33.青天の霹靂

 十二月。街はすっかりクリスマスのムードが漂う季節。冷たい風が吹きつける中、楽しげな音楽が街行く人達の心を温かくする。


(もうクリスマスか……)


 架純と出会ってから時間の流れが速い。衝撃的だった隣人の女子高生。その性格も破天荒で翻弄されながら今日に至っている。


(でも楽しかったよな)


 日も短くなり残業なしで帰宅するも、すでに外は真っ暗。コートにマフラーを巻いた乗客が足早に家路へ急ぐ。

 毎日が無色無味だった。色のない世界。灰色の世界。会社では命を削って仕事をし、週末をただただ楽しみに生きて来た意志のない有機体。そんな日々を彼女は変えてくれた。



「天馬さーん!!」


 電車を降り、改札をくぐった天馬に架純が近付き笑顔で言う。


(この笑顔を失いたくない。彼女は俺にとっての天使。隣に舞い降りた天使なんだ)


 天馬の中で架純は彼の大部分を占めるまでに大きくなっていた。架純なしではもう生活が成り立たない。灰色の世界に色を与えてくれた架純。心の奥底で、いずれは一緒になりたいと思っていた。もし彼女が受け入れてくれるなら。




「天馬さん。架純、ちょっとお願いがあるんだけど……」


 天使の願いなら何でも聞く。


「なに?」


「今日折角のクリスマスなんだけど、リサイクルショップでクリスマスバーゲンやってて、ちょっとそっちへ行きたいなあって思って……」


 今日はクリスマス。ケーキと食材を買って、架純の部屋で一緒に食べる予定だ。時刻は既に夕刻過ぎ。それほど時間はない。天馬が笑顔で言う。


「いいよ。安いんだ?」


「うん。安いの」


 架純はそう言うと嬉しそうに天馬の腕に手を絡める。もう数か月続くこの不思議な関係。そして天馬はまだ知らずにいる。彼女にこの先数か月後に起こる出来事を。





「うわー、可愛い~!! 安い~!!」


 架純と一緒に訪れたリサイクルショップは、クリスマスセールを行っておりたくさんの女性客で溢れていた。定価の半額から更に大幅値引きがされており、クリスマスとはまた違った熱気に溢れている。


「天馬さん!! これ、似合うかな??」


 架純が持って来たのは紺色のハーフコート。学校にも着て行けそうなやや大人しめのタイプ。


「似合うよ」


 それでも架純が着るとまるでどこかのモデルが愛用するような服に見えてしまう。天馬が笑顔で言う。


「好きなだけ選んでいいよ。今日、夕飯を作ってくれるお礼に俺が払うから」


「え、でも悪いし……」


 今日の買い物は架純のいきなりのお願い。夕飯を作る約束は以前からしていたものでそれとは関係ない。天馬が架純の背中を押して言う。


「いいってば。さ、選んで来て!!」


「あ、ありがとうございます!!」


 架純は来ていたコートをかごに入れると、女性客でごった返すセール会場へと向かって行った。




「天馬さん、本当にありがとうございます!!」


 両手に大きな袋を抱えて歩く架純が嬉しそうな顔で言った。結局、架純は想定以上の服を買ってしまい、その支払いも天馬に甘えることにした。


「いいよ、ご飯作ってくれるんだし。安いし。それより持つよ、重いでしょ?」


「でも……」


「いいから」


 天馬はやや強引に架純から袋を奪って歩き出す。架純が冷たい風に当たった為か分からないが、頬を赤く染め天馬に言う。


「優しいんですね。天馬さん」


「い、いや、そんなことは……」


 こんな些細なやり取りが嬉しい。会社以外では誰とも話すこともなかった天馬。女の子とこんな会話ができるのは新鮮であり、やはり嬉しい。架純が言う。



「天馬さん。架純、早くケーキが食べたいな~」


「そうだね! じゃあ、急ごっか!!」


「はい!」


 ふたりはそう言って笑顔で頷くと足早にケーキ屋とスーパーへと向かった。






しんちゃん、美味しかったね!」


「ん、ああ、そうだな」


 クリスマスの夜を高級イタリアレストランで食事した架純の母、柊木裕子が恋人である馬場信二の車の中で嬉しそうに言った。美しい金色の髪、ミニスカートから伸びる白い足は高校生の子供がいるとは思えないほど色っぽい。信二が煙草をふかしながら言う。


「じゃあ、飲むか」


「うん」


 裕子が日に焼け真っ黒な顔の信二の横顔を見て答える。後部座席にはクリスマス特製ケーキ。ここ数年、聖夜の夜は彼の部屋で朝まで盛り上がる。信二が煙草を咥えながら言う。



「なあ、裕子」


「なに?」


 今夜のことを考えわくわくが止まらない裕子が目を輝かせて答える。



「今日はお前んとこの部屋で飲むか?」


「え?」


 信二の顔を見ていた裕子が固まる。一瞬の静寂。車内の香水と煙草の混じった匂いが急に強く感じる。



「い、いいわよ。そんなの……」


 部屋には架純がいる。絶対に会わせたくない。会ったら終わり。目の前の女好きの男は間違いなく若い架純へと走る。信二がふうと煙草の煙を吐いて言う。


「お前さ、何か隠してんじゃねえのか?」


 どきっとした裕子が平静を装う様に煙草を取り出し火をつけて答える。


「何が?」


「何がじゃねえよ。絶対に俺を部屋にあげさせようとしねえだろ? 何隠してる?」


「な、何も隠してなんかないわよ」


 明らかに動揺した声。信二は吸い終わった煙草を窓からポイと投げ捨て、アクセルを踏み加速車を加速させる。



「今からお前の部屋に行く。つべこべ言うな。捨てるぞ、お前」


「信ちゃん……」


 今の裕子にとって目の前の男を失うことが何よりも恐ろしいこと。俯き黙ったままの裕子は、信二に見えないようにスマホを取り出した。






「天馬さん、今日は鍋だけどいいかな?」


 アパートに戻って来た天馬と架純。久しぶりに彼女の部屋に来て緊張する天馬に架純が尋ねた。クリスマスに鍋。寒い夜だし美味しそう。


「うん、いいよ。一緒に鍋突こう」


「はい!」


 お互いひとり暮らしのふたり。鍋のような料理はひとりではなかなか作る機会がない。架純は買い物袋の中からフライドチキンを取り出し、笑顔で天馬に言う。



「ご飯の後は、ケーキと一緒にこれも食べましょうね。楽しみ~」


 そう言ってはにかむ架純はまさに聖夜の天使。天馬も笑顔で頷いてそれに応える。

 しかし不意にテーブルの上に置かれたスマホのメッセージを受信する機械音がふたりの耳に響く。そしてその送信相手の名前を見た架純の笑顔が一瞬で消えてなくなる。



(架純ちゃん?)


 天馬もその変化に気付く。メッセージを読んだ架純が顔色を変えて言った。



「天馬さん、ごめんなさい!! 今すぐ、天馬さんの部屋に行ってもいいですか?」


「え? ど、どうしたの!?」


 突然の言葉に驚く天馬。架純は青い顔をしてスーパーで買って来た食材を袋に戻し、ケーキを抱えて言う。


「いいから早く!! お願いします!!」


「あ、ああ。分かった……」


 架純に気圧されるように荷物を持って部屋を出た天馬。一緒にすぐ隣の自分の部屋へと入る。



 バタン……


 真っ暗な玄関に響くドアを閉める音。明りをつけようとした天馬に架純が袋を持ったまま抱き着く。



「架純ちゃん……?」


 状況が掴めない天馬。ただ小さく小刻みに震える彼女を感じ、ただ事ではないと気付いた。架純が言う。



「天馬さんは、私の味方ですよね……?」


「うん。当たり前だよ」


 何を言っているのか分からない。天馬が素直に問い掛けに答える。


「どんなことがあっても架純を守ってくれますか……?」


「うん」


 どくどくと鼓動する心臓の音。何を言い出すのか。何を考えているのか。架純が言う。



「私、来年の三月に……」


 薄暗い玄関。目が慣れたのか少しずつ架純の顔が見え始める。架純の口が動く。



「死ぬんです……」


 ようやくはっきりと見えた彼女の顔は怯え、涙で溢れていた。

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