第3章:パチ友ラッシュ突入

第16話:イツキの中に生まれる変化

 イツキがナナとパチ友になって初めての週末がやってきた。ナナが朝からパチンコに行くと言っていた日である。雨が多い梅雨時にしてはめずらしく、この日は朝から青空が広がっていた。気持ちの良い日差しと鳥の鳴き声は、東向きのイツキの部屋にも届いていた。


 イツキは小さなキッチンに置いたスツールに腰掛け、インスタントコーヒーを作るためのお湯を沸かしながら、朝からパチンコ屋に行くか否かを考えていた。


 その日における台の挙動を見てから打つ台を決めるため、あまり朝一からパチンコ屋に行くタイプではないイツキ。本来であればいい天気なので溜まった服を洗濯してから近所を散歩したい気分だった。あとは大学の課題も少々。


 しかし、"朝から行こうかと思ってる!"というナナの言葉を無視する気にもなれなかった。


(きっと、ぼくなんかが相手だけど、またパチンコの話ができるって、楽しみにしてるかもしれない。誰かと楽しむことも、パチンコの醍醐味だもんな。……よしっ、せっかくだし行ってみるか!)


 コーヒーが半分残っているマグカップをシンクに置き、イツキはパチンコ屋に行く準備を始めた。ナナと会話をすることには少しも慣れていなかったが、いつも元気なナナにまた会いたいという思いがあった。


 シャワーを軽く浴び、まだ半分眠っていた頭と体をしっかり起こすと、いつも通り白ティーを手に取った。そして、スウェットに手を伸ばしたところで、ふとイツキの動きが止まった。


(ちょっと待てよ…。もし、今日もナナさんと話すことになったとして、やっぱスウェットはまずいか…。そりゃ彼氏とかじゃないからおしゃれをする必要も義務もないけど、あんだけおしゃれなナナさんだもん、友達といえどスウェットは嫌だろうな…。たしかジーパンならどっかにあったはず…!)


 これまで一切気にならなかったいつもの格好が急に恥ずかしくなってきたイツキは、パンツ一丁、濡れた髪のままで服を入れてある引き出しを必死にあさって、どこかにあるはずのジーパンを探した。


 手前にある白ティー群とシャツ2枚ほどを引っ張り出すと、いつかのジーパンが引き出しの一番奥で申し訳なさそうにうずくまっていた。


「あった!あった!」とジーパンを引っ張り出し、タオルで足を拭くと早速足を通してみた。


(なんだこの違和感……。)


 別に太ったわけではないので、サイズ的には問題ない。ただ、長らくスウェットばかりを履いていたので、足にあたるデニムの肌触りに、イツキは猛烈な違和感を覚えた。しかし、見た目はスウェットより全然マシに見えた。久しくしまいこんでいた匂いを誤魔化すために、消臭スプレーを多めにかけて、イツキの本日の相棒が決定された。


 ジーパンが見つかったことで、少し安心して髪を乾かしていると、またもイツキの動きが止まった。


(そういえば、髪も多少はセットした方がいいかな…。前会った時も、"もっとこうなんとか、、"とか言っていた気がするし…。ワックスもどっかにあったはず…!)


 慣れないジーパン、半濡れの髪で、今度は洗面台下の戸棚をあさった。シャンプーのストックやらあまり使っていない水回り洗剤やらの奥に、いつかのワックスが寂しそうにたたずんでいた。


「おし!あるじゃん!」とワックスを取り出し、蓋をあけた。


(なんだこれ……。)


 購入したのはもうだいぶ前のことだったのだろう。本来、適度な柔らかさを持っているはずのワックスはカッチカチに固まっていて、おおよそ髪につけるものとは思えない状態になっていた。ほぼ新品くらいの量が残っているのがもったいないが、こればかりはどうにもならなそうだ。


(うん、髪はあきらめよう。そうそう、変化量がいきなり多いと、なんか意識しているみたいで変な誤解を与えてしまう。)


 イツキはもっともらしい理由をつけて、ワックスをゴミ箱へ放り込み、財布とスマホだけを持って家を出た。


 最寄駅に向かう道すがら、ふとこの道をナナと歩いて帰ってきたことをイツキは思い出した。毎日のように通るこの道が、先日ナナと一緒に歩いたときはまるで初めての道に感じられた。


 そんなことを考えていると、いま、ここで会ったらどうしよう……とイツキはふと心配になった。会えたら会えたで嬉しい。ただ、なんの準備もなしに急にナナと遭遇した時、軽快なトークを飛ばせるほど、まだイツキの心に余裕はなかった。イツキはそんなどちらともつかぬ気持ちで後ろを振り返ったが、遠くまで見てもナナの姿はなかった。


 パチンコ屋のある武蔵境駅まで電車一駅分。いつもはスマホのデータサイトで台の状況を見ているイツキだが、今日は外に流れる景色を見ながら、ナナと会ったらどんな風に話せばいいか、なんてことをずっと考えていた。


 ただ、自分の中で起こっているそんな変化にイツキ自身はあまり気づいていなかった。

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