8.天使ちゃーん、ピーンチ!!

「おはようございます……」


 始業時間を大幅に遅れた出社した天馬。皆、挨拶は返してくれるものの冷たい視線を天馬に向ける。社会人としてあってはいけない遅刻。すぐに上司の元へ行き謝罪する。


「すみませんでした。ちょっと眩暈がして休んでいて……」


 がしたのは事実。体調不良ではない『女子高生要因』によるものだが。上司がため息をつきながら言う。


「まったく。しっかりやれよ……」


 面倒臭そうな視線。だが今の天馬には何も言い返せない。再び謝罪してから天馬が自分の席に着く。



「おはようございます。西園寺さん」


 斜め前に座った愛嬌だけはある後輩。天馬が担当していた顧客の多くを今彼が受け持っている。


「おはよ」


 心底どうでもいい相手。そして更に苛つく言葉を投げかける。



「今日のトイレ掃除って、西園寺さんですよね」


「……」


 先の社内体制変更の中で、経費節減の為に外部委託していた社内清掃を社員で行うことになっていた。その一環としてトイレ掃除があり、今朝の担当は天馬であった。


「……ああ」


 不満そうな顔で立ち上がる天馬。後輩はすぐに周りの席にいる女性社員とくだらない会話を始める。年上の女性社員からすれば可愛い弟のような存在。ただでさえうるさかった職場に更に雑音が増える。天馬は黙ってトイレ掃除へと向かった。






「はあ……」


 自分の責任もあるのだが、本当に会社へ行くとため息しか出ない。帰宅の電車に乗る頃には心身ともに疲れ果て、疲労のみが蓄積されていく。

 夜の駅。同じように疲れた顔をしたサラリーマン達が無言で電車から降りて行く。無機質で灰色の世界。繰り返されるつまらない日常。ストレス、無気力感。そんな毎日に彩色を加えてくれるのが黒髪の女子高生。



(まあ、いないよな……)


 自然と架純を目で探すようになっていた天馬。今日は既に二十時を過ぎており、女子高生がひとり歩く時間でもない。天馬は空に瞬く星を一度見上げてから歩き出そうとする。



(え?)


 その瞬間、が彼の腕を強く引っ張った。

 架純かと思った天馬が振り返ってみるが誰もいない。だが引っ張られるというか、体が何かの力で駅裏の薄暗い通りへと導かれて行く。



「あっ」


 天馬がその光景を見て小さく声を上げる。

 そこには数名のチャラそうな男子高生に囲まれ、困った顔をする架純の姿があった。




 それより少し前。天馬に会いたくてひとり夜の駅で待っていた架純に、チャラい男子高校生数名が声を掛けた。


「ねえ、誰か待ってるの? ちょっとあそぼーよ」


 茶色の髪。着崩した制服。風に乗って匂う下品な香水に煙草臭。架純はそんな彼らを無視し場所を移動する。男子校生達がその後について来て言う。


「な~に、誰も来ないんでしょ? 俺達と遊ぼうよ~、楽しいからさー」


 架純はそれでも無視をし、また場所を移動しようとして歩き出す。だがそんな逃げようとする彼女の鞄を男のひとりがひょいと奪い、言う。


「さー、行こうぜ、行こうぜ!!」


 鞄を奪われた架純が少し大きな声で言う。



「ちょっと、やめてよ!! 返してよ!!!」


「きゃははは~っ!!」


 周りの人達は、夜の駅で屯って騒いでいる高校生を横目で見ながら無関心に過ぎて行く。男子高生達が駆け足で駅の裏通りへと移動。架純も仕方なしにそれを追いかける。



「ねえ、返してよ!!」


 人通りの少ない駅裏。必死に鞄を取り返そうとする架純に、男子高生達は笑いながら言う。


「あ~、可愛い~。一緒に遊んでくれたら返すよ」


「ふざけないで。通報するわよ!!」


 真剣な架純の目。だが予想外の男子高生の行動に一瞬怯む。



「えっ!?」


 茶髪の男子高生が架純の肩に手を回し耳元で言う。


「高校の同士、通報なんてしても誰も相手してくれねえよ」


 そう言って架純の髪の臭いを嗅ぐ男を感じ体がブルッと震える。別の男が架純の腕を握り笑いながら言う。



「そー言うこと。そんじゃ、行こっか」


(やだ、いやだ……、怖い……、天馬さん……)


 涙目になる架純。居るはずもない天馬の名を心の中で呼ぶ。そしてその声が裏通りに響いた。




「おい!! 何やってる!!!」


(え?)


 架純が瞬時に声のした方へと顔を向ける。



「天馬さん!!!」


 男子高生達も一斉に裏路地に立つひとりのサラリーマンに目を向ける。架純が隙のできた彼らから自分の鞄を奪い、一目散に天馬の方へと駆け寄る。


柊木ひいらぎさん」


「天馬さん!!」


 架純はすぐに天馬の後ろへと回り、怖いのか彼の服をぎゅっと掴む。男子高生のひとりが天馬に向かって言う。



「おい、おっさん。なに邪魔してんだよ。俺ら、その子とこれから遊ぶところなんだぜ」


 天馬が架純に尋ねる。


「違う、よね?」


 架純が首をブンブン大きく振って答える。


「違います!! あいつら私の鞄を奪って……」



「あー、そうなんだ!! そう言うこと言うんだ~」


 茶髪の男が不満そうな声を出しながら架純と天馬を睨みつける。天馬が架純に小声で言う。



「柊木さんは逃げて。俺が何とかするから」


 男子高生数名。喧嘩をしてとても勝てると思えない。それより喧嘩をしたら傷害沙汰だ。だが架純が逃げる時間ぐらいは稼げる。

 そう思い真剣な目で男子校生らを睨みつける天馬。架純が弱々しい声で言う。


「でも、天馬さん……」


 ぎゅっと服を掴んだまま動こうとしない架純。



「あー、面倒臭せー、行くぞ」


 ひとりのリーダー格っぽい男子高生が言った。数名は不満そうな顔をしたが、その男が歩き出すと黙ってその後をついて消えて行った。




(……良かった)


 非モテでほぼオタクキャラ。喧嘩なんてしたことないし、全く無縁の人生。絡まれている架純を見た時頭が真っ白になってしまったが、自分でも予想外の行動に出た天馬は彼らが去って行ったのを見て全身から力が抜けた。


「ありがとうございます!!」


「わっ!?」


 後ろに隠れていた架純が天馬に抱き着いて感謝する。

 手に触れる架純の柔らかい髪。甘い香り。反射的に彼女の腰に手を回した天馬が思う。



(こんなに小さいんだ……)


 自分を翻弄し続ける架純。触れてはいけない、軽はずみな行為が直ぐに通報案件の女子高生。その体は天馬が思っていたよりずっと小さく弱々しいものであった。天馬が言う。



「大丈夫だから。帰ろ」


「うん……」


 架純の目は赤く染まっている。怖かったのか、安堵したのか、それとも嬉しかったのか。その理由は天馬の知る由もないことなのだが、彼女が口にした言葉を聞いて自然と答えた。




「また、私をくれる……?」


「うん」


 赤かった架純の目から涙がこぼれ落ちる。



(やっぱり怖かったんだ……)


 そう思った天馬。

 だが架純が言ったこの言葉の意味を、約一年後に『本当の意味』で知ることになろうとはこの時の天馬は想像もしていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る