24.好事、天魔多し。

「さ、西園寺さん、今日はよろしくお願いします……」


「は、はい。こちらこそ」


 天馬と待ち合わせをしていた生駒いこま佳代かよはやや引きつった顔で挨拶をした。

 後ろでひとつ結びされた黒い髪、同じく黒い眼鏡。佳代の代名詞のような大人しいアイテムだが、今日は長めのスカートを履き、取引先で会う彼女とは違うイメージを感じる。天馬が言う。



「生駒さん、本当にあの程度でお礼なんて良かったんですけど……」


 歩きながらそう言う天馬に佳代が少し困った顔をして答える。


「ご、ごめんなさい。やっぱりご迷惑でしたか?」


「あ、そう言う意味じゃなくて! なんか申し訳なくって……」


「ふふっ、大丈夫ですよ」


 初めて佳代が笑った。どんな会話をしようか悩んでいた天馬はそれを見て少しだけ安心した気持ちになれた。

 佳代が通りから少し入った場所にあるお洒落なカフェを指差して言う。



「あのお店です!」


「はい」


 少し大きめのカフェ。白く塗られた木造の建屋で沢山の植物が植えられており、まるでどこかヨーロッパのカフェのようである。




「ここにはよく来るんですか?」


 店内に入り通り沿いの大きな窓際の席に着いた天馬が尋ねる。佳代が前に垂れた髪を耳に掻き上げながら答える。


「あ、いえ。前にちょっとお仕事で……」


 目を合わせない。何かまずいことを聞いたかなと思った天馬がすぐに話題を変える。


「何食べましょう?」


「あ、そうですね。私はサンドイッチランチを。西園寺さんは?」


「じゃあ俺はこのミートパイにしようかな」


 基本オタで出無精の天馬。女性とのランチなど経験がほぼない上に、目の前に座る佳代も誰かに引っ張って貰うようなタイプ。空調が効いていて涼しい店内だが、天馬の体にはじわっと汗が滲む。そんな天馬の目にメニュー表のある物が映る。



(あ、生ビールあるんだ。美味そう……)


 じっとメニューを見つめる天馬。それに気付いた佳代が尋ねれる。



「西園寺さん、ビールお好きなんですか?」


「え? あ、ああ。好きかな……」


 ちょっと恥ずかしそうに答える天馬を見て佳代が笑顔になって答える。


「私も結構好きなんですよ。頼んじゃいます?」


「そうだね。お昼からビールなんて休みだけですしね」


「ええ。じゃあ、おつまみにこのソーセージも頼みましょう」


「いいですね! 頼んじゃいましょう」


 意外だった佳代のアルコール好き。会話に困っていた天馬にはまさに助け舟のような話題。店員に注文を伝えると、すぐにビールとつまみのソーセージが運ばれて来た。ふたりがグラスになみなみに注がれたビールを手に言う。



「乾杯ーっ!!」


 店の外は汗が噴き出す猛暑。ここまで歩いて来て喉もカラカラ。ギンギンに冷えたビールが喉を通って行く。


「ぷはーっ! 美味い!!」

「美味しいですね!!」


 佳代も口に手を当ててにっこり笑う。かなり好きなようだ。つまみのソーセージも美味い。アルコールが入ったせいかふたりの会話が徐々に弾むようになる。



「でも生駒さんが急に辞めちゃってびっくりしましたよ」


「そうですね。ごめんなさい」


「ああ、いや。別に謝ることじゃないので……」


 そう話す天馬に佳代が言う。



「でも本当は西園寺さんに会えなくなるのはちょっと寂しかったんです……」


(え!?)


 ビールを持っていた手が一瞬止まる。佳代が言う。


「西園寺さん、いつもお出ししたお茶を『ありがとうございます!』と言って美味しそうに飲んでくれて、本当に嬉しかったんですよ」


「え、そうなんですか? 普通に美味しかったし、お茶を出されてお礼を言うのは当たり前と言うか……」


 そっちの意味か、と少し安心した天馬に佳代が言う。


「そんなことないですよ。黙って何も言わない人も結構多いんですから」


「そうなんだ」


 意外な事実。佳代の会社の社長が中々怖い人だったので、粗相がないよういつも気を張っていたのを思い出す。少し会話を続けた後、天馬が立ち上がり佳代に言う。



「すいません、ちょっとトイレに……」


「あ、はい。どうぞ」


 佳代はトイレへ行く天馬を笑顔で見送り、そして鞄からスマホを取り出して嬉しそうに何やら文字を打つ。トイレに入った天馬がひとり思う。



(なんか不思議な感じだな……、お客さんのところの事務の人と飲んでるなんて……)


 佳代が退職していなかったら多分断っていただろう。『うちの事務員に手を出して!!』などと思われたら大問題だ。

 手を洗った天馬がテーブルに戻ると、運ばれてきたサンドイッチを佳代が食べていた。


「ちょっとビールには合わなかったかもしれないです……」


 そう苦笑しながらサンドイッチを口に頬張る佳代は、決して仕事中には見られなかった楽しそうな顔である。天馬も座りミートパイを頬張る。



 トゥルルル……


 今度は佳代のスマホから着信を告げる音が響く。スマホを手にした佳代が一瞬真剣な顔になり、すぐに笑顔に戻って天馬に言う。


「ごめんなさい。ちょっとお仕事の電話で……」


「ああ、気にしないでください。どうぞ」


 佳代は小さく会釈をしてスマホを持ったまま店外へと小走りに向かう。



「ふう……」


 ひとりになった天馬が同じくテーブルに置かれた自分のスマホを何気なく触る。

 待ち受けにはアニメの推しの女の子。これを見られたらちょっと引かれるよなと思いつつSNSを開くと、フォローしている人気コスプレイヤーが新しい投稿をしており何気なく見つめる。



『今日はお休みです! 前にお仕事で来たカフェに来てま~す!!』


 そんな言葉と共にテーブルと椅子の写真が投稿されている。


『あと、今日はちょっと素敵な方と一緒に来てるんですよ~』


 それを読んだ天馬が思う。



(楽しそうだな~)


 人気コスプレイヤーのプライベートの休暇。そんな景色が垣間見られるのもSNSの楽しいところ。だが天馬は写真に写ったテーブルを見て息が止まる。



(あれ……?)


 木製のテーブル。緑の椅子。そこに映った鞄の一部。ゆっくりと周りを見つめる天馬。



(木のテーブルに、緑の椅子。あと、この鞄って、俺のじゃねえのか……)


 スマホを持つ手に汗が噴き出す。

 天馬がフォローしているコスプレイヤーの名前は『かよん』。最近は雑誌などでも活躍し始めた実力派のコスプレイヤーなのだが、もちろんその素性は不明。



(ちょっと待て……、生駒佳代、かよ、かよん……)


 体が震えた。

 まさかあの黒メガネに黒髪のひとつ結びの目立たない佳代が、人気コスプレイヤーの『かよん』だと言うのか!?




「ごめんなさい。お仕事の電話で……」


 そう言いながら戻ってくる佳代を見て天馬がすぐにスマホを片付ける。そして佳代をまじまじと見ながら思う。


(『かよん』だと言われても分からない。本当にそうなのか……?)


 目の前にいる佳代は大人しいと言うかどちらかと言えば暗い女性で、カメラのフラッシュを浴び人前に立つコスプレイヤーとは対照的な人物。大人しい『佳代』と、華やかな『かよん』が天馬の頭の中でどうしても融合しない。

 アルコールも回っていつもより気が大きくなっていた天馬が心を決めて尋ねる。



「あの、生駒さん……」


「はい?」


 佳代も同様、アルコールのせいか頬を赤く染めながら天馬に返事をする。天馬が頭を掻きながら言う。



「間違っていたらごめんなさい。俺、実はアニメとか結構好きで、コスプレなんかもよく見るんだけど……」


 そこまで聞いた佳代の顔色が変わる。天馬が尋ねる。



「佳代さん、コスプレやってますか……?」


 佳代はビールのグラスを持ったまま驚いた顔をして天馬を見つめた。






 同じ時刻、そんな佳代と同じぐらい驚いた顔をしてふたりを見つめる女子高生がいた。


(あ、あれって確か、架純がいつも言ってる『天馬さん』って人じゃない……??)


 偶然、天馬と佳代が入ったカフェの前を通りかかった架純のクラスメイトの真由。大きなガラス窓の向こうで向かい合って食事をするふたりを見て、すぐにそれが架純にスマホで見せて貰った男だと気付いた。



(あの女の人って誰!? まさか彼女?? え、ええっ!!??)


 真由は悪いと思いつつも少し離れた場所からそんなふたりにスマホを向けた。

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