第111話:ドア越しの決意

「…ちょっと待って。」


 立ち去ろうとするイツキの腕をタオル一枚姿のナナがそっと掴んだ。左手で上手にバスタオルを抑え、右手でイツキの腕を掴んでいるナナがエロすぎて、またもイツキは卒倒寸前だ。


「飲み物はとりあえず水があるじゃんっ!? だから、せっかくだから話でもしようよっ! ほらっ、アニメでもたまに見るじゃん? お風呂のドア越しの会話シーン! あれ、地味にやってみたかったんだよねーっ!!」


 そう言いながら、ナナはお風呂場のドアの前にイツキをいざなった。


「いや、、でも、あれはアニメであって…。」


「いいじゃん、いいじゃん! ほら、すりガラスで中見えないし余裕で大丈夫っ!!」


「わ、わかりました…。」


 何が余裕で、何が大丈夫なのか、イツキは相変わらず1ミリも理解できていなかったが、タオル一枚姿を見てしまった罪悪感もあり、ナナの言うことを聞くことにした。


 ナナがお風呂に入ったあとにドアに背を向けてもたれると、たしかにアニメのワンシーンに入り込んだかのようだった。


 こんな時、何を話せばいいのだろうか。イツキはナナが髪を洗っている間に考えた。考えるといっても、数十センチ後ろでは、一糸纏わぬナナが髪を洗っているため、イツキの脳の半分ほどは機能していないも同然だった。


 イツキが見たことのあるアニメのこういったシーンでは、無言だけど気持ちを通わす系かちょっと大事そうな話をする系というのが定番だった。


 イツキは座ったままポケットに手をつっこみ、ドア越しにナナに話しかけた。


「ナナさんー。」


「んーっ?」


 中からは、入浴剤でもかき混ぜているのだろうか、ちゃぷんちゃぷんという音が静かに聞こえた。


「あの、ナナさんが戻ってきてくれて、本当によかったです。」


「……全部イツキのおかげだよっ。ゼミ合宿をしてたあの日。イツキと電話してる時に、"やっぱり好きなものは大事にしたい!"って心から思えたから。本当に感謝してる。ほんとに。」


「それは、僕もです! あの日、ナナさんの言葉にすごく考えさせられたんです。」


「わたしの言葉? わたし、なんか言ったっけ?」


「はい! 言ってましたよ!」


「え、どれどれっ? わたし、なに言った?」


「"パチンコは日本の文化だ"って。」


「あっ! 言った言った! でもさ、大袈裟なことじゃなくて、まじでそう思わないっ?」


「はい!! 本当にそうだなって思ったんですよ!! 僕はパチンコが好きですし、パチンコのことをたくさん考えてきました。でも、ナナさんが言うほどの視点というかスケールでパチンコを見れていなかったんです。だから、ものすごい気づきになったんです。」


「わたしは元々アニメも大好きだから、自然とそういう視点になったのかもっ! でも、本当にあんな日本独自なエンタメって、そうないと思うんだよねっ!」


「ですね! 僕もパチンコを見る目がいい意味でまたひとつ変わりました。ちょっと思ったんですけど。"何かを選ぶということは、何かを選ばない"ってことだとも思うんです。僕ら人々は、選んだ選択肢だけについ目が行きがちですけど、選ばなかった方に注目することで、新しく見えてくることがあるって気づいたんです。僕はナナさんと出会ってから、これまでの人生で選んでこなかった方をたくさん選んできた気がします。パチ友を作るとか、見た目を変えるとか、アニメを見るとか、自分の過去を話してみるとか……、」


「プールに行ってみるとかっ?笑 ラブホに入っちゃうとかっ?笑」


「それもそうですね!笑 そして、選ばなかった道のことも考えてみたんです。ナナさんと友達にならなかった人生、無頓着な見た目のままの人生、真夏のプールとも無縁の人生……。そうすると、ナナさんのおかげで、いかに素晴らしくて心躍る選択をしてこれたかというのが分かったんです。」


 イツキは一呼吸ついて話を続けた。


「大学生の半分が過ぎようとする今。ずっとうやむやにしてきた将来についても考えないといけません。選びたい未来、選べなくなる未来。進みたい道、進めなくなる道。見たい景色、見られなくなる景色……。そして、僕は…やっぱりパチンコの道を選びたい! そう思いました。心から。それに、いまの自分ならその道を選び、ちゃんと進めそうなんです。ナナさんと出会えて、変われたから。」


 ナナはお風呂に浸かりながら、ハッとした。閉じ込めていたイツキの夢が再び動き出す音が聞こえたようだった。ただただ自然に、ナナの目から涙がつーっとこぼれた。ナナは何か返答したかったが、言葉も声も整わなかった。気づけば、イツキの声は話始めた時よりもだいぶボリュームが上がっていた。


「おもしろくて、たのしくて、ドキドキワクワクするパチンコ台をつくりたい。でも、それだけじゃない。ナナさんの言う通り、たしかに"パチンコは日本の文化"だと思いますけど、残念ながら多くの人はそうは思っていません。なので、みんなにそう思ってもらえるようにしたいです。パチンコを打っていなかった人も、気になって楽しめるような世界。そして、ナナさんや僕のようにパチンコが好きというだけで嫌な思いをする人がいなくなるような世界。パチンコをやっている誰もが、誰にでも胸を張って"パチンコが大好きだ!"と言える世界を作りたい。そして、いつかは……、日本にはパチンコがある。そんな日本に生まれてよかった。と思える人が増えてくれたらいいなって思います。父がパチンコの一時代に関わったように、今度は僕が新たなパチンコの時代に貢献したい。やっと、、やっと自分の中で決心がつきました。」


 ナナは、お湯がしょっぱくなりそうなくらいの量の涙を流しながらも、泣いていることがバレないように声を振り絞った。


「イ、イツキ、ドア越しにどんだけ話すんだよっ!笑 のぼせちゃうって!笑」


「あっ、、す、すみません…!」


 ザバーっとバスタブから上がる音と一緒に、ナナの元気な声が浴室に響いた。


「イツキっ! イツキがつくるパチンコの未来、すっごく楽しみにしてるよっ!!!」


 その声はこれまで視界を妨げていたモヤを一気に晴らすようで、一生自分の心に響き続けるだろうとイツキは確信した。


 "この先、どれほど世間の常識や理不尽に殴られようとも必ず倒れはしない!"イツキはお風呂場の前から立ち上がりながら拳を強く握った。

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