第2話 後悔は炎にのまれ

「なんで……」

「お前はなんてことをしてくれたんだ!!」


 私の震える小さな声は、義父の怒鳴り声でかき消された。

 隣に目をやれば、義父は顔を真っ赤にして肩を大きく震わせている。


 義父の怒りは分かる。

 ある意味自慢の息子だと思っていた、私の夫でもあるこの人からの手痛い裏切りなのだから。


「な、なにもそんなに怒ることないだろ親父」


 この期に及んでこの人は、何を言ってるの?

 自分がしたことの自覚ないのかしら。


「そんなにって、あなた自分が何をしたか分かってるの?」

「何をって、たかだか浮気だろ? 何をそんなに二人してキレてんだよ」

「たかだかって。キレるのも当たり前じゃない」


 まぁ、この人にとったら、たかだかなんでしょうね。

 じゃなきゃ、こんなにおそろしく狭い町の中で複数の女性と不倫をするなんて考えないと思うわ。

 そんなことをすればどうなるかなんて、すぐにわかることなのに。

 

「お前、本当に分かってないのか?」

「なんだよ親父。親父だって若い頃は遊んでただろ?」

「そういう問題じゃないだろう! 取引先の奥さんたちに手を出すなんて何を考えてるんだ!」

「手出したっていったって体だけの関係だろ? 別に割り切った関係なんだからいいだろ。大げさなんだよ、みんな」

「大げさって、お前なぁ。それがどういうことになったのか、考えてみろ」

「あー、もう、めんどくせぇ。せっかく後腐れないように、人妻にしといたのに」


 後腐れないから、人妻って。

 スル方からしたらそうかもしれないけど、サレた方からしたらそうではない。

 そんな簡単なことも理解できないなんてサル以下ね。

 

 このことの発端は、先ほど家に内容証明が送られてきたことだった。


 今机の上に置かれたその紙には、浮気相手の夫からの訴えが書かれている。

 今すぐ交際を中止すること。

 そして慰謝料を払えとのことだった。

 しかも相手は一人ではない。

 浮気された側の夫複数名から、同時に訴えを起こされていた。


「あと腐れなく体の関係だけならいい、だなんてアホみたいな考えはあなただけよ。どうするのよ、これ」

「うちの……うちの信用はこれでがた落ちだ。もう駄目だ……」


 項垂れた義父は、立ち上がったかと思うとフラフラと部屋を出て行った。


 それもそうか。

 うちは古くからある豆腐屋だ。

 この店は、すごく美味しくて繁盛しているというわけではない。

 昔からあるだけで、旅館やお得意先がいくつもあるから、今の経営が成り立っている。

 

 日の出近くから仕込みはじめ、朝のうちに豆腐を作り、それをお得意先に配達へ行く。

 帰宅したら家のことをしつつ、卸した豆腐の伝票を作り、そして月末に請求。

 

 やることは多岐にわたるのに、利益は雀の涙だ。

 それでも義母が亡くなってからは、ほとんど私がメインでこの家の仕事を回してきた。

 夫はお得意先の御用聞きと新規開拓と言う名のもとに、相手先の奥様たちと不倫にいそしんでいたなんて。


 ある一人の浮気がバレたのを境に、芋ずる式に今回の事態になったようだけど。

 取引から訴えられるだなんて、本当に終わっている。


「だいたいなぁ、お前がいけないんだぞ?」

「は? 私? 私のなにがいけないっていうのよ」

「オレは性欲が強いんだよ。お前がちゃんとヤラせてくれていれば、こんなことにはならなかったんだ!」

「はぁ!? 馬鹿じゃないの?」

「なんでだよ、本当のことだろ」


 逆ギレもいいところじゃない。

 私たちは親同士が決めたお見合い同士で、お互いに愛情なんてものはない。

 それでも家族として、最低限の情で繋がってると私は思ってきた。


 でもこの人は私に関心を示すこともなければ、寄り添うようなこともしてこなかった。

 朝も夜も早い私と義父とは違い、朝も夜も遅い夫とは結婚してからずっとすれ違ってきた。

 それを私だけのせいにされたって困るんだけど。


「ふざけないでよ! あんたなんてどっかの国でハーレムでも作ってれば?」


 そんなに性欲が強くて、いろんな人とヤリたいだけなら、どこか世界のハーレムでも行きなさいよ。

 この世界では多重婚や不倫は認められていないのよ。

 だいたい、そんな人が自分の夫だったなんて気持ち悪い以外の何ものでもない。

 せめて離婚してからやってくれたらいいのに。

 

 結局家のことは私に全部押し付けて、自分は自分のしたいようにしていただけじゃない。

 冗談じゃないわ。私のことをなんだと思ってたのよ。

 あまりにバカバカしい発言に、私はドンっと机をたたいた。


「うるせーんだよ。まったくどいつもこいつも……ごほっごっふっ、か、な、んだ?」


 怒鳴りかけた夫が大きくむせ込んだ。

 その瞬間、何かの燃えたようなにおいと煙に私も気づく。


「煙? 何?」


 立ち上がり居間から作業場を見れば、義父がいた。

 義父は赤い灯油のケースを抱え、その周りには火の手が見える。


「お義父とうさん!」

「もう終わりだ……もう、終わりなんだ」


 ブツブツとその言葉だけを繰り返していた。

 逃げなけければ。

 そう思った時にはもう、煙を吸った体は動かなくなっていた。


 私、こんなとこでこんな夫と死ぬのね。

 もっとマトモに恋をして、自分の人生を歩みたかったのになぁ。


 そんなことを思いながら、私の意識は途絶えた。

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