37.天使に忍び寄る危機
「お疲れー」
「お疲れ様です」
仕事には波があるのだろうか。あれほど負のスパイラルに陥っていた天馬の仕事が、最近やや改善されてきている。失った担当企業もほとんどが天馬の元へと戻って来た。相変わらず無駄な会議は多いが適当にこなしていれば過ぎて行く。正直そんなことに労力を費やしたくない。やるべきことはたくさんある。
そう、間もなく架純のXデーがやって来る。
コンコン……
三月上旬のある金曜夕方、部屋に戻って来た天馬の耳にドアをノックする男が聞こえた。
「はーい」
天馬が起き上がり玄関へと走る。そしてドアを開いてその前に立つ天使を見て言った。
「どうだった??」
架純がにっこりと笑って答える。
「受かりました!! やったー!!」
そう言って天馬に抱き着く架純。天馬も架純を抱き返して言う。
「良かった。これで四月からは大学生だね!」
「はい!! 本当にもう嬉しくて……、ありがとうございます」
「いいって。さ、入って。ご飯一緒に食べよ」
「うん」
架純は流れ出た涙を拭きながら部屋へと入る。
架純の卒業後の進路。それは昨年からずっとふたりで話し合って来たこと。成績優秀だが家庭の事情で就職せざるを得なかった架純。本音では進学したかったのだが、半ば諦めていた。だが天馬のひと言がそれを変える。
「大学行きなよ。学費は俺が払うから」
架純は断った。優しい天馬だからそう言ってくれるのは分かる。だけど大学の学費となるとファミレスのご飯代とかのレベルじゃない。天馬にとっても決して安い額ではなかったが、架純の事情を知った上での申し出であった。天馬が言う。
「その代わり、そのなんだ……、大学行ってもあまり他の男を見たりしないように……」
架純が天馬の寄り添うように立ち尋ねる。
「それって架純のことを心配してくれているんですか~?」
「い、いや、そうじゃなくて……」
言いながら汗が噴き出る天馬。架純が言う。
「大丈夫ですよ。架純は天馬さんのもの。浮気なんてしませんから!」
「あ、ありがとう……」
そうはにかんで答える天馬。架純が尋ねる。
「それより大学の学費、必ず働いて返しますから」
「え、あ、ああ。でも無理しなくていいよ……」
半分本音。返って来るとは思っていない。架純が尋ねる。
「天馬さん」
「ん?」
架純の表情が小悪魔へと変わる。
「それって、私と一緒になるって意味ですか~??」
「ひゃ!?」
突然の言葉に天馬が後ずさりする。
「な、なんで??」
「なんでって、そんな大金、親族でもないのに出してくれるっておかしいでしょ?」
「いや、それは架純ちゃんが……」
「私が……、なんですか?」
顔を近づけて尋ねる彼女におろおろしながら天馬が答える。
「そ、そんなことより、大学生活楽しんでね……」
架純が少しむっとした顔で言う。
「私は、待っていますから。天馬さんが言ってくれるのを待っていますから」
「は、はい……」
我ながら何て情けない男なのだろうと思った。いつか本当の意味で彼女の気持ちに応えられる日が来るのだろうかと天馬は少し考えた。
「やっぱりな。クソ、あの女、俺を騙しやがって!!」
架純がアパートを出て天馬の部屋に入って行くのを見ていたその金髪の男が怒りを露わにして言った。アパート前の道路。その脇に止められた車の中でひとり監視していた馬場信二は、再婚予定の裕子の子供が『息子』ではなく『娘』であることに憤慨していた。
「裕子の奴、覚えてやがれ。今度しっかりお仕置きしてやる。まあ、それよりも……」
信二のまぶたに焼き付く架純の姿。若く可憐なその姿は、まるで美しい裕子を若くしたような姿。精神的、肉体的にも裕子を支配している信二。当然同じことを娘である彼女にも行うべきだと考えた。
「飛び切りの上玉じゃねえか。まだ女子高生か? こりゃマジで楽しみだぜ……」
信二は短くなった煙草を窓から捨て新しいのに火をつける。そして裕子に何やらメッセージを送ってから車を走らせた。
三月中旬、架純の卒業式の日を迎えた。
何度も仕事を休んで卒業式に来て欲しいとお願いした架純だったが、その日は大事な商談があり天馬はそれを断った。代わりに、夜一緒にどこかへ食事に行く約束をした。
「架純、おめでとー」
「真由もね!!」
友人の真由と卒業を祝う架純。早かった三年間、特に最後の一年はあっと言う間であった。真由が尋ねる。
「架純は大学でしょ? 良かったね」
「うん、全部天馬さんのお陰だよ」
「そうかそうか」
最初は想いを寄せるのがおっさんと聞いて不安だった真由も、今ではもう架純を信じることにしている。真由が尋ねる。
「今日は来ていないの?」
高校には多くの保護者が来て卒業を祝っている。架純が答える。
「うん。天馬さん、お仕事が忙しんだって。だから今夜一緒にご飯食べるの」
「そうか。それで卒業した架純も食べられちゃうんだね」
「や、やだ~、そんなの知らないよ~!!」
そう言いながらもまんざらじゃない架純。真由が架純の手を握って言う。
「幸せにね、架純」
「うん。ありがと。真由もね」
「もちでしょ」
そう言って親友との最後の別れを行った架純。その後、多くの級友と話をしてから、ひとり電車に揺られアパートへと帰る。
バタン……
部屋に戻って来た架純。この部屋とも今月で解約となる。
(今日で卒業。少し早いけど、もう天馬さんと一緒に暮らしてもいいよね)
Xデーである三月二十五日の前の日から天馬の部屋に行く予定の架純。だが安全を考慮すると少しでも早く天馬と一緒に暮らしたい。
(あ、天馬さんからメッセージが来ている)
スマホを見た架純は天馬からのメッセージに気付き確認。今日の卒業を祝う言葉が送られていた。
(大丈夫。私は死なない。今回は天馬さんがこうして近くにいる。そしてずっと彼と一緒に暮らすの……)
まるでそれは自分に言い聞かせる様な言葉。なぜかそうしておかないと不安や恐怖に潰されてしまうような気がしたからだ。そしてそれは現実味を帯びて来る。
ガチャガチャ……
(え?)
架純は玄関のドアの方で解錠するような音に気付き体をビクッとさせて驚く。どこかで経験したような感覚。ひとりの部屋。解錠する音。
(お母さんじゃない……)
母親はこの時間は部屋にやって来ることはない。一体誰なんだろうか。すぐにでもドアについているチェーン錠をすればよかったのだが、恐怖に駆られた架純は動くことすらできなかった。
ガチャン……
そして解錠されるドア。ドアが開かれると同時にギギッとスチールの擦れる音が部屋中に響く。架純は恐怖で部屋の隅へと行き小さくなる。そしてその声を聞いて絶望の海へと落とされた。
「居るんだろ、おい」
聞き覚えのある声。そう、それは夢の中で聞いた尤も醜悪な声色であった。
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