはいたけど、まさか人前でそんな風に言うだなんて。


「ご自身の婚約者にずいぶんな物言いですね。もう少し大事にされた方がよろしいのでは?」

「婚約者すらままならない黒髪になど、言われたくもないな」

「黒髪って」


 黒い色の何がいけないのかしら。

 そんなのただの色じゃないの。

 ああでも、この国って確か黒は不吉な物とされていたっけ。

 死の象徴とか、闇を呼ぶとか。

 子どもじみた迷信を信じるんだなとは思っていたけど。

 それをこの国の王太子である人まで口にするだなんて。


 低俗だ。

 って言ったら反感を買うわね。

 でも、つい口に出してしまいそうな自分がいた。


 なんで私はこの国の人間なのに、そういう風に思うのか。

 それだけは分からぬままに。


「人の批判よりもご自身の行動を見返したらいかがですか? 上に立つ者がすることではないですよ」

「なんだと!? 王太子のオレにそんなことを言っていいと思うのか!」

「そうですね。あなたはまだ王ではないですので」


 肩を震わせ、顔を真っ赤にしたヒューズが立ち上がった。

 会場の視線は一気に私たちに集まっている。

 会場に流れる音楽すら耳に入らないほど、皆が息を飲んでいた。


 しかし次の瞬間、高らかな音が鳴り、国王陛下が夜会へと入場してきた。

 

 会場にいた者たちは一瞬で国王陛下の方を向き、最上礼をする。

 先ほどまでの喧騒など、なかったかのように。

 しかし陛下の顔をちらりと伺えば、両脇に女性を侍らすヒューズを睨んでいるようにも思えた。


「皆、楽しんでいるか? 今日は大事な発表があったのだが……。難しそうだな」


 大きなため息を漏らす陛下を見ていると、こちらまで悲しくなってきた。

 本当だったら、この場にはヒューズと共に入場し、仲睦まじくなれた後に、陛下から婚約の正式な発表がはるはずだった。


 婚約はどうなるのかしら。

 いえ、それよりも今まで私がしてきた努力って……。


 私は唇を噛みしめた。

 それでも必死に下を向かず、笑顔を作る。

 

 「今日はゆっくり楽しんで行ってくれ」


 陛下の話など、ほどんど頭に入っては来なかった。

 ただ去り際に視線があったことだけは覚えている。


「……」


 このままこの場にいて何になるのかしら。

 帰ろう。

 泣きそうになるから。


 公爵に挨拶をし、帰ろうとした私の前にヒューズがいた。

 顎に手を当てながら、下から上まで私のことをジロジロと見て何かを確認しているようだった。


「あ、あの……ヒューズ様?」

「ん-。まだ、記憶が戻ってないのか? 間違いないと思うんだけどな。……だから選んだっていうのに」


 意味不明な言葉をヒューズは独り言のように呟いた。

 記憶? 間違いない? そのために選んだ?

 何を選んだのか。たぶんそれだけは分かる。

 私をお妃に、ということよね。

 でも、記憶って……。


「記憶は別にどうでもいいが。ただ違ったら、なんて……」


 傾げたヒューズ首に、やや大きめのほくろが見えた。

 その瞬間、何とも言えない気持ち悪さが背中を駆け抜ける。


 ああ、知ってる。

 このほくろ。ううん、そうじゃない。

 私、知ってるわ。

 この人、を。


「いくら殿下でも、婚姻前の女性にお前とは失礼かと?」

「ああ? だから、コレはオレのものだからいいんだよ」


 そう言いながらヒューズは私の手首を掴んだ。

 振りほどこうとしてふと、自分の手首にあるほくろが見える。


 ほくろ……ほくろ。

 そういうことね。

 同じだ。前と同じところにある。

 だからそれで、判断したってことなのね。


「気分が優れませんので、失礼いたします」


 自分でも驚くほどの力で、ヒューズの手を上下に振り払う。

 まさか私がそこまですると思っていなかったようで二人は、私を見た。


 しかしもう、礼儀作法などどうでもいい。

 先に仕掛けたのは、そっちなんだもの。


 私はその場に似つかわしくないほどの笑みを浮かべると、周りの静止など聞くこともなく一目散に部屋に戻った。


「アマリリス様、どうされたのですか!!」


 部屋に残っていた侍女たちが、扉を勢いよく開けた私を呆然と見つめていた。


「お願い。今すぐ湯浴みの用意をしてちょうだい」

「は、はい」


 用意された湯船に、私は頭から浸かった。

 体に移った残り香も、アイツに触られたところもすべて、洗い流してしまわなければ気がすまなかった。


 よりもよって、この同じ世界にアイツがいただなんて。

 私は戻りつつある記憶に吐き気すら覚えた。

 


 

 

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る