第76話:スロットが上手い理由

 江奈のシャワーという予想していなかったイベントが無事に終わりほっとしたイツキは、今度は自分がシャワーを浴びるために風呂場へ入った。すると、いつもと同じお風呂場のはずなのに、いつもよりいい匂いがするのに気がついた。その匂いとリビングから聞こえる江奈のドライヤー音によって、イツキは自然と江奈のことを考えだした。


 思えば、これまでのイツキの人生の中で江奈はとても稀有な存在であった。昔のイツキを知ってくれている唯一の友達であり、時間的にも一番歴の長い友達でもある。友達と呼べる女子がいない中、江奈は紛れもない女子である。そして、後輩でもあり、妹のような存在でもある。


 ゆえに、イツキはありのままの自分で接することができている。普段は"ツン"がすぎるが、きっと江奈もイツキには自然体で接しているのだろう。ただ、今日の居酒屋のように、ふとしたときに江奈の新たな本音に触れることもある。


 自分にとって江奈は何なのか。少し考えたくらいで、イツキは上手に定義できなかったが、それはそれでいいとも思った。ただ、ひとつ確かなこととして、いくら"設定1"と言われようが、"期待値がない"と言われようが、そしてどれだけ"キモい"と言われようが、イツキにとって、江奈は大切な存在であり、これからもそうあり続けるであろうということだった。


 イツキがシャワーから上がると、江奈は棚の一角に飾られた"森物語"のコレクションをキラキラした目で見ていた。


「センパイー、このパンフレットって"初代・森物語"のやつですよね?」


「そうだよ! 江奈が名古屋のうちに来てたころにお父さんがくれたやつ!」


「ですよね! うわー、なつかしいなー! パチンコ屋さんで打ってみたかったなー!」


「ほんとそうだよね!」


 江奈はそっとパンフレットを手に取り、まるで思い出のアルバムを眺めるように、丁寧にゆっくりとページをめくった。


「それにしても、江奈はなんでそんなにスロットが上手になったの?」


 イツキは地味に気になっていたことを、この際だからと江奈に聞いてみた。


「……なんでですかね。」


 江奈は少しうつむいて、自分の思考を整理するようにゆっくりと話した。


「センパイの家でスロットをしなくなってから、何年もスロットに触ることはありませんでした。やりたかったですけど、まぁ、お店に行けないですからね。仕方ないです。だから、その間に別の夢とかやりたいこと、就きたい職業を探したこともありました。ただ、どれもなんかいまいちピンっとこなかったんですよね。どこかで自分を無理矢理納得させている気がして。」


 まるでこれまでの記憶や思考を辿るように、江奈はパンフレットをめくり続けた。


「やがて時は経ち、パチンコ屋に行ける年齢になりました。早速いってみたら、やっぱり当時のようにスロットはめちゃめちゃ楽しいものでした。そして、ある日、パチンコ屋でセンパイを見かけたんです。それはそれは嬉しかったですよ。でも、センパイはまだ悩んでいて、夢を見てる"あのころの眩しいセンパイ"はもういなかった。かといって、少年少女だった昔のような距離感で何でも言えるわけでもない。だからですかね。せめて勝たないと気持ちの収めどころがなかったのかもしれません。それに、センパイはパチンコ・スロットが上手だったから、同じくらい上手くないと、偉そうなことを言っちゃいけない気がして。……いえ、これはあたしの言い訳ですね。なんでもないです。」


イツキは江奈を見つめながら黙って話を聞いていた。


「でも、いま……、」


 江奈がめくっていた"森物語"のパンフレットは最後のページに辿り着き、江奈はパタンとそれを閉じた。


「そんなセンパイが変わろうとしてるんですよね。だってほら、少し前に比べて、すごくいい顔してますよ?」


 江奈はイツキの顔を覗き込むようにして近づいた。


「そ、そうかな…、うん、でも、たしかにやっと気持ちが前を向いてきた気がするよ。ありがとう…。」


 なぜ、スロットが上手いのか?という何気ない質問から、またも江奈の本音に触れたイツキは少し申し訳なさそうに答えた。


「じゃ、そろそろ寝ようか!」


「だいぶ遅くなっちゃいましたね。」


 イツキはパンフレットやグッズを棚に戻した。江奈ともっと会話することもできたのだが、江奈がどれだけ自分のことを考えてくれていたのかが分かったイツキは、どこかいたたまれなくなっていた。

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