第55話 脱落者
ティンバーは山間に築かれたにしては、それなりに大きな町だった。
ここは林業を
観光客誘致などは、まるで考えていない様子だ。
とはいえ、やはり林業に従事する労働者は家族単位で住み着くようで、商店や飲食店、酒場に教会、病院、そして子供たち用の学校等、最低限の設備はしっかり整っているようだった。
オーバル王国を出立した二日前。オレの首元で揺れるガイコツ人形はこの町に行くよう指示していたが、着いてみると特に魔族がいるような様子も無い。イベントが起きそうな気配もない。
朝早く町に着いたオレは、三人娘に必要品の補充をお願いし、自身は何か変わった話でも聞けないかと町の食堂へと向かった。
そこでオレは、驚くべきものを目にしたのだった。
「日の出食堂二号店……。漢字の看板だよ……」
店の入り口に白色の暖簾が掛かっていて、そこに実に達筆な筆字で『日の出食堂 二号店』と書いてあったのだ。
勿論、異世界転移して来る人は、多い訳ではないにせよ、いない訳ではない。
その中には帰れなくなった者だっているだろう。
だがこのタイミングでオレがこの店に出くわすのは、あまりにもできすぎている。
しばらく呆然として
「あぁ、すみませんね、お客さん。お店は昼からなんですよ。申し訳ありませんが、昼ごろまた出直して来てもらえますか?」
ちょうどお店のテーブルを水拭きしていた、薄水色のブラウスに白い生成りのエプロンを掛けた中年女性が手を止め、オレに向かって声を掛けた。
四十代半ばといったところだろうか。
それなりに整った顔立ちではあるのだが、化粧っ気もあまりなく、髪も無造作に後ろに束ねているだけなので、容姿の美よりも働く女性としての美しさが前面に出ているイメージがある。
だがこの女性、どこかで見たことがある……。
一瞬の回想の末その正体に思い至ったオレは、思い切って訪ねてみようと口を開いた。
そのとき――。
「何だい、お客さんかい? 悪いね。うちは昼からなんだ……」
後ろからの声に振り返ったオレの前にいたのは、五十代くらいの瘦せぎすな、優しそうな目をした男性だった。
一瞬で悟ったようで、男がオレを見て目を大きく見開く。
「あんた、まさか……」
「ひょっとしてキミは……」
男は真っ白なシェフエプロンを着け、髪を綺麗に角刈りにしていた。
どう見ても日本人だ。
これから仕込みなのか、手に持ったカゴの中に市場で揃えて来たらしい新鮮な食材が沢山入っている。
「オレは
「自分は
「やっぱり……」
「話したいことが沢山あるな。とりあえず店内に入ってくれないか。まだ開店には時間がある。ゆっくり話そうじゃないか」
「喜んで」
オレは殿村と固い握手を交わした。
◇◆◇◆◇
店内にいるのはオレと三人娘に、殿村と店員の女性の五人だ。
ありがたいことにまだ朝早いので、ゆっくり会話ができる。
オレは女性を見た。
恰好こそ違うものの、どう見ても
ということは、あの一番右のモニターが殿村のものという事で間違いないのだろう。
だが、あのモニターにはバツ印が印刷された紙が貼ってあった。
女神メロディアースも脱落したと言っていたから、勝手に魔物にでも殺されたのだろうと思っていたのだが、いやいやどうして、こうしてしっかり生きている。
どういうことなんだ?
「疑問に思うのも無理はない。まずは経緯を話そう。自分は元々浅草で洋食屋をやっていてね。若くして妻を亡くし、以来、一人息子を育てながら店を一人で切り盛りしていたんだが、無理が祟ったか、
「お子さんは?」
「うん。調理学校を無事卒業して、とりあえずはうちの店で経験を積んでってところだったんだがね。ただ店は残せた。ちょっと早いが、日の出食堂はせがれが盛り立ててくれるだろうさ」
優しい目をしている。
その口調からは、生き返るという選択肢が見えてこない。もう、現世への未練は無いということなのだろうか。
オレはズバリ訪ねてみた。
「なるほど、だから二号店なんですね、ここは。でも、魔王討伐による報酬で生き返ろうとは思わないんですか?」
全員の視線が集中する中、殿村はお茶でちょっとだけ唇を湿らせると、再び口を開いた。
「妻が死んで二十年。以来涙を堪え、息子の為にと必死に生きてきた。その息子もようやく一人立ちできた。もういいだろう? 自分の為に生きても。異世界アストラーゼにダガー一本で放り出され、彼女――フレイチェと出会ったとき、私はようやく解放されたと思ったんだ」
殿村が左に座ったフレイチェの右手をそっと握った。
フレイチェが言外に『いいんですよ』という顔をしながら殿村に向かって微笑む。
その様子は、まるで熟年夫婦のようだ。
そういえば女神メロディアースは、狭間の空間のガチャには、ひと目で恋に
殿村にとって、フレイチェが正にそれだったのだろう。
「とはいえ、生きて行く以上は何かしら稼がなくてはならないからね。私はフレイチェをパートナーに魔物を狩りまくって開店資金を貯めると、女神さまにリタイア宣言をして、この店をオープンさせたんだよ」
しばらく黙って聞いていたユリーシャがそっと手を上げた。
「何だね? お嬢さん」
「うん。お二人はその……想い合って……いるんだよね? その割には指輪とかしている様子も無いし……。結婚式とかはしないのかなぁって……」
思わず顔を見合わせた殿村とフレイチェが、揃って頬を染める。
二人とも純情なのだろう。何か面白い。
「いや、自分たちはそういう関係ではないというか……。そりゃ勿論フレイチェを想ってはいるが、自分はもうオジサンだし、バツイチだし。なぁ……」
「そ、そうです。私も若い頃主人を亡くし、以来、町の魔法使いとして一人で生きてきましたが、こんなオバサンが再婚だなんて……ねぇ……」
「き、キミはオバサンなんかじゃないよ! とても綺麗だよ。自信を持ってくれ」
「あ、あなただってオジサンなんかじゃないわ。とっても素敵ですわ」
見つめ合う殿村とフレイチェ。熟年カップルのイチャイチャ。
恥ずかしすぎて見ていられない。
「じゃ……そろそろ行こうか?」
「そう……だね、旦那さま。邪魔しちゃ悪いし」
「あんまり長居すると開店の準備に間に合わなくなっちゃうもんね、テッペー」
「お邪魔しましたぁ。センセ、待ってぇ!」
ごにょごにょと言い訳をしつつ店を出たが、殿村とフレイチェは最後までイチャイチャしていた。
ひょっとしたら、オレたちが店を出たことすら気付いていないんじゃないだろうか。
オレはふと思って、胸元のガイコツを見た。
――ひょっとしてお前が彼とオレを会わせたかったのか?
だが、
オレは軽くため息をつくと、空を見上げた。
まだ午前中だからか、空が青い。
まぁ脱落したところで、当人が幸せならそれでいいんだろうさ。
オレたちは再びパルフェに乗ると、次の町へと先を急がせるのであった。
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