第18話 ダンテールの朝市

 ラフタを出て二日後。

 安宿の一室で朝を迎えたオレは、部屋の窓を開けると、外から漂って来る潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 鼻孔に潮の香りが広がる。

 思わず、学生時代に泊まった海沿いに建つホテルを思いだす。


 当時親しかった女の子と二人で行ったのだが、チェックアウトしたらホテルのロビーで別の女の子が待ち構えていて、大騒動になった。


 罵り合いから取っ組み合いの大喧嘩に発展したから、呆れたオレは二人を置いてとっとと帰宅したんだが、何でそんなことになったのかいまだに分からねぇ。

 彼女でもない女の子二人が揃ってくんずほぐれつ喧嘩してるんだぜ? 何のためにさ。恥ずかしいったらありゃしかったよ。全く困ったもんだ。


 ま、若かりし頃の述懐はさておき、ここはダンテールという名の結構大きめの港町だ。


 まだ地図を入手していないのだが、位置的にはおそらくヴェルクドールの南東になるのだと思う。

 日本のように、陽が東から西へ移動するのであればだが。


 オレがこの港町に来たのは、ただの行き当たりばったり……ではあるのだが、実はそれだけでは無い。

 魔王討伐と追手からの逃走を兼ねて、別の大陸へ移動する必要があると思ったからだ。


 フィオナと別れる必要まであったのかって?

 だってオレ、フィオナ相手に散々タネ、蒔きまくっちゃったもん。


 違うんだよ。

 フィオナとは旅の途中でそういう関係になったものだから、当然避妊具なんて用意しているはずないだろ?

 それに、いざ夜戦やせんって時にそんなこと考えてたら気持ちが冷めちゃうじゃん。そこは一つ、流れに身を任せてだな……。


 つーか、そもそも論として、オレは魂のみでこの世界に来たんだよな?

 ってことは、今のオレの身体って、女神メロディアースさまの秘術によって異世界に来てから受肉した、いわばコピーみたいな物だと思うんだよ。


 勿論、女神のやる事だから塩基配列やら古傷の一つ一つまで完璧に再現されているんだろうけど、それでもやっぱりオリジナルはまだ地球に厳然として存在してるわけでさ。

 そんなオレの種が万が一芽吹めぶいたとしたら、その子は果たして本当にオレの子なのか?

 その命題が解決するまでは、軽々に認知とかするわけにはいかないのだよ! 


 ……まぁそれはそれとして、下半身が自由を謳歌おうかしたがるタイプのオレとしては、機会があれば方々に種を蒔くけどね。


『お主、本当に最低じゃのう』

「放っとけ!」


 オレは突如頭の中に響いた女神メロディアースさまの声にツッコミを入れると、朝飯を食べるべく市場へと向かったのであった。


 ◇◆◇◆◇


 ここの市場は、よく旅番組で見る海外の市場とかをイメージしてくれれば分かりやすいと思う。

 ほら、屋根だけの建物の下で、露店がビッシリ並んでいるじゃないか。あれあれ。 

 ただし、ここの市場はそこらの球場並みの広さがあった。


 行ってみると朝早いというのに結構な賑わいで、肉や魚介だけでなく、近隣で採れた農作物も持ち込まれているようだった。

 

 こういうのを見るとなぜだかワクワクしてくるので、朝食処を探しつつ人の流れに乗って散策することにしたのだが、なにせ広い。

 だいたいのエリアに分かれてはいるんだろうけど、衣類や絨毯、工芸品、果ては小物アクセサリーまで売られている。

 まさに何でもござれだ。

 しかも、立って呼び込みをする店もあるし交渉も盛んだしで、各所で朝からかなり騒々しい。


 思わずニヤニヤしながら露店を見つつ市場の中を進んでいくと、鼻孔を刺激する美味うまそうな香りが漂ってきた。 

 鼻を頼りに奥へ奥へと進んだオレは、やがて、ズラリと屋台が並ぶエリアに辿り着いた。


 こいつは凄い。

 どの店も、店舗前のベンチに座って食事をとる形式らしいが、焼き系やら包み系やら煮込み系やら麺系やらスィーツ系やら、いやもう、とにかく店があり過ぎてどこに入ればいいのかさっぱり決めきれない。

 だってどの店からも、美味そうな匂いが流れてくるんだぜ?


 しばらく悩んで食堂ストリートを行ったり来たりしていたオレは、不意に後ろから左の袖を引かれた。

 振り向くと、白いフード付きマントを顔が分からぬくらい深々と被り、背中には大きめのリュックを背負った、身長百五十センチくらいの小柄な冒険者が立っていた。


 胸元に女神の使徒の証たる、女神の横顔をかたどったネックレスをつけ、左手には二メートルはあろうかという銀色の錫杖しゃくじょうを持っている。

 ここ、異世界アストラーゼにおける聖職者――メロディアス神教徒の典型的な格好だ。

 そうやってフードで顔を隠す決まりなので年齢性別共に不明だが、基本、悪人は存在しない。だって坊さんだもんな。


 一瞬フィオナかと思って焦ったが、違うと分かったので聞いてみることにする。


「坊さん、何か用かい?」

「あんた、おのぼりさんだね? 何を食べるか迷っているならこっちの煮込み屋台にするといい。この地方名物のサムラのあら汁が食べられるよ」


 風邪でもひいているのか、幾分しわがれた声が返って来た。

 爺さんか婆さんか分からないが、まぁとりあえず坊さんだ。


「サムラ?」

「この近海で獲れるエラの張った魚さ。出汁だしが濃厚で美味いんだ」


 言われて屋台を見てみると、確かに美味そうな匂いが漂っている。

 どうやら結構人気のある店らしく、店前の五人掛けベンチが二つともほぼ埋まっているようだ。


「なるほど、こりゃ確かに美味そうだ。サンキュ、坊さん。んじゃ、おススメのあら汁で朝飯とさせて貰うよ」


 オレは坊さんに礼を言うとベンチに座った。

 が、なぜだか坊さんもオレの左隣に座る。


「何だい、坊さんも朝飯かい?」

「あぁ、まぁね。親父さん、私にはサムラの串焼きを二本と単品でサムラのあら汁を一杯。こちらの兄さんには、あら汁定食を頼む」

「毎度あり!」


 果たして――。


 わずか一分で供された料理は、そりゃあ美味かった。

 サムラは白身魚で、それが焼いてほぐされ、たくさんの野菜と一緒に塩味えんみ系の澄まし汁にぶち込まれている感じだ。

 腹の中から温まる。


「こりゃ美味ぇ!」

「一杯目はそのまま野菜中身に食べな。あぁ、汁は残すんだ。二杯目で麺を追加注文するんだよ」


 オレは坊さんに言われるがままに麺を追加した。

 魚介系塩ラーメンが異世界で食べられるなんて! 美味ぇぇえ!!


「くあぁ! 坊さんの言う通りだ。こりゃ美味ぇな……あれ? いない」


 気付くと隣に座っていた坊さんがいなくなっていた。

 自分の分の朝食を食べ終わったので、とっとと帰ったのだろう。


 にしても大当たりだったぜ、この食事。坊さんには感謝だな。じゃ、腹も膨れたことだし、とっとと勘定を済ませて隣の大陸に渡れる船を探さないとな。

 オレは屋台に貼られた値段表を見つつ財布を漁った。


「えっと……十二リンか? ほいよ」

「お客さん、二十リンだ。足りないよ」


 店主の親父が困った顔をする。


「え? 何で? だって『あら汁定食・十リン』って書いてあるぜ? 替え玉が二リンだろ? それなのになんで二十リンになるんだよ。まさか、お上りさんと知ってボッタくるつもりか?」

「そうじゃない。お連れさんの食べた分だよ」

「……はぁぁぁぁ??」 


 ……やられた。あの坊さん、オレの連れのように振舞って朝飯を食い逃げしやがった! たった八リンではあるがかなり悔しい!!


 とはいえ、ここで騒動になってもつまらないので、オレは坊さんの食った分まで支払って店を出た。


「あんにゃろう、どこへ行きやがった!」


 さっきまでの上機嫌はどこへやら。

 朝からプリプリしながら、乗船券売り場へと向かうオレなのであった。

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