12.ファミレスの天使ちゃん
「はあ、はあ……」
天馬は水着コーナーの端にある長椅子に座って、顔を押さえながら天を仰いだ。全身に噴き出した汗。震え。体に冷房が当たり手足が冷たくなる。
(おっさんが水着の試着室に一緒に入って、ああ、これって普通に通報もんだろう……)
強引に架純に引っ張られたとは言え、着替え中の女子高生の更衣室に入ったのは確か。一瞬の出来事だったので誰にも見られてはいないが、ひとつ間違えれば犯罪者である。
「天馬さ~ん」
そこへ水着から服に着替えた架純がやって来て声を掛ける。後ろで手を組み、前屈みになって椅子に座って天を仰いでいる天馬を見つめる。
「架純ちゃん……」
架純を見た天馬。いまだ網膜に焼き付いた彼女のビキニ姿が消えない。横に座った架純に天馬が言う。
「お願いだからああ言うのは勘弁して。マジで俺犯罪者になっちゃうから……」
「ごめんなさ~い」
そう言いながら微笑む架純には全く反省の色はない。まさに小悪魔。横に座る架純の真っ白な太腿から目を逸らすように天馬が尋ねる。
「あれ? 水着は?」
架純の手には先程のビキニがない。売り場に返したのだろうか。架純が苦笑しながら答える。
「ううん、いいの。買わない」
「え、どうして?」
確か今日は水着を買いに来たはず。買わないという意味が分からない。
「大丈夫だから」
そう微笑む天使ちゃんの顔は決して大丈夫ではない。
(お金がない、なんて天馬さんに言えない……)
毎月微々たる金額で生活している架純。贅沢品であるビキニなど買うことなどできない。架純が言う。
「今日は天馬さんと一緒に来られただけで、とっても楽しいですから」
何かある、そう確信した天馬が真面目な顔で尋ねる。
「あの、架純ちゃん。失礼なこと承知で聞くけど、もしかして予算オーバーとか?」
「……あ、いえ、その」
これまでにない反応。『小悪魔架純』が少しだけ動揺している。天馬が立ち上がり、架純の手を取って言う。
「俺、買ってあげるよ。この間介抱して貰ったお礼に」
「え、でも、そんなこと……」
手を引かれながら天馬の後に続く架純が困った表情となる。天馬が振り返って笑顔で言う。
「いいって。本当にお返ししたかったから」
おっさんだから多少の金はある。容姿や性格、人間性の全てにおいて架純に負けていると思っている天馬だが、それでも相手は高校生。金銭的には社会人の天馬が絶対的優位にある。
だがそんなマウントを取りかかった天馬に架純のひと言が立場を逆転させる。
「天馬さんが一緒にプール行ってくれるなら、いいですよ……」
(え?)
手を引きながら固まる天馬。恥ずかしいのか真っ赤に頬を紅潮させながらそうつぶやく架純はこの上なく尊い。天馬が震えながら尋ねる。
「俺と、プール……?」
「うん」
架純もなぜかやや戸惑いながらの笑顔。天馬が思い切って尋ねる。
「俺なんかより、架純ちゃん、彼氏とか仲のいい友達とかと一緒に行った方が……」
握った手にぎゅっと力を込めて架純が答える。
「私、彼氏とか居ないですから」
やや怒ったような口調の架純。もうどうしたらいいのか分からない天馬に架純が追撃を行う。
「私とじゃ行けない理由があるんですか。彼女さんとか」
逆に尋ね返す架純。天馬が首を左右に大きく振って答える。
「居ない居ない!! そんなんじゃないけど……」
「けど?」
「俺みたいなおっさんと行って、架純ちゃん……」
「あー、またそれ言った!! 怒りますよ!!」
「わわっ、ごめん!!」
もう反射的に架純に謝る天馬。架純が天馬をじっと見つめて尋ねる。
「じゃあ、私と一緒にプール行ってくれますか」
「はい……」
それを聞いた架純が心から嬉しそうな表情となり天馬に言う。
「やったー!! それじゃあ天馬さん。好きな水着選んでください!! 私、天馬さんの選んでくれた水着なら何でも着ますよ!!」
「へ?」
常に天馬の上手を行く架純。呆然とする天馬だが、結局先に架純が試着した白いビキニを購入することで一段落ついた。
「架純ちゃん、お昼どうする?」
水着を買って貰いルンルンの架純。そんな彼女に天馬が尋ねた。確かに時刻は間もなくお昼。昼食の時間だ。架純がやや困った顔をして答える。
「あ、あの……、私、特にお腹とか空いていないので……」
その架純の表情を見て天馬がすぐに本音でないと直感する。こういうところは妙に分かりやすい。小悪魔架純に天馬が言う。
「遠慮しないで。こういうところは頼ってよ」
「……はい。ありがとうございます」
結局ふたりは架純の希望でショッピングセンター内にあるファミレスに入る。
金銭的には優位に立てる天馬が張り切ってやって来たものの、店員の『何名ですか?』の問いかけに『ふたりです』と答える架純を見てふと我に返る。
(ふ、ふたり……、女子高生とふたりで食事……)
これまで仕事中にファミレスを利用することはあったがいつもひとり。味もよく分からない適当なランチを食べるだけであったファミレスが、架純と来るだけで一気に素敵な場所へと変わる。
「こちらへどうぞ」
案内されたふたり掛けのテーブル。天馬が緊張しながら椅子に座る。
(周りからはどう見られているんだろう……)
店内に入った瞬間に架純に集まる視線。それほど可愛らしくて華のある子。自分はおっさんだから恐らく保護者として見られているのだろうか。
辛くなるのであまり深く考えないようにした天馬がメニュー表を渡して架純に言う。
「好きな物、頼んでいいよ」
「はい、ありがとうございます……」
架純もファミレスには来たことがある。数少ない友達とやって来て、彼女らが料理を注文する傍らドリンクバーだけ頼んで長居したことがある。お金のない彼女にとってはファミレスは高価な外食。だがメニュー表に印刷された美味しそうな料理を見ると心は自然と躍る。
「じゃあ、私これを……」
そう言って指差したのは最も安いメニュー。天馬がふうと息を吐いて尋ねる。
「遠慮してるでしょ?」
「してないです」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「嘘ついてたら怒るよ」
「……」
黙り込む架純に天馬が言う。
「ほら~、架純ちゃん、分かりやすいよ」
「そうなんですか……?」
「うん」
天馬が高価なメニューである手作りハンバーグセットを指差しながら尋ねる。
「俺、これ頼むけど一緒のでいい?」
「……はい。お願いします」
そんな高いの勿体ない、と思いながらも架純は天馬の言う通りにすることにした。
「美味しい……」
テーブルに運ばれてきた手作りハンバーグセット。ジュウジュウ音を立てながら肉汁が撥ねている。架純はそれをナイフとフォークで切り分け大きな口を開けて食べる。
「天馬さん、ほんと美味しいです!」
「うん、良かった」
冗談ではなく本当に美味しそうに食べる架純。天使が見せる本物の天使の笑顔。天馬もいつもは味のしないファミレスの料理が、不思議と美味しく感じられた。ふたりが同時に思う。
(誰かと一緒に食べるご飯って……)
――こんなに美味しいんだ
カップ麺やコンビニ弁当ばかりの天馬。方やセールや賞味期限ぎりぎりの食材で作る質素な食事。いつもひとりで食べていたふたりにとって、こうして向かい合って食べるまともな料理は格別に感じた。
(天馬さんありがとうございます……)
もぐもぐとご飯を食べながら架純が感謝する。天馬もそれに笑顔で答える。幸せな時間。
そんなふたりの姿を、離れた場所からガラス越しに見つめる高校生のグループがあった。
「あれ、
「あ? 柊木?」
高校生達がファミレスのテーブルに座って食事する架純と天馬をじっと見つめる。ひとりが言う。
「あの男っ気のない柊木がおっさんと居るぞ?」
「マジか? パパ活ってやつか」
「やだ~、信じらんな~い」
その長身でイケメンの高校生、
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