21.天才隼人の迷い

 県内にあるとある有名大学。バスケの強豪校として名を馳せているこの大学の体育館で、今日も学生達がボールを追って汗を流す。


「おい!! そんなんでインカレ行けると思うか!!」


 インカレ。全日本大学バスケットボール選手権大会。この出場に向けてこの夏の練習が大きな意味を持つ。皆が必死に走る回る中、コーチがマッシュヘアの長身の学生に檄を飛ばす。



「瀬古っ!! 何やってる!! ちゃんとボール見て動け!!!」


「はいっ、すいません!!」


 一瞬ぼうっとした瀬古せこ隼人はやとがすぐに謝りコートを走り出す。全身から噴き出す汗。風のように素早く人の間を縫って走る。

 彼は県内でもトップクラスのプレイヤーで、毎年インカレに出場しているこの大学のエース。今年大学四年。最後の大会でベストエイトを目標に毎日汗を流している。



「よし、休憩!」


「はい!」


 コーチの言葉に皆がスポーツドリンクの入ったボトルを手に床に座り込む。同じく床に座った隼人が肩で息をしながら思う。


(なんか、面白くねえな……)


 小学生の頃からバスケ一筋で頑張って来た。

 卒業後はプロ入りも嘱望される地元期待のホープだが、実はここ最近バスケ自体に何か違和感を持ち始めている。バスケは嫌いじゃない。だが面白くない。

 そんな初めての感情に戸惑う隼人の頭に、公園で会ったおっさんの言葉がふと蘇る。



 ――大切な人が喜んでくれる。その子に、褒めてもらいたくてね。


(大切な人。褒めてもらいたい……)



『隼人君、上手~!!』


 隼人がバスケを始めた理由。それは至極単純だった。


『そうだろ~!! 俺、スゲーだろ!!』


『うん!!』


 幼なじみだった女の子。小学生の頃から長身だった隼人は他の同級生よりバスケが上手く、次々とゴールを決めては彼女を喜ばせていた。楽しかった。彼女が喜んでくれることが。褒めてくれることが。



(あ、そうか。俺、あいつに褒めて欲しかったんだ……)


 隼人の体が震える。

 その幼馴染とは同じ大学に進学しているが、バスケが忙しいためほとんど会っていない。いや、ストイックな隼人が『女は練習の邪魔』と考えあまり接触しようとしなかった。心優しい幼馴染も全国区になった隼人を気遣い、声を掛けなくなる。

 体育座りをしながら俯く隼人の目に涙が溢れる。



(馬鹿だな、俺。全然バスケ、楽しんでなかったじゃん……)


 楽しくて、褒められたくて頑張ったバスケ。だがその頑張る原点を知らぬうちに置いて来てしまっていた。



 ピッ!!


 練習再開の笛が鳴る。コーチが叫ぶ。


「さ、練習開始っ!!」


「はいっ!!!」


 隼人は涙を拭い、ボールを持って走り出した。






「天馬さんのお部屋で、架純が『お顔マッサージ』してあげますね」


 女子高生、マッサージ、ふたりだけの密室。

 もうこのフレーズが並ぶだけで天馬の頭にある『興奮スイッチ』が激しく何度も押される。そんないかがわしいことしても大丈夫なのか? 相手は女子高生。検挙されてしまうのではないか。そんな表情をする天馬に架純が言う。


「あの、どうしましたか? まさかまた変なことを考えているんじゃないんですか?」


「あ、いや、違う! 違うって。そんないかがわしいこと……」


 動揺するとすぐに隠し切れなくなる。分かりやすい天馬を横に架純が苦笑しながら言う。



「ネットで見つけたんですよ。疲れた時には顔をマッサージすると気持ちよく眠れるって」


「そ、そうなんだ」


「そうですよ。さ、行きましょ!!」


 架純はそう言うと天馬の手を引き、暗い夜空の下アパートへ向かう。




 ガチャ……


 暗い天馬の部屋。ここにふたりで入るのは何度目だろうか。天馬が部屋の電気をつけると、架純は慣れた感じで部屋に入り鞄を床に置いて言う。


「天馬さん、シャワー浴びて来てくださいね。汗ベトベトじゃ、マッサージできませんから」


「あ、うん……」


 狭い部屋。女子高生の甘い香りがするこの近い距離で、『先にシャワーを浴びて来て』と言われるシチュエーション。全く意味は違うが、妙に興奮する。自分に向けられる天馬の視線に気付いた架純が言う。



「天馬さん、今考えていること当てましょうか?」


「わわっ、いい!! 結構だから!! シャワー浴びるね!!」


 バタン!!


 天馬が逃げるようにシャワールームへと入る。絶対に当てられる。読心術でもあるのかと思うほど架純の勘は鋭い。




「ふぅ……」


 シャワールームに入りひとりになった天馬が大きく息を吐く。

 こうしてひとりになって冷静に考えると、つくづく自分は架純に主導権を握られていると思う。からかわれているのか、遊ばれているのか。よく分からないが、自分の中で架純と言う存在が制御できなくなるほど大きくなってきていることは事実だ。



(ん?)


 服を脱ぎ、スマホを置こうとした天馬がメッセージを受信していることに気付く。



(あ、西川さんからだ)


 西川佳代。天馬の取引先の元従業員で、少し前に街で偶然会い父親の誕生日プレゼントを一緒に選んだ女性。食事をしたいとのことで連絡先を交換していた。天馬がスマホを開け確認する。



『来週の日曜日のお昼、お食事一緒にどうですか? この間のお礼です』


 大したことはしていないんだけどな、と思いつつ天馬が考える。来週の日曜日は、バスケ対決が行われる土曜日の翌日。もう休みも練習しなくていいから空いていることは空いている。天馬が返事を打つ。


『分かりました。場所は……』


 この時は本当にお礼を受けるという意味で誘いに乗った。天馬はそのつもりだった。だからこの先、この行動が軽はずみだったということを心から思い知らされる。




「遅~い!! 何してたんですか??」


 佳代とのメッセージで予想よりシャワーの時間がかかってしまった天馬に、架純がややむっとした顔で言う。


「ご、ごめんね……」


 謝るしかない天馬。架純がスウェットに着替えた天馬を見て言う。


「どうしてそんなにに洗っていたんですか~??」


(うぎゃ!?)


 この女子高生は知ってか知らぬか、ギリギリのところをいつも突いて来る。他意はないだろうが、これが天然、もしくは『小悪魔架純』なのである。天馬が引きつった顔で言う。


「ふ、普通だよ。ごめん、待たせちゃって……」


「いいよ。じゃあ、始めようか」



「……え?」


 そう笑顔で言った架純が、制服姿のまま天馬のの上にあがる。そして正座をやや崩した女の子座りをして言う。



「さ、どうぞ」


(ふえぇえええええええええ!?)


 女子高生が制服を着たままベッドの上に座り、自分を誘っている。いけない図。学生にあるまじき構図。そう言うお店なら理解できるが、ここはいつも自分が寝る部屋。それが架純が来ただけでこれほど変わってしまうのか!?

 目を見開き微動だにしない天馬を見て架純が言う。



「何してるんですか? 遠慮しないで来てください」


「い、いいの……?」


「いいですよ」


 短い制服から伸びる白くて柔らかそうな架純の太腿。架純はそれを手でポンポンと叩き、頭を乗せろと言っている。天馬が硬直した体を無理やり動かしながらベッドへ移動する。



「よ、よろしくお願い致します……」


 これほど自分のベッドに上がるのに緊張したことはない。まるで見知らぬベッド。恐る恐る仰向けになる天馬の頭に、架純の柔らかい太腿が当たる。



(う゛……)


 架純の太腿の間にすっぽり入る頭。柔らかくて温かい。そして目に映るのは、初めてこの角度から見る彼女の豊かな双丘。架純の顔が見えないほど前に突き出しており、いやまさに絶景。眼福の極み。



「じゃあ、始めますね」


(ひゃっ!?)


 よこしまなことを考えていたことがバレたと思った天馬が一瞬びくっとする。架純はゆっくりと白くて細い指を天馬の顔に置く。


「ネットで見ただけの自己流なので、痛かったら言ってくださいね」


「うん……」


 そう謙遜するものの、マッサージを始めた架純の指は滑らかに天馬の顔を包み込む。



(あぁ、気持ちいい……)


 顔マッサージなど初めて受けた天馬だが、あまりの心地良さに意識が飛びそうになる。時々クリームのような液体をつけながら顔を優しく揉みほぐす架純。次第に天馬へ強い眠気が襲う。



「天馬さん、来週の土曜日。頑張りましょうね……」


「うん……」


 既に子猫のような小さな声。全身の力が抜けていくのを感じる。



「架純の為に、ありがとうございます……」


「……」


 返事はない。既に寝入ってしまったようだ。架純が天馬の顔を何度も撫でながら小声で言う。



「可愛い……」


 架純は天使のような笑顔で天馬を包み込み、寝入った天馬を文字通り天界へと誘う様にマッサージを続けた。



 そしてバスケ対決当日を迎えた。

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