29.天使とダンスを

 街の人達が楽しみにしている『三方みかた祭り』が始まった。

 景気の良い音楽に太鼓。会場となる公園には櫓が建てられ、周りにはこの日だけ出る屋台が軒を連ねる。祭り会場には小さな子供を連れた家族や、踊りを楽しみにしている若い男女の姿も多く目につく。


(子供の頃以来振りかな……)


 架純は白に赤い花柄を基調にした浴衣を纏いひとり祭り会場を歩く。時刻は既に夕方近く。本当なら天馬が一緒に居る時間。そんな彼女は人がごった返す祭りの会場で、ある人物を探す。



(きっといるはず。ひとりで待っていて……)


 もう何度も同じ場所を行き来してはその人物を探す架純。祭りの音楽。笑い声。楽しそうに会話するカップル。そんな幸せそうな人達とは無縁の人物。



「あっ」


 思わず声が出た。


(いた。あれに違いない……)


 それは真っ黒な黒髪を後ろでひとつ結いした黒い眼鏡の女性。青色の落ち着いた浴衣を着て、公園の入り口付近に立つ女性。架純がゆっくりと彼女に近付いて声を掛ける。



「あの……」


 声を掛けられた青色の浴衣の女性が顔を上げる。架純が言う。


「生駒、佳代さん、ですか?」


 突然見知らぬ女性に声を掛けられた佳代は驚きながら返事をする。



「はい、そうですけど、あなたは……?」


 架純はアップにした頭から垂れた髪を手でかき上げながら答える。


「柊木架純と言います。西園寺天馬さんのです」


(え?)


 佳代の体が固まる。

 とても綺麗な女性。まだ若い感じはするけどふくよかな胸に締まった腰のライン。祭りの明かりを受け、闇夜に浮かび上がる粉雪のような白い肌。彼女と言う言葉と共に、その美しさにも驚く。佳代が尋ねる。



「西園寺さんの、彼女……?」


「はい。天馬さんとお付き合いさせて頂いております」


 架純が丁寧に頭を下げてそう答える。その上品な所作はとても高校生には見えないほど。佳代が天馬から『祭りの日は約束がある』と言っていた言葉を思い出す。架純に言う。


「それで柊木さんと仰りましたか。何の御用ですか?」


 佳代の問い掛けに架純が答える。



「今日、天馬さんは来ませんよ。急な仕事が入ったようなんです」


「急な仕事? そうですか。でも私は待ちます。例え来てくれなくても」


 そう言った佳代の目は真剣そのもの。決して引くつもりはない。少しの静寂。祭りの雑踏音がふたりの間に流れる。架純が言う。



「佳代さんはコスプレをしているんですよね?」


 コスプレという言葉を聞いて一瞬びくっとした佳代が小声で言う。


「そうよ。だけど今の私にその話題を大きな声で振らないで。今はリアルの私なの」


 コスの時とプライベートは完全に分けている佳代。『かよん』の話は極力したくない。架純が言う。



「お願いがあるんです。私にコスを教えてくれませんか?」


 あまりにも唐突な言葉に佳代が呆然とする。そして答える。


「お断りするわ。あなたに教える意味がないもの」


 コスプレは佳代が長年頑張って来た宝物。それをいきなり現れた自称『天馬の彼女』に教える意義はない。架純が言う。


「お願いします。天馬さん、コスに興味があるそうなんだけど、よく分からなくて……」


「嫌よ。自分で勉強して。それより柊木さん。あなた随分若く見えるけどお幾つ?」


「十八です」


「十八? え、大学生?」


「いえ、高校三年です」


「うそっ!?」


 佳代が口に手を当てて驚く。天馬の彼女ということ自体疑っていたが、それよりも彼女がもし本当に高校生なら社会人である天馬が付き合っているとは考えにくい。佳代が架純に尋ねる。



「あの、本当に西園寺さんとお付き合いしているの?」


「私はそう思っています」


 なるほど、佳代は思った。


「いいわ。コスプレ、教えてあげる」


「本当ですか?」


 少し余裕が出て来た佳代が頷いて言う。



「本当よ。だけどひとつ条件があるの」


「条件?」


 架純の顔が少し曇る。佳代が言う。


「柊木さん、あなた夏に西園寺さんとどこか行く約束しているかしら?」


「天馬さんと……、ええ、しています」


 天馬とはプールに行く約束をしている。一緒にビキニも買った。


「どこに行くの?」


「ええっと、プールに一緒に……」


 その言葉を聞いた佳代の顔が一瞬むっとする。だがすぐに笑顔になって架純に言う。



「じゃあ、そのプール。私も同行してもいい? それが条件」


「え?」


 思わず架純が佳代をじっと見つめる。

 ふたりだけで行きたかったプール。別の女が来ることなどあり得ないこと。だが考える。


(コスプレって結構お金が掛かるのよね……)


 架純は自分なりにネットなどで調べてみたが、衣装や道具、化粧など想像以上に金銭的負担が大きいことが分かった。更にアニメなどそっち系の情報も不足している。正直何をしていいのかよく分からない状態であった。

 だからこそ佳代へのコスプレ指南依頼。しかしその対価がプール同行だとは予想外だった。架純が佳代を見つめる。



(確かに綺麗な人。眼鏡を外して髪型を変えれば『かよん』の美しさが溢れ出す。でもスタイルは私の勝ちね)


 佳代は隠した美しさには目を見張るものがある。だがまな板とは言わないが、大きな胸が自慢の架純の前では佳代のスタイルは見劣りするのは確か。


(いっそのこと、きちんとプールで『私の方が魅力的』だと天馬さんに認めて貰うってのもありかな。魅力では絶対に誰にも負けない自信もあるし)


 一方の佳代にも打算があった。



(顔も可愛いし、スタイルも抜群。こんなのが相手だとは正直驚いたわ。普通なら勝てない。だけど彼女には大きな弱点がある)


 まるで天使のような浴衣姿を見ながら佳代が思う。



 ――女子高生であること!!


(社会人、特に男性にとって女子高生と交際など社会的制裁の対象にしかならない案件。あの真面目な西園寺さんがそんなことするはずがない。今はリードを許しているようだけど、私がちゃんとアピールすれば逆転だって……)


 架純の唯一の弱点である『高校生』という立場。恋愛においては社会人と同じ土俵にすら立てない可能性がある。今なら勝てる。この女子高生に向かっている流れを自分の方へと引き寄せたい。

 お互いの打算。それぞれの思惑を抱えながらの交渉。架純が言う。



「いいですよ。じゃあ一緒に行きましょう」


「嬉しいわ。ちなみに柊木さん……」


「架純でいいです」


「そう。じゃあ架純さん。どんな水着を着ているのかしら?」


 架純が胸を張ってマウントを取るように言う。



「ビキニです!! 天馬さんに選んで貰いました!!」


(くっ……)


 架純の見事なスタイルならビキニもあり得ると思っていた佳代だが、一緒に買いに行っていたとは予想外。ただあの真面目な天馬が女子高生の水着を一緒に買いに行っていたとは驚きである。



(きっと弱みでも握られて仕方なく行ったとかでしょうね……)


 こういう時の女の勘とはなぜか鋭い。佳代がスマホを取り出して架純に言う。



「アドレス、交換しましょうか。正々堂々とやり合いましょ」


「望むところです」


 架純もスマホを取り出してアドレス交換に応じる。陰でこそこそ天馬と佳代が連絡を取り合うより、こうして自分が見えるところに引きずり込んだ方が安心できる。架純が頷いて言う。



「じゃあ、この辺で。私は別の場所で天馬さんを待ちます」


「分かったわ。お互い頑張りましょうね」


「ありがとうございます」


 架純は丁寧に頭を下げて佳代の元を去る。



(いい人だったな。ただ写真よりもずっと魅力的な人。気をつけなきゃ……)


 架純は天馬争奪戦が新たなステージに突入したことを理解する。



(高校生だと侮れないわ。女として純粋に負けている……)


 佳代は突然現れた天馬の彼女を名乗る架純を見送りながら内心思った。早めに勝負を掛けなければ負ける。佳代は改めて天馬に想いを寄せた。






「西園寺さん、本当にありがとうございました!!」


 T製作所からの帰り道。社用車の中で後輩の佐山が天馬に今日何度目か分からない衣感謝の言葉を述べた。既に午後九時を回っている。予定よりも更に遅れてしまった。天馬が答える。


「いいから。あ、悪い佐山。俺、ここで降りるわ!」


「え? ええっ、ここで!?」


 天馬は良くないと思いつつも渋滞にはまった車のドアを開け、ひとり下車する。そして運転席に座る佐山に言う。


「じゃ、お疲れ!!」


「あ、はい!!」


 天馬はそう言うとひとり駆け足で駅へと向かう。ここから急ぎで帰っても一時間近くかかる。とにかく急げ。天馬は週末で賑わう通りをひとり走る。






(やっぱり来れないのかな……、天馬さん……)


 時刻は既に祭りの終了時間を過ぎ、大会の実行委員会の人達が片付けを始めている。あれほどたくさんいた人もまばらになり、屋台も多くが垂れ幕を掛けて店じまいを終えている。


「嬢ちゃん、もう帰んなよ。危ないよ」


「あ、はい」


 片付けも終わり祭りの服を着た人が架純を見て声を掛ける。いつまでもいたら女性ひとりでは確かに危ない。架純は目立たぬよう公園の隅へと移動する。




(誰も居なくなっちゃった……)


 電気が落とされた祭りの会場。無言で残された祭りの設備が月明りに照らされて寂しさを増長させる。祭りの終わりまで待っていた佳代の姿ももうない。架純が天馬のスマホに送ったメッセージもまだ未読。心細く心配になる。



(天馬さん、早く来て……)


 寂しさに潰されそうになった架純。その泣きそうな彼女の目に、ようやくその人物が駆けて来るの映った。



「天馬さーーーーん!!!」


「あ、架純ちゃん!!」


 黒のズボンにワイシャツ。手には仕事の鞄を持ったまま天馬が汗だくになって駆けて来る。



「ごめん!! ほんと遅くなっちゃって!! はあはあ……」


 一体どれだけ走って来たのだろう。汗だくな上に、顔は仕事のせいかかなり疲れている。架純が天馬に抱き着いて言う。


「ありがとう!! 来てくれて!!」


「わわっ、架純ちゃん!?」


 天馬は浴衣姿の架純を見てあまりの可愛さに疲れも忘れて見惚れていた。抱き着かれながら天馬が言う。



「架純ちゃん、すっごく可愛いね!! 良く似合っているよ」


「嬉しー!! 頑張って着て来て良かった~!!」


 架純が天馬を見つめながら言う。



(マジ可愛い。天使だよ、これ……)


 嬉しそうにそう言う架純を見て天馬が心の底から思う。架純が言う。



「じゃあ、踊りましょうか?」


「え、今から!?」


 周りは真っ暗。誰もいない祭り会場。架純が天馬に寄り添い、腰に手をやり見上げて言う。



「今日、踊らなかったらいつ踊るんですか?」


「そ、そうだね……」


 甘い香り。柔らかな架純の体が直に手に伝わる。月明りの下、誰もいない公園でふたりが身を寄せ合って踊り始める。架純が小声で尋ねる。



「天馬さん、知っていますか? 三方祭りの云われって」


「えっ、な、なんだろう……」


 すぐに知っているとは言えなかった天馬。恥ずかしさなのか、緊張なのか。



「あのですね……」


 天馬は架純の話を聞きながら、ふたりきりで三方の踊りをずっと続けた。

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