15.背中合わせの天馬と架純
「う~ん……」
アパートの戻った天馬は、モニターに映ったアニメを見ながら唸り声を上げた。観ているのはバスケのアニメ。ここから何かヒントが得られないかとずっと画面に齧りついているのだが全く参考にならない。
「無理ゲーじゃん、こんなの……」
バスケアニメに出て来るキャラ達は皆高身長で、運動神経も抜群の人達ばかり。たとえ背が低くても驚異的なジャンプ力や瞬発力、神懸かり的なシュート能力を持っているなど、やはり参考にならない。
もちろん凡人キャラも出て来るのだが、中学の頃からずっと続けているだとか一日数時間も練習をしているなど基盤が違う。天馬が缶に入ったビールを一気飲みして言う。
「全然参考にならんわ。やっぱアニメの話……」
そこまでつぶやいた天馬の耳に、そのアニメのコーチが部員に言う。
『練習しろ。練習だけは嘘はつかない』
天馬は空になった缶を持ったままじっとモニターを見つめる。
(だな。ヘタレな俺にバスケが上手くなる近道なんかないよな。練習だけだ……)
ふうと小さく息を吐いた天馬のスマホがメッセージを受信し明るく光る。
「架純ちゃん……?」
送信主は隣にいる架純。時刻は既に深夜一時を回っている。すぐに天馬がスマホを確認。表示された文字を読む。
『天馬さん、まだ起きていますか?』
天馬が返事を打つ。
『起きてるよ。どうしたの?』
『何でもないです。ただ、こんなに近くにいるのに会えないって不思議ですよね』
架純と天馬を隔てるのは一枚の壁。この向こう側に架純がいる。
『そうだね。距離的にはすごく近いよね』
少し間を置いてから架純からの返信が届く。
『私、今天馬さんの部屋との壁にもたれ掛かっています』
黙ってその文字を読む天馬。自分の後ろの壁。すぐそこに架純がいる。
『天馬さんも壁にもたれ掛かってくれませんか』
『いいよ』
天馬が座ったまま後ろへ移動し、壁にもたれ掛かる。
『壁に来たよ』
『ありがとうございます。天馬さんの顔は見えないけど、この数センチ向こうにいるんですよね』
『そうだね……』
そう思うと架純がとても近くに感じる。背中合わせに座るふたり。全く彼女のいない空間なのに、どうしてこんなに彼女を感じられるのだろう。
『バスケ、ごめんなさい……』
その言葉を見た天馬が少し笑顔になって返信する。
『いいって。俺もやれるだけやるよ』
『ありがとうございます。私にできることなら何でもしますから』
『あー、言ったな。その言葉。言質貰ったぜ!』
架純が慌てて返す。
『そんな意味じゃないです!! 勘違いしないでください』
可愛いと思いつつ天馬が悪戯っぽく文字を打つ。
『何でもしてくれるんでしょ? 楽しみだな~』
だが、そんな天馬よりやはり架純の方が一枚上手であった。
『はい、じゃあ何でもします。架純に好きなこと命じてください、天馬様』
天馬のスマホを持った手が固まる。真っ暗な深夜。程よく酩酊した頭。脳裏に浮かぶのは架純のパンツにブラ、そして魅惑的なビキニ姿。返事が遅い天馬に架純が先に文字を打つ。
『エッチなこと、考えていたでしょ~?』
(うぐっ……)
図星。どうしてこう男と言うのは単純な生き物なんだろうか。天馬が慌てて返信する。
『そんなことないけど、それは検挙案件だから……』
女子高生が相手。間違いなく犯罪者である。架純が文字を打つ。
『大丈夫ですよ、合意なら』
真っ白になる天馬の頭。そして表示された文字を見て心臓が止まりそうになる。
『それに私、もう十八ですから』
天馬の頭に架純の笑う顔が浮かぶ。
結局今夜も架純によって手玉に取られた天馬。当然スマホのでのやり取りが終わって布団に入った後も架純のことが頭から離れられず、悶々として朝まで眠ることはできなかった。
「ふわ~あ、眠ぅ……」
午前四時。まだ薄暗い朝日の下、結局一睡もできなかった天馬が公園に向かって歩き出す。服はいつ以来振りかのジャージ姿。まだ朝の空気が冷たい中、バスケットボールを持って公園のバスケ練習場へと入って行く。
「じゃあ、始めるか」
さすがに誰もいない公園。近くに民家はあまりないが大きな音を立てないようバスケットゴールに向かってボールを投げる。
ドン、トントントン……
全く入る気配がない。ただ球を入れるだけの競技。だがその単純なルール以上に実際は難しい。
「練習あるのみ」
天馬は誰もいない早朝の公園でひとりボールを投げ続ける。
「ふう……」
しばらくするとすぐに腕が痛くなった。重い。単純な運動なのに全身から流れる汗に重くなる体。飲み物を何も持って来ていなかったことを少し後悔する。
「あれ、誰か先に来てんじゃん」
そこへ大学生ぐらいの若いグループがやって来て小さな声で言った。この公園も早朝五時を過ぎると散歩する老人や、この様な学生のグループがやって来る。いつもバスケの練習をしている彼ら。先に来ていた天馬を見てやや馬鹿にした顔で言う。
「なにあれ? めっちゃ下手くそ」
天馬の投げるフォーム。ひと目で素人と分かる仕草に、運動が苦手な人間の無様なフォーム。若く運動神経抜群な彼らから見ると、まるでうだつの上がらないおっさんが何かバタバタとボールに遊ばれているようにしか見えない。
「なにやってんの、あれ? 邪魔じゃん」
その中でも特にストイックにバスケに向き合っている金髪の青年が、ボールすら手につかない天馬を見て言う。耐えきれなくなった彼がひとり天馬の元へ行き迷惑そうな顔で言う。
「おっさん、邪魔だよ。ここ、いつも俺らが使ってんの」
汗だくの天馬が顔を上げ金髪の青年を見つめる。まさに運動神経の塊のような体。アニオタ系の自分とは真逆にいるような男。天馬が汗を拭きながら答える。
「あ、そうなの? ごめん。あっちならいいかな?」
そう言って隅の方にある古びたバスケットゴールを指差す。金髪の青年は少し考えてから答える。
「邪魔しないでよ」
そう言って上着を脱ぎ準備を始める仲間の方へと歩き出す。天馬は隅に方へと移動し、休憩がてら彼らの練習を見つめる。
「すげえな……」
率直な感想。今まで何度やっても上手く行かないシュートを彼らは簡単に決めて行く。何かすべてが自分とは違う。天馬は一休みしてからまたひとり、ボールを持ってシュートの練習を始めた。
「ねえ、架純。本当に大丈夫なの??」
高校の昼休み。昼食を一緒に食べていた真由が架純に言った。黒髪をかき上げながら架純が聞き返す。
「何のこと?」
本当に分からないのかといった表情で真由が言う。
「何のことって、氷川とのバスケ対決だよ」
「ああ……」
架純が小さく頷いて返事する。既にこのことは一部の生徒の間に伝わり話題になっている。架純がご飯を口に運びながら言う。
「大丈夫。天馬さん、頑張ってくれるから」
真由が呆れた顔で言い返す。
「その天馬さんって人、バスケ経験あるの?」
「ないよ」
「ダメじゃん。氷川はあれでもバスケ部のキャプテン。めっちゃ上手いんだよ」
「そう」
やはり少々のことでは動揺しない架純を見て真由がため息をつく。架純が答える。
「別にいいの、負けても」
「え? いいの?」
驚く真由に架純が言う。
「でもあいつとは絶対祭りなんか行かない。もし天馬さんが負けたら私、彼とふたりで駆け落ちするから」
「は……?」
箸を持っていた真由の手が止まる。架純は冗談で言っている訳ではない。顔が真剣だ。
「それはちょっとまずいでしょ。高校生だし」
相手だって社会人。女子高生と駆け落ちなど現実的ではない。架純が言う。
「だったら私が天馬さんの押しかけ女房になって、高校辞める」
「ちょ、ちょっと架純……」
一体目の前の友人の頭はどうなっているのか。そう思った真由が架純に尋ねる。
「分かったわ。でも私に相談してね」
「うん、ありがと」
そう言ってご飯を食べ始める架純。真由が言う。
「天馬さんってどんな人なの? 写真とかないの?」
架純の手も一瞬止まり、顔を上げて言う。
「あるけど、見る?」
「うん、見たい」
「取らないでよ、私の天馬さん」
「取らないって……」
さすがにこれには真由の顔も引きつる。架純は鞄からスマホを取り出しアルバムアプリを開く。
(天馬さんコレクションは見せられないわよね……)
そこには社会人天馬の通報級レベルの写真が並ぶ。これを見せたらきっと真由はそれこそ本当に通報するだろう。架純は無難な写真を選び、スマホに表示させて見せる。
「へえ、意外と若く見えるね。思っていたより可愛い顔してるし」
それを聞いた架純がむっとして言う。
「あげないよ」
「要らないって」
真由が架純に尋ねる。
「どこが好きなの、天馬さんの?」
架純が笑顔になって即答する。
「全部」
「はいはい、ごちそうさま」
真由は何だかお腹がいっぱいになって食べかけの弁当箱に蓋をした。
放課後、鞄に教科書を入れ教室を出ようとする架純に真由が声を掛ける。
「架純、どこ行くの? 慌てて」
意外な顔をした架純が尋ねる。
「私、慌ててるように見えた?」
「見えた」
「そう……」
架純が少し考えてから言う。
「リサイクルショップに服を買いに行くの」
「え、服?」
親友である真由は架純があまり金銭的に余裕がないことを知っている。架純がスマホを取り出し画面を見せながら言う。
「アプリ入れたら半額のクーポン貰ったの。だから服を買おうと思って」
「服を買うの? 珍しいね」
架純が初めて表情を和らげ、頬を赤くして答える。
「天馬さんとお出掛けするのに、いつも同じ服じゃ嫌でしょ」
(なるほどねぇ……)
真由が架純の行動を理解した。
同時にあの『柊木架純』をこれほどまで虜にする『天馬』という男にも少し興味が出て来た。
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