34.天使の告白

「来年の三月に、私死ぬんです……」


 クリスマスの夜。

 真っ暗なアパートの玄関で、そう涙を流しながら話す架純を見て天馬は言葉を失った。



(架純ちゃんが、死ぬ……??)


 頭の整理が追い付かない。

 なぜ目の前のこの可愛らしい女の子が死ぬのか。なぜ死ななければならないのか。なぜ逃げるように彼女の部屋を出ここに来たのか。

 分からないことだらけの天馬が、震えて涙を流す架純の肩にそっと手をやり言う。



「とりあえず、あがって。話は中で聞くから」


 架純は無言のまま頷いて天馬の部屋へと上がる。




「あの……、教えてくれるかな。何があったの?」


 天馬の部屋に上がった架純。床に座って向かい合う天馬が優しく尋ねる。架純は流れ落ちる涙をハンカチで拭き、呼吸を整えながら話し始める。



「私、子供の頃からよく正夢を見るんです……」


「正夢?」


「はい。最初は『すごいすごい』ってぐらいにしか思っていなかったんですけど、大きくなるにつれ段々怖くなってきて……」


「本当になるの?」


 架純はそれに頷いて答える。正夢。科学的ではない話に天馬はどう言葉を返していいのか分からない。架純が言う。



「それで私、見ちゃったんです。自分が死ぬ夢を……」


 二度三度小さく度頷いてから天馬が尋ねる。


「それって本当に正夢なの?」


「はい。正夢の時は、なんと言うか生々しいというか、はっきり覚えていると言うか。違いはすぐに分かるんです」


「そうか。それでどんな夢を見たの?」


 その質問をした天馬の目に、何かに怯えるような顔になった架純が映る。まずいことを聞いたと思いつつも、やはり聞かなければならない。架純が俯いて言う。



「私のお母さん、今、ある男の人と再婚しようとしているの……」


 天馬の頭に金髪の色っぽい隣人の女性の姿が思い出される。架純の母親。年齢を感じさせないとても若々しい美人の母親である。


「その再婚しようとしている男の人が、来年の三月に私の部屋にやって来て……」


 そこまで行った架純の目から涙が溢れる。天馬は自然と彼女の手を握り『大丈夫』と声を掛ける。



「私の部屋にやって来て、乱暴するの……」


「乱暴……」


 天馬は震えが止まらなかった。例えそれが夢だとしても目の前の天使が男に乱暴される。自然と力が入る天馬の手を架純が握り返しながら言う。



「それで、ショックを受けた私は、近くのビルから身を投げて……」


 そこまで言った架純は両手で顔を押さえて嗚咽する。天馬は黙って彼女の肩を優しく抱き寄せる。

 静寂。聖夜の夜に想像もしていなかったような話。天馬が何かに気付いたように架純に尋ねる。



「あ、じゃあもしかして、今からその男が来るとか……」


 天馬の上での中で架純が小さく頷く。

 夢。それは夢の話。だが架純に乱暴し、死に追いやるような奴がこれから隣に来る。


(いや、落ち着け。これは夢の話だろ? 架純ちゃんがそう思い込んでいるだけなのかもしれないし……)


 事件が起きなければ警察は動かない。本当にそれが正夢と言うならば自衛しかない。そしてようやくそれに気付いた。



「架純ちゃん、もしかして俺に近付いたのって……」


 天馬の上での中で真っ赤になった目をした架純が顔を上げて言う。



「夢の中でね。その男が玄関に入ってくる時に、見えたの。天馬さんが……」


「俺が……?」


「うん。だけど夢の中で私達は知り合いではなくて、天馬さんも気付かなくて……、それで……」


 また夢を思い出したのか、架純の目から涙が零れ落ちる。天馬が小さく言う。



「それで俺と知り合いになりたくて、あんな事をしていたのか……」


 天馬の脳裏にここ数か月の異常とも言える架純の行動が蘇る。考えてみれば不自然ではあった。うだつの上がらないおっさんにこんな可愛い女子高生が接近するなんて。そして同時に思う。



 ――それって、別に俺じゃなくても良かったのか。ただ隣人だったと言うだけで。


 弱点を執拗に求めたのもの理解できた。来年の三月に自分を助けて欲しい。本当かどうか分からないが、危険な出来事であるから可能な限り多くの服従せざるを得ない弱みを握りたかった訳だ。


「架純ちゃん……」


 そう口にした天馬に架純が言う。



「天馬さんに近付いたのは、助けて欲しかったため。だから弱点もいっぱい欲しかった。だから近付いたの、最初は……」


 黙って架純の話を聞く天馬。


「でもね、天馬さんと一緒に過ごしてみて気付いたの。本当に好きになっちゃったって……」


「架純ちゃん……?」


 そう話しながら自分の服をぎゅっと握りしめ目を赤くする架純を見て天馬はやはり思った。



 ――俺も架純ちゃんが好き


 自分はもうとっくにこの『悪魔のような天使ちゃん』に骨抜きにされている。夢のことは本当かどうか分からないけど、彼女が助けを求めるのならそれに全力で応じる。天馬が答える。



「俺も、架純ちゃんのことが好き、だよ……」


 生まれて初めてこんな気持ちを伝えた。これまで怖くて女性にそう言う気持ちを伝えることなどできなかったし、成人してからはもうそんなことは諦めていた。架純が天馬の胸に顔を埋め小さな声で言う。



「天馬さん。架純、嬉しいです……」


 そして目を閉じ、やや顔を上に向ける。



(え、ええーーっ!!! こ、これって、もしかして、キス!?)


 こんな時に何を考えているのかと思いながらも天馬の全身から汗が噴き出す。美少女高校生とのキス。こんなチャンスはまずないだろうし、人生最大の幸福。


(だ、だけど、これって犯罪になるんじゃ……)


 女子高生との絡み。お互い同意だとしても通報案件になるのでは? そう考えていたふたりの耳にドアの方から大きな声が聞こえた。




「やめてよ!! うちで来ても楽しくないって!!!」


「うるせぇ!!! なに隠してやがる!! 大概にしろよ!!!」


 その声を聞いた架純の体がびくっと震える。天馬がそれを察し小声で尋ねる。



「お母さん?」


「うん……」


 そう答えた架純は体を震わせ身を小さくする。恐らく一緒に居るのが架純の母親の再婚する男。そして『架純を死に追いやる男』。ふたりは大声で話しながら隣の部屋へと入って行く。架純が言う。



「お母さんが、さっきスマホで知らせてくれたの。これから行くから部屋を出ろって」


「お母さんも知ってるの? 夢のこと?」


 架純が引きつったような笑みを浮かべながら答える。



「ううん。きっとお母さんはその男の興味が私に向くのを怖がってるんだと思う。だから私はね……」


 架純が一瞬無表情になって言う。



「要らない子、なんだって……」


(!!)


 その言葉、そして悲しそう架純の顔を見た天馬の思考が一瞬吹き飛んだ。そして自然と目が閉じられる。



「んん……」


 気が付けば天馬は自分の唇を架純のそれに重ねていた。


(やってしまった……、これで俺は犯罪者……、でももういい……)


 実際同意の上、十八を超えている架純とのキスは問題ないのだが、無知な天馬はもう人生が終わったぐらいの覚悟を決めていた。天馬が言う。



「例えお母さんがそう言ったとしても、俺にとって架純ちゃんはな子。ごめんね、おっさんがこんなこと……」


「んん……!?」


 そうはにかんだ天馬の唇に、今度は架純が自分の唇を重ねる。そして言う。



「ありがとう、天馬さん。ようやく気持ちが聞けた……」


 その目はこれまでとは違い安堵と言うか、嬉しさで溢れた瞳。可愛い。こんな時に不謹慎だが天馬はそんな彼女を見て心底そう思った。架純がやや照れながら言う。



「天馬さん。今夜、ここに泊まって行ってもいいですか……?」


 天馬が固まる。やはり彼女は『悪魔のような天使ちゃん』。どんな状況でも常に天馬の上を行く存在であった。

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