第20話 ルーの疑問(1)
ルーは前々から思っていたことがあった。
この店で働き始めてもうひと月が過ぎようとしている。「仕事」などこれまでにしたことが無かったルーにとって、この店での体験は何もかもが新鮮で楽しかった。
品出し、配送検品、お掃除、そして、レジ接客。
このような直接的にお客様との交流に関わる仕事はその反応がダイレクトにお客様の行動となって返ってくるため、やりがいがあって自身がした行為の成果を非常に感じやすい。
レジ接客など最たるもので、お客様と言葉を交わすと、「ありがとう」と声をかけてもらえることがある。
「ありがとう」は、感謝を示す言葉だ。
本来は商品を買ってもらった店側、つまり、自分が言わなければならない言葉であり、接客マニュアルによって指導を受けた際も、レジ接客の最後と、お客様が退店なさる時に、「ありがとうございました」と声をかけるようにと習った。
なのに、買ったお客様の方が「ありがとう」と言って帰ることがあるのだ。
――どうして私は「ありがとう」と言われているのだろう?
と、言うのが率直な疑問だった。
「――そうか……、なるほどなぁ」
と、エルトはルーの質問に返してきた。
「おかしくないか? 私が言う方のはずで、言われる理由が良く分からんのだ。お金を払っているのは客の方で、明らかに『損』をしてるのは向こうの方なのに、どうしてなんだ?」
と、ルーがかぶせる。
確かに、お客様の中には店員に対して「ありがとう」と声をかける人があちらの世界でもそこそこいた。こちらの世界でもそれは同じだ。
商売というのは基本は『等価交換』と言われることがあるが、実はそれは間違っているとエルトは考えている。
どうしてかと言えば、商品自体の『原価』は明らかに『売価』より低い。厳密にかかったお金の分を代金とするなら、『原価』=『売価』であるはずだ。と言えば、すぐに反論が沸き起こることだろう。
原材料費=売価であるなら、その原材料を加工して商品にする人件費はどこに行った? という反論だ。
当然のことである。
仮に、「りんご一つ」を例にしてみるとしよう。
そしてその「りんご一つ」を何も加工せず、木からもいだままの形で店頭に並べると仮定した場合、木からもいだ時と、店頭に並ぶときに「りんご」自体には何も変化はない。つまり、「りんご」そのものの価値は何も変わっていない。どころか、もしかしたら「鮮度」が落ちている分、価値は「下がっている」可能性すらある。
が、店頭で販売している「りんご」と、産地で販売している「りんご」では値段が違う。産地で販売している方が、いくらか価格が低いのだ。
理由は明白で、産地から店頭に移動するためにさまざまな「人」がそこに介しているため、彼らの仕事に対する「報酬」が乗ってくるからである。
これを「経費」という。
つまり、店頭価格=原価+経費、ということになるわけだ。
ここまではいい。
だが、ここで言う「経費」は店に移送するにあたっての経費であって、店頭で販売するにあたって店の従業員たちに支払う「報酬」や、店を維持するための「経費」は含まれてない。もちろん、エルトの報酬もだ。
この店で発生する経費を「販売経費」、そして、輸送にかかる経費を「輸送経費」と定義するとしよう。
なので、
店頭価格=原価+輸送経費+販売経費
ということになるわけだ。
この時点ですでに、「りんご一つ」の値段は「りんご数十個以上」の値段へと上がっているわけだが、もちろんそんな値段で買う人などまず誰もいないだろう。
その為、輸送する際に「一つ」ではなく「複数個単位」で行ったり、一人ではなく数人で手分けして運んだり、「りんご」だけではなく他の野菜や果物と「一緒にまとめて」運んだりして、一つ当たりにかかる経費を下げてゆく。もちろん、店に様々なものが並んでいるのも同じ理由によるものだ。
こうして「店頭販売価格」が導き出されるというわけだ。
「――それは私にもわかる。でも、それでも、払うお金の方がかかった経費より高いのは事実だろ? たとえば、その「りんご」をここで二日前に買ったとして、全く同じ値段で今日誰かほかの人に売る事なんてほぼ不可能だ。だって、ここで今日買う方が新鮮だからな。つまり、買った瞬間からお客の方は損をしてゆくことになるじゃないか」
ルーの言う通りだ。
基本的に客の方は、損をしていることに変わりはない。
「なのに、どうして礼を言ってくれるんだ? それがわからないっていう話だろ?」
と、ルーがまくしたてる。
「そうだったね。どうして損をしているとわかっているのに、御礼を言ってくれるのかってそういう話だよね?」
と、エルトが返してくる。
このあと、エルトがルーに話してくれた内容に、ルーは目から鱗が落ちることになった。
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