11.水着の天使ちゃん

 日曜の朝、とあるマンションの一室。ベッドの上で目を覚ました筋肉質の金髪の男に架純の母、柊木ひいらぎ裕子ゆうこが声を掛けた。


「おはよ~、しんちゃん」


 甘い声。金色の長髪に整った顔立ちの裕子は、高校生の娘がいるとは思えないほどスタイルも良く美しい。金髪の筋肉質の男がベッドから起き上がりキッチンにいる裕子に近付いて言う。



「いい匂いやな、何作ってん?」


「簡単な朝食よ。信ちゃん、お腹減ったでしょ?」


「ああ」


 そう言って目覚めのキスを交わすふたり。

 この男、『信ちゃん』と呼ばれた筋肉質の男は馬場ばば信二しんじと言い、普段は土木関係の仕事をしている。偶然上司と共にやって来たクラブで裕子と知り合い、ひと目惚れした彼女が信二に猛アタック。今では店を変えて同棲生活を送っている。

 朝食の準備をし、キッチンのテーブルに座った信二に裕子が言う。



「ねえ、入籍は来年の春でいいけど、引っ越しはもっと早くできないかな~。早く信ちゃんと一緒に住みたいな~」


 柊木裕子が三十五歳で、馬場信二は年下の二十八歳。それでも甘え上手で年齢より若く見える彼女が、誘惑するように信二に寄り添うように座り尋ねる。信二はあまり興味がなさそうに朝食を口にしながら答える。


「うん、ああ……」


 裕子には焦りがあった。

 年齢もそうだが、信二は大の女好き。よく会社の同僚や上司と夜のお店に出掛けては朝まで帰って来ない。娘である架純は保護責任がある高校卒業までは面倒を見るが、それ以降はこの目の前の男と一緒になるつもりである。裕子が尋ねる。



「ねえ、いいでしょ~?」


 信二の腕に手を絡めて裕子が甘える。信二がコーヒーを飲んでから言う。



「お前んとこの、来年卒業だっけか?」


「うん、そうだよ」


 裕子は信二に嘘をついていた。

 高校生の子供がいるとは言ってあるが、女ではなく『男』と伝えていた。その理由は単純。



(架純の存在がバレたら絶対に手を出す。そして私は捨てられる……)


 女としての対抗心。裕子も年齢の割には美しく魅力的な女性であったが、十八歳と若く、自分よりスタイルも顔立ちも良い架純には敵わない。存在を知れば信二は架純に絶対興味を持ち、自分は捨てられる。



(それだけは絶対避けたい!!!)


 信二との新たな人生を夢見る裕子。その為に収入の多くを彼に貢いできた。このマンションの家賃も裕子が払っている。だから彼女にとって娘である架純は、不幸にも邪魔な存在でしかなかった。






 GWも過ぎ、時折半袖でも過ごせるような陽気になった五月中旬。架純は部屋にある鏡の前で、今日一緒に買い物に行く天馬のことを考えていた。


「はあ、こんな服しかないんだよね……」


 フード付きのパーカーに短パン。これですら古くなったジーンズを切って無理やり短パンにしただけ。服など買う余裕のない架純にとってお洒落など無縁の言葉。鏡に映った自分の姿を見て架純が思う。



(可愛い水着着て、天馬さんとプールとか行きたいな……)


 水着などスクール水着以外持っていない。もちろん今日だって水着など買うつもりはない。ただ彼と一緒に水着を選んだり、ショッピングセンターを歩いたりしたいだけ。それで十分。

 架純は両手で頬をポンポンと軽く叩いてから部屋を出て、隣の天馬のドアをノックする。



 ガチャ……


「おはよ、架純ちゃん」


 中から眠そうな顔の天馬が顔を出す。今日の買い物に緊張し、ほとんど眠れなかった天馬。睡眠不足のまま朝を迎えた訳だが、架純の顔を見た瞬間そんな眠気も一瞬で吹き飛んでしまった。


「おはようございます、天馬さん!」


 天使の笑顔。誰が何と言おうとこれは天使の笑顔である。



(こんな可愛い架純ちゃんと、俺みたいなおっさんが一緒に買い物なんてして本当にいいのかよ……)


 ピチピチで弾けそうな架純。対して自分は何の取り柄もないただのおっさん。天馬は怒られるの承知で架純に尋ねる。



「架純ちゃん、本当に俺みたいなおっさんと一緒で良かったの?」


 架純が黒髪を風に靡かせながらむっとして言う。


「私が誘ったんです! 怒りますよ」


「あ、ああ、ごめん……」


 叱られるのは分かっていた。だがどうしても聞いてしまう。架純が天馬の腕に手を絡めていう。


「さ、行きましょ。天馬さん」


「う、うん……」


 仕事のない土日。普段なら部屋でアニメやゲームをして過ごすだけの時間。嫌なことから一時的に現実逃避するだけだった休日。だが架純といると心から元気が沸いて来る。不思議と頑張ろうと思える。身に余る幸せを感じながら天馬が架純と共に駅へと向かう。






(すごい人混みだ……)


 基本オタ系の天馬にとって、駅前の休日の人で賑わうショッピングセンターと言うのは苦手な場所のひとつである。会社の仕事と割り切ればどこにだって単騎突入するが、私用であるこのような買い物には足が重い。架純がある一角を指差して言う。



「わあ、天馬さん! たくさん水着ありますよ!!」


「あ、ああ……」


 まず訪れることのないショッピングセンターの婦人エリア。更に下着とか水着売り場というものは、目を合わさずに避けるように通らなければならない聖域。当然だがそんな禁忌のエリアに架純はスッキプをするように向かう。



(水着、水着、女性の水着……、大丈夫、落ち着け……)


 視線を下に向け、天馬がその未経験のエリアへと足を踏み入れる。それでも視界に入る色鮮やかな水着達。気のせいかそこに居る女性達の冷たい視線が体中に突き刺さる。そんな天馬が思った。



(あ、そうだ! なにも一緒に選ばなくてもいいじゃん。遠く離れていて呼ばれたら行けば……)


 そう思って来た通路を戻ろうとした天馬に、その可愛らしい声が響く。



「天馬さーん、これとこれ、どっちがいいかな~??」


 恐る恐る振り返る天馬の目に、ピンクと真っ白なビキニを手に微笑む架純の姿が映る。爆発しそうなほど激しく鼓動する天馬の心臓。全身から吹き出す汗。どちらを着ても可愛いに決まっている。そんな簡単な言葉すら出ない天馬の元へ架純がやって来て言う。



「試着するんで、見てくれますか?」


 ビキニを持った架純が上目づかいでそう小さく言う。まるでふたりだけの秘密の会話。天馬の中でもう降参の白旗が頭上に上がる。架純は反応のない天馬を面白がるように試着室の前まで連れて行き、『ちょっと待っててね』と言ってカーテンを閉めた。



(やばいやばいやばい……)


 水着コーナーの試着室。無論周りはビキニなど女性物の水着で溢れている。男にとってこれほど居心地の悪い場所はない。

 天馬が下を向き、突き刺さるような視線を感じながら耐えていると、急にカーテンが開かれ中から笑顔の天使が現れた。



「……どうかな?」


(!!)


 真っ白なビキニ。それに負けないほどの絹のような美しい肌。着痩せする架純は水着をつけるとその大きな胸が驚くほど目立つ。眼前に頬を赤らめ恥ずかしがる黒髪の美少女。口を開けたまま見惚れる天馬が言う。



「すごい……」


 後から考えても酷い言葉。何が『すごい』のかすら分からない。そんな自分を見つめる天馬の腕を掴んだ架純。顔がの笑みと変わる。



 グイ!!


(え!?)


 突如腕を引っ張られ、試着室の中へ連れ込まれた天馬。同時に架純がカーテンを勢いよく閉める。



(え、えっ!?)


 されるがままの天馬に、ビキニの架純が密着し小声でささやく。



「天馬さんのえっち……」



 カシャ……


 更衣室の隅には目いっぱい伸ばした自撮り棒。その先に取り付けられたのはふたりをしっかり捉えたスマホのレンズ。



(やられた……)


 天馬の頭が真っ白になる。写真の写り具合を確認した架純が天馬の耳元で笑みを浮かべて囁く。



「天馬さんの弱点、頂きました~」


 狭い更衣室、密着する肌。脳天を刺激する甘い香りに間近のビキニ。

 そのすべてが天馬の脳を優しく破壊し、思考回路を停止させる。もうこの『悪魔ちゃんの罠』から絶対に抜け出せないほど魅了されてしまった天馬が、更衣室の中で力なく崩れていった。

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