Different 3 カイト 【交流】

 国というものが崩壊し、戦争による環境汚染により農業・漁業・酪農が壊滅状態になった時期があった。

 しかし世界政府の遺伝子組換え・クローン技術によって回復し、パンツァーの普及によってインターネット通信が一層進化したことで、現在はライフラインが安定している様子だ。

 ただ、新たな問題も出てくる。

 支給品が富裕層にしか届かないことだ。

 インターネットが出来る環境を持っていない貧困層にとっては致命的で、彼らは富裕層にお金を払って支給品を入手する方法しかない。

 これが常識のある商売ならまだいいが、なかには高値で売りつける輩もいるようで……。


「酒とつまみの缶詰、高すぎだろ!! ひとつ10ドルってなんだよ!! ぼったくりもいいところだぜ、あのスーパー!!」


 酒に酔った勢いでわめき散らすクロガネを、俺はサバの缶詰をつまみながら愚痴を聞く。

 簡略にまとめると、クロガネが拠点としているこの町は、金にがめつい町長のせいでほとんどの物価が高いらしい。

 ただ酒場に関してはマスターがうまく商談しているおかげで、安い価格で提供されている。


「そんなに不満なら拠点を変えればいいんじゃないか」

「そうしたいのは山々だが、ほかのところだと酒の値段が高いんだよなぁ〜」

「……どんだけ酒が好きなんだよ」


 酒が飲めない俺にはよくわからない。

 でも、クロガネにとっては重要なことなのだろう。

 するとクロガネが拗ねた様子で、俺に質問してくる。


「そういうおまえは好きな物とかねぇのか? カイトぉ〜」

「……好きな物」


 そんなことを聞かれたのは久しぶりだ。

 好きな物……か。

 子どもから好きだったあの食べ物か。戦争になってからは見なくなってしまった――。


「おにぎり」

「おにぎりぃ〜?」

「母さんが日本人だったからよく食べてた。米は“日本産”にこだわってたな」


 いろいろな具材が入っているのも美味しかったが、俺はシンプルな塩むすびが一番気に入っていた。

 その話をすれば、クロガネは「わかる」と何度もうなずく。


「塩むすび、地味だけど美味いよな」

「クロガネも食べたことあるのか?」

「世話になった人が日本人で、食卓によく出てた。こだわりの強い人で、塩むすび一択だったな。あと黄色い沢庵たくあん。たまに味噌汁とたまご焼きが出てくる日もあったけどな」


 楽しそうに話すクロガネに、俺の心がだんだん暖かくなっていく。

 そういえば、こうやって人と向き合って会話するのは久しぶりだ。

 抱かれて終わりだったり、相手が一方的に話すだけだったような気がする。

 こういう日常的な話を振られたこともなかった。

 いままでの出来事を思い返していると、クロガネの声がだんだん小さくなっていく。

 視線をやれば、前屈みでうつらうつらしていた。

 俺はクロガネから酒の入ったコップを没収する。


「まだ酒入ってるだろ〜」

「ダメだ。寝落ちして割ったら危ないだろ」

「か〜え〜せ〜」

「ちょっ……」


 コップに手を伸ばしていたクロガネだが、酔ってふらふらしているせいで体勢を崩し、俺を押し倒す形になってしまった。


「重ッ!! どけって……」


 クロガネを押し返そうとするが、まったく動かない。

 不意にクロガネの手が、俺の顔に触れる。

 皮の厚い、カサついた指……軍人の手だ。

 軍人。その単語が出てきた瞬間、俺の体は無意識に強張る。

 すると、クロガネはぽつりとつぶやいた。


「やっぱきれいだな〜」

「……なにが?」

「おまえの髪と眼」


 俺の髪と眼を「きれいだ」と言うクロガネに、俺は驚く。

 俺は自分の髪と眼があまり好きじゃない。

 人体実験による代償だからだ。

 それを、きれい……だなんて。

 クロガネの手が俺の頭をなでる。

 そのせいか俺の顔がだんだん熱くなっていくし、心臓の鼓動も大きくなる。


(なんだ……これ……)


 初めての感覚に俺が戸惑っていると、クロガネの顔が近づいてきた。

 思わず身構えるが、クロガネの顔は真横に逸れ、そのまま床に突っ伏してしまう。


「……クロガネ?」


 名を呼ぶも、返ってきたのはいびきだった。

 唐突な寝落ちに、俺はため息をつく。

 クロガネを退かし、空き缶とコップを片す。

 俺がガタイの良いクロガネを持ち上げることはできないから、せめて毛布を掛けてあげた。

 まだ眠くなかった俺はソファーに座り、ヴィルトゥエルの整備をするためタブレットを起動した。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 いつ寝落ちしてしまったのか、目が覚めたら朝になっていた。

 上体を起こすと、なぜかクロガネに掛けたはずの毛布が俺に掛かっている。

 それをじっと見つめていると、「おはよーさん」とクロガネに声をかけられた。


「ちょうど朝飯が出来たところだ。一緒に食おうぜ」

「朝飯……」

「ああ、その前に顔洗ってこい。洗面所はすぐそこだから。歯ブラシも予備があるから勝手に使っていいぞ」

「わかった……」


 クロガネに言われて、俺は洗面所へ向かう。

 顔を洗い、ホテルから持ってきただろう封の切れてない歯ブラシを使って歯みがきをした。

 戻ってくれば、卓上には朝食が並べられている。

 トーストされた食パン、焼いたベーコンと目玉焼き、マッシュポテトが盛られた皿と、コーヒーが置かれていた。


「クロガネが作ったのか?」

「マッシュポテト以外はな。作ったって言っても焼いただけだ」

「たまごなんて現代いまだと高級品だけど……。どうやって手に入れたんだ?」

「ああ、それ牧場区域護衛任務の報酬でもらった」

「牧場区域護衛任務?」


 なんだそれ? と、俺が問い返せば、クロガネはトーストをかじりながら答える。


「家畜泥棒から家畜を守る仕事だ。近年だとパンツァーを使う輩まで現れているからな」

「家畜を奪ってどうするんだ?」

「独占するか商売するかのどっちかじゃねえか」

他人ひとから奪ったもので商売するのか?」

「いろんな人間がいるんだよ」


 クロガネはマッシュポテトを頬張る。

 俺はトーストに目玉焼きとベーコンを乗せて食べた。


「クロガネって傭兵なのに、どんな仕事もやるんだな」

「どんな依頼も引き受ける“なんでも屋”だからな」


 自信満々に言うクロガネに、俺はどんなリアクションをすればいいか悩む。


(すごいと言うべきなのか、普通と言うべきなのか……)


 食べながら考えていたとき、けたたましいほどの呼び鈴が鳴り響く。

 クロガネのほうを見れば、苦々しい表情を浮かべて席を立つ。重い足取りで玄関へ向かう後ろ姿を見守る。


「はいはい、なんで――」

「おはようございます!! クロガネさん!! 今日もマッシュポテトのお裾分けに来ました!!」


 クロガネの声を遮り、ハイテンションな女性の声が部屋中に響き渡る。


「おはよう、アンナ。マッシュポテトだけど、一昨日の分がまだ残ってるから気持ちだけ受け取っておく。それじゃ……」

「昨日遅く帰ってきましたよね? 洗濯物とか溜まっているんじゃないですか?」

「溜まってない!!」


 玄関で押し問答を繰り返すクロガネと、アンナという女性。

 明らかにクロガネは嫌がっているのに、相手はなにがなんでも世話をしたい様子だ。


(ちょっと手助けしてやるか……)


 俺は足音を立てずクロガネに近づいて声をかける。


「なにしてんだ? クロガネ」

「カ、カイト?」


 クロガネが勢いよく振り返る。

 取り込み中、と言う前に、俺はクロガネを退かす。

 玄関には赤毛のボブヘアとそばかすが特徴な女性……この人がアンナか。見た感じ俺より年下だな。

 俺という邪魔者が現れたことで、アンナはいぶかしげに尋ねる。


「えっと……クロガネさんに依頼をしに来た人ですか?」

「いや、恋人だけど?」


 アンナからの質問に、俺は“恋人”と答えた。

 なぜかアンナよりクロガネのほうがめちゃくちゃ驚いていた。

 俺は気にせず、話を続ける。


「クロガネは女性が苦手なんだ。だから押しかけるのはやめろ」

「押しかけだなんて……。わたしはひとり暮らしのクロガネさんが大変だと思って家事の手伝いを――」

「クロガネは別に大変じゃないし、アンタが来るほうが一番迷惑そうだが?」


 間髪をいれず、俺はクロガネが迷惑がっていることを伝えた。

 しかし、まだアンナはまだ諦めない。


「こ……恋人同士っていうならキスぐらいしてるでしょ!? わたしの目の前でキスして見せなさいよ!!」


 キスを見せろ、と言ってきたアンナに、クロガネが「なに言ってんだ!?」と声を荒らげる一方、俺は平然とした態度のままうなずいた。


「ああ、いいぞ」


 俺はクロガネの顔を両手でつかみ、引き寄せて唇を重ねた。

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