第5話 手

 アオイが見たのはいつもと違う自身の手のひらだった。手首の付け根から手のひらの真ん中にかけて深い切り傷が入っていた。


 切り傷の周りにはかさぶたができつつあり、赤褐色の血の塊が痛々しい。だが、その傷の中心を見て、アオイは目を丸くした。


「何だこれ…」


 傷の中心には黒い繊維のようなものが束になっているのが見えた。よく見ると遷移の一本一本はやや光沢を放っており、図画工作の授業で見た針金のようにも見える。


 理科の教科書で見た人体模型の姿を思い出し、もう一度自身の手を見る。


(人間って肌の下に筋肉があってその下に骨があるんだよな…?教科書で見た筋肉はピンクっぽい色をしていたけど、俺のは黒っぽいぞ…)


 アオイはより注意深く自分のケガを観察してみた。すると、一つのことに気が付いた。


(やっぱりそうだ、肌の下には赤っぽい薄い膜があって、さらにその下にこの黒い繊維の束みたいなのがあるんだ)


 アオイは自身の体の不自然さを確認しつつも、おそるおそる指に巻かれている包帯に手を伸ばした。


 指は先ほどバスにぶつかったときに一番激しく激突したであろう箇所である。きっと手のひら以上のケガを見るに違いない。


 警官の青年が黙って見守る中、アオイは思い切って包帯を一気に巻き取った。


 アオイの指は黒い金属のようになっていた。


 正確に言うと、アオイの人差し指と中指は根元から肉が削げ落ち、それ以外の指も一部肉がえぐれていた。そして、肉のなくなった部分から黒い指の形をした「何か」が露出している状態だった。


 アオイはゆっくりと包帯を取った左手を動かしてみた。いつもとは違う黒い色の指が握ったり開いたりしていた。


「ハハハ、マジかよ…」


 アオイは珍しいものでも見るかのように、いかにも人工物に見える自分の左手を見つつそう言った。


「これで信じてもらえたかい?」


 突然告げられた真実──俺は人間じゃなかったんだ。


「お巡りさんはさ、俺がアンドロイドだから狙われているって言ったよね」


 「うん。君は特別なアンドロイドなんだ」


「なんで特別なの?」


 やっぱり、人間のように感情を持っているからだろうか、それとも何か他にも『特別』な理由があるんだろうか。


「それは俺にもわからない、君についての詳しいことを俺は聞かされていないんだ」


 窓から差し込む夕日の光が警官の青年の顔を照らし、光の中で彼の目がまっすぐにアオイをとらえている。 


「詳しいことはわからいけれど、俺は君を守らなきゃいけない」


「お巡りさんは誰かに俺を守るようにたのまれたの?」


「うん、とても大事な人にね」


 「それってどんな人─」と聞こうとした瞬間だった。警官の無線機からベルが鳴った。


 (ごめんよ)と軽く片手を顔の前で合わせて、彼は無線機のボタンを押して通信に応えている。アオイはただ無線機で会話する彼の姿をぼんやりと眺めていた。


 たった数分前に告げられた真実と、目の前にある黒い指先を、すぐに現実と受け入れることは難しいのだ。


 失礼します、と告げて警官は会話を終えた。


「アオイ君、申し訳ないけれどやらなきゃいけないことができた。」


「事件?」


「そんなとこかな」


 彼は一枚の紙を懐から出してアオイに手渡した。紙には電話番号と彼の名前──『鷹見ケイスケ』──と書いていた。


「困ったこととかさ、何か気になることがあったら連絡してほしい、俺は君の味方だから」


 本当に彼のことを信用していいのか?アオイは彼に対する不信感がないわけではなかった。


「いきなりこんなこと言われてもわけわかんない…って感じです。俺とお巡りさんはが会ったのは今日が初めてだし」


 気が付くと心の声が漏れていた。


「ははは…そうだよな」


 鷹見さんは窓際に置いていた帽子を被りつつ、ドアの方へと向かいつつ振り向いてアオイを見た。


「さっきも言ったけど俺は君の味方さ、それだけ覚えておいてくれたら嬉しい」


 ドアを開けて「出口はこのドアを開けて右の階段を上がれば目の前だからね」と伝えて彼はいなくなってしまった。


 ふと今朝の苦しそうにしていた鷹見さんの姿が頭に浮かんできた。


(──何かあったら連絡してくれ、か)


 いろんな意味で本当に彼を頼ってもいいのか?と考えたが、いまさらどう考えたってしょうがない。それにもう夕方だ、あんまり帰るのが遅いと母さんが心配する。



 アオイが家に着いたのは18時ごろだった。家に着くと母親が台所で夕飯を作っている最中だった。台所からは生姜焼きの甘じょっぱいたれの匂いがしていた。


 夕食を食べつつ、違和感に気づいた。母親も父親も自分の包帯で巻かれた手について何も聞かないのだ。「ケガしたの?」とか「大丈夫?」とか何も聞かないのだ。


 両親は俺のことをアンドロイドだと知ってるんだろうか、いや、知っているからこそケガについて詮索しないんじゃないのか?


 俺がバスに襲われたことだってきっと白鳥さんを通じて学校に伝わっているだろう。それなら俺の親に連絡が来ていないはずがない。


 不気味なほどにいつもと変わらない夕食を終え、アオイはシャワーに入ろうとした。洗面所のドアを開けたところで母親がアオイを呼び止めた。


 「はい、包帯。」アオイはいつもと変わらぬ様子でそれを受け取る。「ケガしてるんでしょ」


 「うん…」


 洗面所のドアをしめ、先ほどもらった包帯を床に置くと、服を脱いで鏡に洗面台の鏡に映る自分の姿を見る。


(どう見ても人間だよなあ…)


 

 風呂から上がって歯を磨くと、すぐに眠くなってきた。「おやすみ」と家族に告げて、自室のベッドに入ったらすぐに寝てしまった。色々あって疲れていたせいかすんなりと眠ることができた。


 いつもと変わらない朝が来るといいな──

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