2.天使ちゃんの罠

「あー、全然頭に入って来ねえー!!」


 その夜、ひとりでアニメを観ていた天馬てんまが天井を仰ぎ小さく言う。

 タブレットの画面には二次元の可愛い女の子達がたくさん出て青春を送っている。いつもならそんな彼女達にすべてを忘れてのめり込む天馬だったが、どうしても先程会った隣の女子高生のことが頭から離れない。



「スマホ、本当に見たのか……??」


 天馬のスマホは不用心だがロックなどはしていない。拾えば誰でも見ることができる。三十二歳のおっさんのスマホなど誰も見たいとは思わないと天馬は油断していた。



「う~ん……」


 確かに昼過ぎに着信はあったようだ。不在着信になっていないところを見るとあの子が出た可能性が高い。ただ電話番号はフリーダイヤル。きっと何かの勧誘であろう。



「若い女性ってのはコールセンターの人か何かかな」


 そう思えば辻褄がある。名前だってよくよく考えればドアの表札に書いてある。常識ある大人なら人様のスマホを拾って勝手に中は見ないはずだ。


「あ、でもあの子、まだ高校生……」


 それにどうしてピンポイントで自分のスマホだと当てられたのか。これはやはり中を見ないと分からない事である。



「ああ!! ちょっと待て!? まさか俺の『お宝動画』も!?」


 とても人様には見せられない恥ずかしい動画。陰キャオタクの天馬秘蔵のコレクション。性癖丸出しのあれを万が一でも見られたと言うのならば、正直恥ずかしくて引っ越ししたくなるレベルである。



「ああ!!」


 ガン!!


 天馬は持っていたチューハイの缶を強くテーブルに置いて言う。



「だから『弱点みーつけた』なのか!! あれを見られて……」


 天馬が頭を抱えて蹲る。見知らぬ女子高生に恥ずかしすぎる性癖を知られてしまった。立ち上がった天馬がベッドの上にドンと寝転んで思う。



「女子高生か……」


 イメージ的にはちょっとでも会話したり触れたら検挙されてしまう存在。見ることはあるが全く住む世界が違っており、通勤時でもまるでモニター越しに見ている感覚だ。



「いや、隣に住んでいるってどういうことだ? 家族用じゃないだろ、ここ……」


 安くて狭いワンルーム。とても家族で住むような広いアパートではない。隣には確か同年代ぐらいの女性が住んでいたと思うが、この狭い部屋にふたりで住んでいるのか?

 天馬は起き上がりテーブルの前に座って残っていたチューハイを一気飲みする。



「あー、分かんねえ!! もういい、寝るぞ、寝る!!」


 天馬はほろ酔い気味のままベッドの潜り込み眠りについた。






(あんまり寝れなかった……)


 隣に女子高生が住んでいた事実を知った天馬は、妙な興奮に包まれてあまり寝ることができなかった。気付けば朝。寝坊はしなかったが眠気はいつも以上に強い。


「ふわ~ぁ……」


 朝の支度をして会社へ行くためにドアを出た天馬。大きな欠伸を終えると、隣のドアの前にもたれ掛かっている制服姿の架純に気付いた。

 欠伸が止まり、心臓の鼓動がばくばくと速まる。声を掛けるかどうか迷った天馬だがこの距離で無視はできない。



「お、おはよう……」


 架純は俯きながらドアにもたれ掛かっている。そして顔を上げ小さく言った。



「西園寺さん……、助けてください……」


「え?」


 朝から何を言っているのか分からない。自分の性癖を知られたのかどうか未確定の状況であまり絡みたくないと思ったのだが、『助けて』と言われて放っておく訳には行かない。天馬が尋ねる。



「どうしたの……??」


 架純はドアの間に立ち、そのドアの方を指差して震えた声で言う。


「部屋の中に虫がいて、怖くて……」


 泣きそうで青白い顔。女の子に『虫が怖い』と言われて張り切らない男はいない。天馬は『分かった』と言って架純の部屋のドアノブを握りしめる。だけど同時にあることに気付いて振り返り尋ねる。



「あ、そう言えば中に家族の方はいないの……?」


 早朝ではないとは言え、朝から彼女ひとりだとも思えない。架純は一瞬暗い表情を浮かべてから小さく首を横に振って言った。



「お母さんがいるけどほとんど帰って来ないの。実質ひとり暮らしのようなもの……」


 天馬は驚いた。女子高生が住んでいるだけでも驚きなのに、更にひとり暮らしに近い状態だったとは。天馬は小さく頷き架純の部屋のドアを開ける。



(暗い……)


 部屋のカーテンはしっかり閉められており、電気も消されているのでかなり薄暗い。玄関には女性物の靴やサンダルが少々。気のせいか甘酸っぱい香りが漂っている。天馬が尋ねる。



「どこにいるの?」


「うん、さっき床にいて……」


 暖かくなってきたので虫も活動し始める頃だろう。天馬は玄関に入ると床に両膝をついて周りをきょろきょろと見まわす。狭い廊下にバスにユニットや小さなキッチンが見える。

 床に両膝をついて虫を探していた天馬の耳に、突然架純の声が響いた。



「ああ!! ちょっと待って!! 下着置いたままだ!!!」


「は!?」


 天馬が振り返るより先にその横を架純が駆け抜け電気を灯し、になって床にあった何かを手で隠す。天馬は固まった。



(え!? パンツ、見えてる……)


 高校の制服。短いスカート。目の前でお尻を持ち上げた格好で四つん這いになった架純の下着がはっきりと天馬の目に映る。



 カシャ……


(あっ)


 天馬は恐らく悲鳴よりももっと聞きたくないその『機械音』を耳にして目の前が真っ暗になった。架純の少し前にはスタンドに置かれたスマホ。そのレンズがふたりをしっかりと捉えている。



「どれどれ~」


 架純はスタンドのスマホを手に取り立ち上がってその写真を確認する。唖然とする天馬。そんな彼に架純が笑顔で言った。



「弱点、ゲットだぜ~」


 そう言いながら見せられた写真は、『四つん這いになり顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする架純の後ろで、彼女の臀部付近をガン見する自分のだらしない姿』が映ったものであった。意味が分からず呆然としながら天馬が尋ねる。



「あの、虫は……?」


 架純が小さく舌を出しながら答える。


「ごめんね」


「え、ごめんて……」


 ようやくここに来て最初から騙されていたことに気付いた天馬。心臓がばくばく音を立てながら尋ねる。



「な、なんでこんなことを……?」


 架純が両手を後ろにして少し前屈みになって言う。



「架純ね、天馬さんのが欲しいの。たくさん……」


 天馬は理解できなかった。

 目の前の女子高生が言っている言葉の意味が。

 理解できない生物のその行動言語が。

 それでも天馬はずがずかと自分の領域に入って来る女子高生に戸惑いつつも、不思議と嫌な感じはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る