9.天使ちゃんに介抱される?

(助けてくれ、守って欲しい……)


 天馬は自分の席に座りながら架純が発した言葉を頭の中で繰り返していた。色々と謎が多い女の子。言葉から察するに何かから追われているのだろうか。


(昨夜の高校生達……? いや、違うな……)


 あれはどちらかと言うと偶発的なトラブル。もっと何か根が深い要因がありそうだ。


(犯罪者の娘とか、何か秘密を知って組織に狙われているとか、いや、実は虐待を受けているとか……)


 自宅でアニメばかり観ている天馬の発想はどうも偏りがちになる。冷静に考えれば情報が少ない時点で、その想像は妄想の域を抜けない。単純に自分がからかわれているだけかもしれない。


(でも……)


『助けて欲しい』と言った時の彼女の表情。あれは決して冗談とかからかいの顔ではない。助けを求めているのは間違いないだろう。



(だけど、俺なんかに何ができるんだろう……)


 天馬は自分の手を握ったり開いたりして見つめる。喧嘩なんてできないただのオタキャラの自分に。



 トゥルルル……


 そんな天馬の耳に内線の電話音が入る。表示されている番号、それは役員である専務からの番号。いやな予感しかしない天馬がそっと受話器を取る。


「はい、西園寺です」


「西園寺君? すぐに部屋まで来てくれ」


「はい……」


 もうこの時点で嫌なこと確定。天馬は重い足取りで専務室へと向かう。




「B工業の案件、取れなかったって聞いてるか?」


 それは天馬が提案書と見積もりを出したB工業の新規プロジェクトの件であった。天馬が社長とも仲良くさせて貰っている会社なのだが、競合相手に競り負けたとのこと。全く知らなかった天馬が問い返す。


「まだ知りませんでした。負けたんですか?」


 専務はなぜ担当が知らないのかと言う不満そうな表情をして言う。


「負けたよ。何で担当の君が何も知らないんだ?」


「それは……」


 上司に連絡が入ったのだろうか。聞いていない。ただ最近架純のことばかり頭にあり、仕事に集中できていなかったのは事実。

 だがあの提案書。あれは重要な点を上司の見当違いな案に変更したものだ。間違いなくあれが原因だろう。そう思った天馬が専務に尋ねる。



「課長はこの件、もうご存じなんですか」


 専務が小さくため息をついて答える。


「知ってるよ。でも今件はすべて西園寺君に任せてあるって言ってた。もっとしっかり監督しておけばよかったと反省していたよ」


(何だよ、それ……)


 全責任をまるで暴走した自分のせいにされている。専務が再びため息をつきながらいう。



「B工業も変えるべきか……」


 それは残り少なくなった担当企業がさらに削られるという意味。天馬はただただ謝罪をするしかなかった。




「うそ~、何これ!? やだ~!!」


 自分の席に戻った天馬の耳に、女性社員達がPCの画面に映った何かを見ながら笑っている。愛想だけが良い後輩がその画面をのぞき込んで言う。


「マジ、ぱねえっすよね~」


 雑音が意味を持つと不快になる。その意味が心底どうでもいいことだと更に苛立ちが増す。

 天馬が戻ってきたことに気付いた彼らが、急に気付かぬようこちらを見ながら何か小声で話し始める。



(くそっ!!)


 天馬は席を立つと社外に出て、最寄りのコンビニへ行きコーヒーを買う。

 ストレス。苛立ち。歪な組織の中にいる圧迫感。だが生きていく為には耐えなければならない。何か大声で叫びたい衝動を我慢しつつ、手にしたコーヒーを一気飲みする。

 その夜天馬は、珍しく駅前の小さな居酒屋でひとり浴びるほど酒を飲み、泥酔状態でアパートへと向かった。






 まだ目が回る。体の感覚がおかしいと分かるほど酔っている。だけどそこそこ酒に強い体質だった天馬は、酔い潰れることなくアパートへ戻り階段を上がる。そこで部屋のドアの前で体育座りする黒髪の女の子の姿を見て思わず声が出た。


「あっ……」


柊木ひいらぎさん……)


 時刻は日付が変わる直前。終電ギリギリで戻った天馬は架純が待っていてくれたことに心からした。黙って飲みながらも頭の中は架純のことで一杯。女子高生になに期待してんだ、と自暴自棄になりながらもやっぱり考えてしまう。だから嬉しかった。架純がいてくれたことが。



「天馬さん!!」


 架純が足元がおぼつかない天馬に近付き体を支える。酒の臭い。母親から漂うその匂いは吐き気を催すほど嫌いだったが、なぜか今はそんなに嫌な気持にはならない。未だ理性がある天馬が尋ねる。


「柊木さん、どうしてこんな時間まで……?」


 酔ってはいるが間もなく日付が変わるほど遅い時間だと分かっている。架純が心配そうな声で言う。


「だって、連絡したけど全然返信がなくって、心配で……」


 後に知るのだが、架純は天馬へSNSで幾つものメッセージを送っていた。酒を飲んでいて全く気付かなかった天馬。結果的に彼女を心配させてしまった。架純が天馬の体を支えながら言う。



「大丈夫ですか、天馬さん? うちで少し休みますか?」


「うん……」


 架純がいてくれたこと。架純の声。酩酊状態だった天馬に正しく理性的な判断などできず、言われるまま架純の言葉に従う。



 ガチャ、バタン……


 架純と共に入った彼女の部屋の玄関。以前『虫が怖い』と言ってやって来た時以来である。天馬は安心したのか酒が回って来たのか、急に体に力が入らなくなり玄関で横になる。



「お水、持って来ますね!」


 架純はそんな彼を残しキッチンへと水を取りに向かう。



(あー、くそっ……)


 やはり酔いが強いのか疲労と眠気が同時に襲い、遠くなる意識の中で不意に今日の仕事のことが思い出される。悔しい。悔しいけど何もできない。漠然とした将来への不安。怖い。天馬の目から自然と涙がこぼれ、体を丸めるように小さくする。



「天馬さん?」


 水を持って来た架純はそんな彼の姿を見て、ゆっくりとその近くに腰を下ろす。


(涙……)


 真っ白で細い指で天馬の涙をそっと拭った架純は、彼の頭を自分のの上に乗せ小さく言う。



「大丈夫だよ……」


 そう言いながら天馬の頭を優しく撫でる。


(なんだろう、これ。すごく安心できる……)


 半分意識のない天馬は経験のない心地良さに体の力がすっと抜けていく。架純に迷惑をかけている。頭のどこかでそれを認識しながらも、それ以上の強い何かが彼の心を乱さないように包み込む。架純が天馬の頭を撫でながら言う。



「大変だったんだね。いっぱい頑張ったんだね……」


 心地良い声。優しい心。玄関の小さなオレンジ色の明かりが灯るだけの薄暗い空間。天馬は流れ落ちた涙とともに徐々に意識が消えていく。



「天馬さんの弱点、また見つけたよ」


 架純は眠ってしまった天馬にそう小さく言う。

 天馬と架純。初めて一緒に過ごす夜が静かに更けていく。

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