第57話 不安と焦燥と

 頭の片隅にゲージが浮かぶ。制限時間は五秒だ。

 金の女神像との接触も四回を数えたが秒数は増えていない。何ともケチくさい。 


 韋駄天足いだてんそくでは間に合わないと判断したオレは、制限解除リストリクションリリースを発動し、秒速三百四十メートル――音速でフィオナの落ちた穴に飛び込んだ。


 穴に入ってみると、なぜだか遥か下の方に光源があり、落ちつつあるフィオナの姿が多少なりとも見える。

 ありがたい! だが自由落下であれば速度は変わらず追いつけない。制限時間だけが無駄に過ぎるだけだ。ならば!


 オレは穴の壁を思いっきり蹴ってフィオナを追いかけた。

 音速を生かして追いついたオレは、大空洞を落ちつつフィオナをギュっと抱き締めた。


 さぁて、ここで問題が一つ。

 このままだとおそらく下に着く前に制限時間が来て、落下中にも関わらず、オレは激痛で身動きができなくなるだろう。


 地面に着く瞬間に回避行動を一切取れないオレはもちろん、一緒にいるフィオナも何もできずに地面に激突する。

 超回復スーパーヒールのあるオレはワンチャン生きられそうだが、フィオナは流石に無理だろう。

 勇んで飛び込んだはいいものの、どうしたものか。


 その時、オレの視界の隅に五メートルほどの、ちょっとした張り出しが見えた。巨大な岩盤が壁面から突き出しているのだ。

 だが、そこまでアバウト三十メートルは離れている。


 壁を蹴って移動しようにも土の層があったのは入り口だけ。

 虚空を落下しつつある今、足場になりそうな壁は無い。

 なら、どうやってあそこまで移動する?

 左腕でフィオナを抱いていたオレは、迷うことなく右手で剣を引き抜いた。


「届け、シルバーファング! 第一の牙、蛇腹剣ひきさくつるぎ!!」


 伸びきった蛇腹剣が岩盤に突き刺さる。

 よし、ギリ届いた。

 間髪入れず、オレは蛇腹状態を解除した。

 伸び切った剣が一気に縮まり、猛スピードで岩盤の上へとオレたちを運んでくれる。


 ズザザザザザザザ!!


 怪我のないようフィオナを胸でかばいつつ、巨大岩盤の上に自分の背中からスライディングしたが、ちょうど止まったタイミングで激痛が一気に襲ってきた。


「がぁぁぁぁぁあぁああああああ!!!!」

「テッペー? テッペー! 大丈夫? テッペー!!」


 痛みに悶えるオレを、泣きそうな顔のフィオナがゆさゆさ揺さぶる。

 その様子からすると、フィオナも無事だったようだ。 


 制限解除のリミットが来ると、生身の身体で音速を出す事によるしっぺ返しをこうして盛大に食らうわけだが、まぁフィオナが助かったからヨシとしよう。

 オレはフィオナの泣き声をぼんやり聞きながら気を失った。 

 

 ◇◆◇◆◇


 ――五分後。

 まだオレたちは巨大岩盤の上にいた。

 上手いことたいらな上に、オレたちが多少暴れたところでビクともしない程デカい岩なので、ここで少し休憩を取ることにする。

 

 フィオナの起こしてくれた焚き火を前に、腰ベルトに着けたパウチを開いたオレは、中から救命キットを取り出した。

 包帯と治療薬が数種類が入っているだけの簡易的なモノだが、なかなかどうして侮れない。


 これは、リーサと二人で旅をしていた時、念の為とオアシスの村・アーバスで入手したものだ。

 ユリーシャがいれば回復魔法を掛けてもらえるのだろうが、いつも必ずいるとも限らないからな。

 備えあれば憂いなしってヤツだ。


「ぁ痛っ……」


 オレは岩盤スライディングの時に擦りむいてしまったフィオナの左のふくらはぎを水で洗い流すと、そこに治療薬を厚めに塗り、包帯をグルグル巻きにした。

 鎮痛効果もあるという触れ込みだったので、これでユリーシャとの合流までは持つだろう。

 薬剤のせいでハッカ臭いのはご愛嬌だ。

 

「ごめんなさい、テッペー……」


 包帯を巻いた足を投げ出した格好のまま、フィオナが悲しげにつぶやく。


「無事だったんだからいいさ。それに落ちたのはただの事故だしな。気にするな。それより、ここでちょっと休んだら移動するぞ。リーサたちが心配だ。うぉ?」


 オレの見ている前で一筋涙が頬を伝ったと思ったら、フィオナはせきを切ったように激しく泣きじゃくりだした。

 慌ててそばに寄り添う。


「どうした? どこか痛むのか?」

「わた、わたし、こんな足手まといだから捨てられたんだ。テッペー、嫌いになっちゃったんだ、うああぁぁぁぁぁぁん!」

「ど、どどどどうした? 何のことだ?」

「だって! だって! ヴェルクドールに帰ったらテッペー、いなかったんだもん! わた、わたし、置いて行かれたの! わたし、テッペーに捨てられたんだぁぁぁぁ!!」


 あぁ、やっぱり傷になっちゃってたか。ユリーシャと二人、笑顔で再会したから平気かと思っていたんだが、やっぱり年頃の女の子だもんな。


 オレは足を投げ出し、子供のように泣きじゃくるフィオナを前に土下座した。

 フィオナがガン泣きしつつオレを見る。


「すまなかった! だが、フィオナを嫌いになった訳じゃない。それだけは誤解しないで欲しい」

「じゃ、じゃあ、何で! 置いて! 行ったの! 何で! 待ってて! くれなかったの!」


 フィオナが持っていた杖でオレを激しく叩きながら地団駄を踏む。

 オレはしばらく殴られるままになっていたが、フィオナが疲れてきたのを見計らって重い口を開いた。


「これ以上一緒にいるとお前を不幸にしちまうと思ったからだ」

「……ほぇ?」


 鳩に豆鉄砲。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のフィオナが、意味が分からずポカンとした顔をする。


「……どういうこと?」

「知っての通りオレは異世界人だ。オレのオリジナルの身体は依然いぜんとして向こうにあり、ここアストラーゼには魂だけで来た。つまりオレの今のこの状態は、女神の秘力を用い、この世界の物質――土だの水だのを使って作ったゴーレムにオレの魂を封じ込めたようなものなんだ。分かるか?」

「ゴー……レム?」

「もっとも女神の手によるモノだから、過去の傷跡からほくろの位置まで、オリジナルボディと寸分違わぬ出来になっているんだろうが、それでもこの身体は偽物でしかない。分かるな?」

「う? うん……」


 難しい話だが、核心の部分だと悟ったのだろう。ひと言も聞き漏らすまいと、フィオナが泣きやむ。


「オレがここに来たのはただの偶然だ。女神のたわむれによって選ばれ、この地に送り込まれた。ということは、女神がオレを不要だと思った瞬間にいつでも土塊つちくれに戻るだろうってことだ」

「え?」

「例えば、朝フィオナが起きたら隣で寝ていたはずのオレが土の塊になっていた。どうする?」

「や、やだよ、そんなの!」


 想像したのか、フィオナの顔がみるみる青くなる。


「女神の要望は勇者による魔王討伐だ。無事魔王を倒したら、その先オレは不要だろ? 充分あり得る話だ」

「絶対イヤ! ヤダヤダヤダヤダ!」

「な? オレが二の足を踏んだ気持ちが分かるだろう? どれだけ長くいたって、オレはこの世界にとって異物でしかない。フィオナの幸せを考えるなら、オレと一緒にいるべきじゃない」

「じゃ、じゃあやっぱりわたし、テッペーの傍にいちゃいけないの?」


 どうやらオレの話が理解できたらしく、フィオナの目に再び涙が溜まり始める。

 ちょっと怖がらせ過ぎちゃったかな。

 ゴメンな、フィオナ。

 オレは焚火の火の揺れる中、フィオナの頭を優しく撫でた。

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