18.天使のハニートラップ!?

「天馬さんのお部屋に、行ってもいいですか……?」


 雑踏の音が響く駅構内。潤んだ目で見つめる架純を見て天馬が思う。



(こ、この状況で断れる訳ないだろぉお!!!)


 何かに怯える天使。頼られる自分。この程度の甲斐性が無ければさすがに恥ずかしい。天馬が答える。


「うん、分かった。でも……」


 そう言いかけた天馬より先に架純が言う。


「大丈夫です。天馬さんには迷惑を掛けませんから。ちょっとだけ一緒に居たいだけなんです」



(可愛いいいいいいいいい!!! なんて可愛い生き物なんだぁああ!!!!)


 艶やかな黒髪に手をやりそう笑って答える架純を見て、天馬は心から可愛いと思った。天馬が言う。


「あ、じゃ、じゃあ歩こっか……」


「はい!」


 架純はそれが当然のように天馬の腕に手を絡め歩き出す。

 どこにでもいるような中年サラリーマンと腕を組んで歩く女子高生。間違いなく『そっち系』のお付き合いだと思われているだろうと思いつつも、架純の可愛さにそのすべてがどうでも良くなる。歩きながら天馬が尋ねる。



「それで、一体何があったの?」


「はい。私、天馬さんのオバケを見たんです……」


「え、俺のオバケ?」


 想像していなかった話に天馬が驚く。架純が言う。


「あっ、見てはいないんですけど、声を聞いたとか感じたりしたとかで……」


「そうなの……」


 一緒に歩きながら天馬が考える。言われてみれば自分自身にもそのような経験があったような気がする。架純が心配そうな表情を浮かべて天馬に言う。



「だから私、てっきり天馬さんが死んじゃったのかと思って。生霊いきりょうになって会いに来てくれたのかと思って、びっくりして……」


「おいおい……」


 歩きながら苦笑いする天馬。そして言う。


「でもそれはちょっと怖いね。何なんだろうね、一体」


「はい、なんか腕を掴まれたような感覚もあって、本当に驚いたんです」


「え、腕を掴まれた?」


 そうなるとオバケとかそう言った話ではないような気もする。


「ええ。でも誰もいなくて……、やっぱり怖いです……」


 そう言って架純が天馬の腕に強くしがみ付く。



(ぐっ、おぉ……、胸が、架純ちゃんの胸が当たって……)


 こんな時に不謹慎とは思いつつも、それが男の本能。腕に直に感じる架純の柔らかな膨らみに、天馬の頭が一瞬真っ白になる。だがすぐに我に返って思い直す。



(ほ、本当はこういう時に頼りがいのあるところを見せなきゃいけないんだけど……)


 頭に浮かぶのは幾つものアニメで見て来たキザなセリフ。こういう時に言うべき言葉なのだろうが、実際言うとなるとかなり恥ずかしい。だが天馬が男を決める。


「架純ちゃん……」


「はい……?」


 天馬がまっすぐ前を向いたまま言う。


「俺が、傍に居るから。大丈夫だから」


「はい! ありがとうございます!!」


 確信犯なのか、天然なのか。架純がさらに自分の大きな胸を腕に強く当てて答える。



(腕が、腕が固まって……!!)


 少しでも動かしたら『当たっている』事がバレてしまうと思った天馬が、腕を硬直させ全く動かさずに歩く。不自然な歩き方。だが当人は真剣である。



「天馬さん」


「な、なに!?」


 胸が当たっていることがバレたのかと思った天馬が焦りながら答える。架純が言う。


「夕飯まだですよね? 良ければ私、作りましょうか?」


「えっ」


 天馬がまじまじと架純を見つめる。



(じょ、女子高生が俺の部屋で夕飯を作ってくれるだとぉおおお!!!)


 目を見開いて架純を見つめる天馬。何も返事をしない彼を見て架純が不安そうな顔で尋ねる。


「ダメ、でしたか……?」


 天馬が首を左右にブンブン振りながら言う。



「いや、いい。すごくいい!! お願いしますっ!!」


 最後は頭を下げて天馬がお願いする形になる。架純が口に手を当てて笑いながら言う。


「もうこんな時間ですし、簡単な物しかできないですよ」


「いいよ、何でもいい。よしっ!!」


 天馬が小さくガッツポーズを作る。それを微笑みながら見ていた架純が天馬に言う。



「ちょっとスーパーに寄って食材買って行ってもいいですか?」


「いいよいいよ! さ、行こ!!」


「きゃっ、天馬さん!?」


 天馬は架純の腕を掴んで勢い良く歩き出す。架純も笑顔になって一緒に歩き出した。






「お邪魔しまーす!!」


 スーパーでの買い物を終え、ふたりで帰って来たアパート。いつもは玄関の前で別れるふたりだが、今日は同じ部屋のドアを開ける。天馬がやや引きつった顔で言う。


「ど、どうぞ……」


 途中から考えていたのが『部屋の掃除はいつしたっけ?』であった。まさか今日架純が来ること等想定もしていなかったので、特に掃除などもしていない。とは言えあの状況で断ることもできなかったし、断るつもりもない。


「うわ~、天馬さんのお部屋だ~」


 同じ間取りの部屋。机とベッド、小さな棚がある程度の狭い部屋。鞄とスーパーの袋を床に置いた架純が、棚に入っているアニメや映画のDVDをじっと見ながら言う。


「へえ~、天馬さんってこう言うの観るんだ」


 前屈みになり、こちらにお尻を向けてそう話す架純を凝視してしまう天馬。短いスカートに白い太腿。自分の部屋に女子高生がいる。天馬は感じたことのない興奮に包まれる。


「天馬さん?」


 振り返った架純が天馬をじっと見つめる。



「え!? あ、ああ、うん……」


 架純の澄んだ目は、興奮した天馬の心を落ち着かせるには十分の効果があった。



(落ち着け、落ち着け、俺。相手は女子高生。通報されるぞ……)


「どうしたんですか?」


(!!)


 天馬の目の前に立ち、後ろに手を組んで首を傾げる架純。知ってか知らぬか、その些細な仕草ひとつが男を惑わす。



「な、何でもないよ。こんな汚い部屋に女の子が来てくれて、ちょっと戸惑っていると言うか……」


「嬉しー」


(うぎゃっ!!)


 架純が放つ『JKスマイル光線』の直撃を受け、天馬が眩暈と共にふらつく。破壊力抜群、その存在自体が最終兵器のような制服姿の架純。よろけそうな天馬を見て架純が言う。


「天馬さん、どうしたんですか?」


「あ、いや、何でもない……」


 そう答えるのが精一杯の天馬。それを聞いて架純が言う。



「じゃあ、早速何か作りますね!」


 架純は高校の鞄とバックを天馬のベッドの上に置き、それを開きながら言う。



「ええっと、ハンカチ、ハンカチ……」


 ハンカチを探しているようだが、架純がバックの中から取り出すそのを見て天馬が後ずさりする。



(おいおい、あ、あれは、まさか……)


 半袖の白いシャツ、小豆色の短パン。バックを開けた瞬間部屋に充満する汗が混じった架純の甘酸っぱい香り。天馬が唾をゴクリと飲んでから思う。



 ――あれは使用済みのっ!!


 今日の授業で使ったのか、やや乱雑にバックに入れられた体操服を無造作に取り出し天馬のベッドの上に置く。唖然とする天馬に架純が尋ねる。



「あ、いけない! お味噌買うの忘れちゃった!! 天馬さん、持ってますか?」


 ある訳がない。ほぼ使わないない調味料。天馬が首を振って言う。


「ごめん、うちには無くて……」


「そうですか。じゃあちょっと取って来ますね!!」


 架純はそう言うと、ベッドの上に無造作に置かれた使用済み体操服をそのままに部屋を出て行く。



「あっ……」


 ガチャ、バタン……


 玄関から響くドアが閉まる音。ひとり残された天馬はまじまじとベッドの上にある体操服を見つめる。



(あ、あれって、架純ちゃんが着て、汗をかいた体操服だよな……)


 一見ただの服。だがそこには値の付けようのない価値を含んでいる。自分以外誰もいない部屋。架純はまだ隣にいる。彼女の甘い残り香が天馬の鼻腔を優しくくすぐる。



(お、落ち着け!! ダメだ、そんなことを考えては!!)


 そう言いながらも自然と歩みはベッドへと近付く。目の前に置かれた架純の使用済み体操服。誰もいない。天馬の何かが一瞬崩れた。



 スーッ……


「はぁ、なんだこのいい匂いは……」


 架純を凝縮させたような甘酸っぱい香り。背徳感。興奮の沼にどんどん沈んで行くのが分かる。

 そしてすべてが無防備になった天馬の耳に、その音が響いた。



 カシャ



「え?」


 体操服を持ったまま振り返る天馬。そこには満面の笑みでスマホを構える架純の姿があった。



(ぎゃああああああああああ!!!!!)


 内心悲鳴を上げ、へなへなとその場に座り込む天馬。架純がスマホの写真を確認しながら親指を立てて言う。


「天馬さんの弱点、ゲットだぜ~!!」


 やられた。

 またしても嵌められた。彼女はドアを開け閉めしただけで外には出ていなかったのだ。完全なトラップ。そして見事にその罠に引っかかった迷える子羊。



「か、架純ちゃん、これは違って……」


 もはや言い逃れができない情けない男の姿。架純が小悪魔のような顔になって言う。



「天馬さん、変態ですぅ……」


(うがあああああああぁ!!!!!)


 天馬が両手で抱え込んだ頭を床にどんどんぶつける。架純は少し笑いながらベッドの上の体操服を手に取り、一度天馬の顔の前に持って行きながらバックに片付けて言う。



天馬さんも仕方ないから許してあげますね。その代わり架純の作るご飯、全部食べてくださいね!」


 天馬はそう言って微笑む架純が本当に天使、いや女神のようにすら見えた。泣きそうになった天馬が頭を床に擦り付け、今夜の無条件降伏を誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る