30.コスプレ天使は負けたくない。
「ほんと暗いよね」
「なんかちょーキモいし」
退職前の会社。女子更衣室でそうわざと聞こえるように話す女性社員の声を聞きながら、生駒佳代は必死に涙を堪えていた。
飾り気のない黒い髪はひとつで後ろに縛られ、顔には同じく黒い眼鏡。地味な女の代名詞であるような佳代は、いつしか社内で浮いた存在となっていた。
「あ、あの……」
「……」
気が付けば一部男性社員からも相手をされなくなっていた。業務のやり取りであっても早く会話を終わらせたいという雰囲気が溢れる。お茶汲みや掃除など面倒な仕事は当たり前のように佳代が担う。
「ありがとうございます!! 美味しかったです!!」
そんな佳代の会社での唯一の安らぎは、時々やってくる取引先の西園寺という男であった。屈託のないはにかんだ笑顔。安心できるオーラを持っていたのは後から知る同じオタキャラだった為。
お茶を出すだけの接触だったが、佳代にとっては何よりも大切な時間であった。
(西園寺さんは『かよん』ではなく、生駒佳代にもきちんと接してくれた。だから今度の機会は絶対に放さない!!)
会社を辞める際も彼のことが頭のどこかに残っていた。だから偶然街で再会した時は心から嬉しかった。運命だと思った。だから負けたくない。
「高校生なんかに絶対っ!!」
佳代はショッピングセンターにある水着売り場にひとりやって来ていた。もちろんそれは今度天馬と架純と一緒に行くプールの為の買い物。
(でも学校の水着以外を買うのなんて何年振りかな……)
友達もそれほど多くなかったのでプールや海に一緒に行くこともなかった。コスを始めてからも水着は全く着ていない。今回は『生駒佳代』で勝負する。コスは好きだが、彼の前では『かよん』ではなく佳代でいたい。
「架純さんはビキニって言ってたよな……」
売り場に並ぶ最新のカラフルなビキニ。正直佳代としてはどれも選ぶことのないものばかり。自然と目がワンピース型のものへと移る。
パン!
佳代が自分の手を叩いて言う。
「ダメ! ビキニを買わなきゃ。そこから負けててどうするのよ!」
そう言いながら目の前にあった青いビキニを手にする。そのままほとんど真っすぐレジへと向かい会計を済ます。
「後は……」
佳代は会計したビキニを鞄に入れると、そのまま駅へと向かった。
「西園寺さん!」
「あ、生駒さん」
昼過ぎ。天馬の会社近くへやって来た佳代は、待ち合わせの場所にいた天馬を見て笑顔で声を掛けた。いつも通り暗い雰囲気の佳代。彼女があの人気コスプレイヤーの『かよん』だとは中々想像できない。佳代が頭を下げて言う。
「ごめんなさい。お昼のお忙しい時に無理を言って……」
「いえ、大丈夫ですよ」
佳代は事前に一緒にお昼を食べたいと天馬に連絡していた。『会社近くでなら……』と言うことで天馬も今日のランチを約束。ふたりはそのまま近くのファミレスへと入った。
「それで、何かお話でもあったんですか?」
注文を終えた天馬が佳代に尋ねる。
「え、あ、はい。その……、西園寺さん、今度架純さんとプールへ行くんですよね?」
「え? ええ、行きますけど……」
天馬は驚いた。なぜ架純のことを知っている? なぜプールのことまで知っている? 驚く天馬に佳代が言う。
「びっくりさせてしまってごめんなさい。実は私、架純さんとお知り合いになって、それで西園寺さんと一緒にプールへ行くことを聞いて……」
「え、架純ちゃんと知り合いになったんですか?」
(架純ちゃん……)
佳代は名前の呼ばれ方でも架純との距離の違いを感じる。今はリードを許している。だけど負けたくない。
「はい。彼女、どうもコスプレに興味があるようで、それで私に……」
「そうだったんですか。ちょっと驚きました」
それは本心。架純と佳代。結びつくはずのないふたりの存在。少し何考え出した天馬に佳代が言う。
「今度一緒にコスやるんです」
「そ、そうなんですか? いいんですか??」
佳代のもうひとつの顔は人気コスプレイヤー『かよん』。その彼女と素人の架純が一緒にコスをやることに驚きを隠せない。佳代が少し引きつった顔で答える。
「ええ。コスを教えて欲しいというもので」
「は、はあ……」
天馬が運ばれて来たランチを口にする。一体自分の知らないところで何が起こっているのか。唐突な話にやや不気味さすら感じる。佳代が言う。
「それで、今日お聞きしたかったのは、西園寺さんが架純さんと一緒にプールへ行く時のことなんですが……」
「はい……」
架純は一体佳代とどんな話をしたのだろうか。天馬の頭の中には架純とふたりきりでプールに行くことへの戸惑いもあった。架純はまだ高校生。その彼女とふたりだけでプールに行くのは、正直『天馬判定』では検挙案件である。
「私も一緒に行ってもいいですか」
(ぶっー)
思わず吹きそうになった。まったくの予想外の言葉。
だが心のどこかで架純とふたりきりで行きたいという本能と、何かあった時の社会的制裁への恐怖。天馬はそのふたつを天秤にかけ、もし同性の佳代が来てくれるならリスクは減ると判断。そう答えを出した天馬が答える。
「は、はい。俺は構いませんけど……」
そう言いながらやはり架純とふたりっきりと言う願望が自分の中にあるのだと苦笑する。佳代が言う。
「架純さんには了承貰っています」
「そうでしたか」
つまりこれは自分への許可という確認という訳だ。少し緊張のほぐれた佳代が天馬に会釈して言う。
「よろしくお願いします……」
「あ、はい。こちらこそ……」
天馬もそれに会釈で応える。顔を上げ思わず笑うふたり。昼休憩の短い時間。佳代にとって幸せな時間はあっという間に過ぎて行った。
「ただいま……」
天馬との昼食を終え、帰宅した佳代を台所にいた母親が迎える。佳代の顔を見た母親が尋ねる。
「あら。今日はコスじゃないのね」
「うん……」
コスで出掛ける時とは化粧が違う。同じ女性の母親にはすぐ分かる。
「珍しいわね。まさか面接?」
「ち、違うよ……」
人気コスプレイヤーとは言え母親からすれば早くどこかの会社に就職して欲しい。少し残念そうな顔で母親が言う。
「コスプレもいいけど、早くちゃんと就職はしてよね」
「分かってるから……」
佳代はそう言い残すと自室へと入る。
部屋中に所狭しと掛けられたコスの衣装。手作りのものが多いが、小道具などのアイテムは結構な額を掛けてネットで買っている。このすべてが『かよん』として存在してきた証。佳代自身『かよん』は嫌いではなかったが、その人気が高まるにつれ『生駒佳代』としての存在感、自信がなくなって行く。
佳代が午前中に買ったビキニを取り出し見つめる。
(こんな恥ずかしい物を着て、みんなの前に出るんだ……)
コス中なら別人格が発動する佳代。多少大胆な衣装でも気にならない。でもリアルである『生駒佳代』としては想像するだけで恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「でも、負けたくないから!」
佳代は手にした真新しいビキニを胸にぎゅっと抱きしめた。
『天馬さーん、来週のプール楽しみですね!』
その日の夜、ひとりゲームをしていた天馬に架純からメッセージが届いた。ゲームを止め、返事を返す。
『そうだね。そう言えば生駒さんも一緒に行くの?』
『うん。今度話そうと思ってたんだけど、どうして知っているんですか?』
『今日教えて貰った』
『そうですか。佳代さん、可愛いですもんね』
(ど、どう答えればいいんだよ……)
天馬が返答に困る。下手なことを書けば嫌われるし、かと言って嘘は言いたくない。返事に困る天馬の目に新たなメッセージが届く。
『遅ーい!! 返事に困ってるんですか~??』
図星。やはりこの子の前では嘘はつけない。
『うーん、なんと言うか……』
つくづく優柔不断と言うか情けない男だと自分で思う。ただ架純はやはり上手だった。天馬は突然送られて来たその画像を見て目が丸くなった。
「えっ……」
それは先日一緒に買った白のビキニを着て部屋でポーズを取る架純。白いビキニに負けない程真っ白な肌に、柔らかそうな大きな胸。まるで相手を誘惑するようなうっとりとした表情。とても女子高生とは思えない。
『プレゼントです~!! 保存、おkですよ』
もはや心の奥底まで見透かされているような言葉。こんなお宝写真、無論保存一択である。ずっと写真に見惚れている天馬に架純が更に追撃のメッセージを送る。
『あと、天馬さんならこの写真でえっちなこと、してもいいですよ』
ガタン……
思わず持っていたスマホを落としてしまった天馬。妙な興奮と脳の爆発で冷静な返事など到底できない。天馬には隣の部屋でくすくす笑う架純の顔がはっきりとその目に映っていた。
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