第2話


 あれから、私は毎晩吸い寄せられるように、あの場所に通い続けている。昨日で四日目か。



 いつも同じ時間にあそこへ行くと、あの男がいる。いつもどおり、体育座りをして。



(でも、まだ名前すら聞けてない)



 私があの男とする会話といったら、まったく意味のないものばかり。会話なく、ただ座っているだけの時もある。


 それでも。


 無言にも動じず、独特の空気を持つあの男に、私の心臓はドクドクと高鳴り出す。



 この感情が何なのか分からない、などと無垢なことを言うつもりはない。



 これは“恋”。



 未経験でも、そのくらいは知ってる。


  

 伊達に二十年も生きてはいない。



 では何故あんな男に恋をしたのか。



 さあ。分からないけど、私に対して、極めて“普通”だからなのか。



 何か、似た者同士特有のシンパシーを感じる、とでも言えばいいのか。



 あの空間だけは、私達二人だけのもの。


 

 そんな大切な時間になりつつあった、矢先――――




「明日は、来れないから」

 


 無情な一言が、私を貫いた。


 思った以上のダメージ。



「な、何で?」



 思わずどもってしまった。



「用事があるから」



 『私と会うことよりも、大事な用事?』などと問い正せる立場でないことは承知している。



「そう」



 だから平静を装った。


 彼と私は、特に何の間柄でもない。ただ同じ時間に、公園に居合わせるだけの関係だから。少なくとも、彼の中では。




 

(落ち着かない)


 次の日、オンライン授業が終わって、一人暗幕のような分厚いカーテンを閉めきった真っ暗な自室で、鉄分入りのコーヒーを飲みながらコツコツと爪の伸びた指でテーブルを叩く。


 “用事”とは何なのか。


 五日間連続で会っていたから、もしかすると向こうも私に興味があるのではと、少し期待していなくもなかった。


 しかしよく考えると、それまで気付いていなかっただけで、彼は前から毎晩あそこにいたのかもしれない。


 あの満月の夜、たまたま小石をぶつけなければ、今でも存在を知らないままだったのかも。


 私は彼の一人の時間を邪魔していて、それに嫌気が差した彼が、とうとう場所を変えようと考えたのかも、という考えが過って頭を抱えた。



(ヤバい。……末期だ)



 すでに、相当彼のことが気になっていると自覚した。






 その夜。


 居ても立っても居られずに、家を飛び出した。


 いつもの場所に向かう。と言ってもほとんど家の裏だから、すぐに着いた。



 風もなく、しんと静まった暗闇。



 随分涼しくなって、虫の声もあまり聞こえなくなった。



 彼に出会うまでは、ここは私の憩いの場だったのに。



 今は何とも淋しげな風景に見えるのは、彼の存在が私の中で大きくなったから。



 しばらく、いつもの場所に座って待っていた。


 ご主人様を待つ忠犬ハチ公みたいに。



 二時間経って、さすがに来ないかと思って諦めた。


 『来れない』と言っていたのだから、そりゃあ来ないだろう。馬鹿か、私は。



 パッパと服についた草を払って、私は歩き出す。


 でも何となく家には帰りたくなくて、通りに向かって歩いた。彼に会えない寂しさを紛らわせる何かを求めていたのかもしれない。


 彼に『血に飢えた野獣みたい』と言われてから、夜もカラコンをつけるようにしたから、人前に出ても問題はない。



 彼は何故か、私の正体を聞いてこなかった。


 普通の人間じゃないと思っているだろうに。



(どうでもよかったのかな)



 何を考えているのか分からないところが彼の魅力なのだから、それでいいと思っていたけど。


 彼は、また現れるだろうか。


 彼を想い続けるのは、私の自由。

 

 愛のない結婚をするであろう私が、人並みの恋をするのにバチは当たらないはずだ。


 



 なんてことを考えながら通りを歩いていると、段々と人通りが多くなってくる。


 いつの間にか、遠くまで来てしまっていたようだ。



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