第2話 下校

 太陽が傾き始めたころ、海鳥小学校では帰りのホームルームが行われていた。白鳥さんが号令をかける。


「起立!さようならー」


 帰りの挨拶が終わり、生徒たちは各々の帰路に向かおうとする。そんな中、担任教師がこっそりとサイトの方を向き、手招きをした。


「アオイ君、今日はこれを履いて帰ってください。保健室の先生に聞いたら余りものだから使っていいそうです。ちなみに靴は学校の方で洗ってから返すので、心配しないでください。」


 教師は靴の入っている紙袋をアオイに渡した。彼は気まずそうにお礼を言って紙袋を受け取った。


「よ、よかったねアオイ君」


 後ろから白鳥さんの声が聞こえた。


「うん...、白鳥さんもありがとう。その...掃除とか手伝ってもらっちゃって」


 外靴のまま教室に来てしまった(ついでに野グソをふんでいた)アオイが付けてしまった足跡は玄関から教室まで続いており、サイトと白鳥さん、ついでに担任の先生の3人で朝のホームルーム後に床の汚れを掃除をしたのだ。


「大丈夫だよ。それに私、今年から委員長なんだし…頑張んなきゃって思って」

 実は白鳥さんはアオイのクラスの委員長を努めている。委員長を自主的にやりたがる生徒がいなかったため、彼女がやりたい人がいないなら私がやりますと立候補したのだ。


 二人が玄関まで向かおうとすると、不意に二人の携帯電話から同時に通知音が鳴った。二人は不思議そうに顔を見合わせ、携帯の電源を付けて通知の内容を確認した。


 携帯の画面には『本日校舎前から発車のバスが運休になります』と記された連絡が映し出された。どうやらバス会社で食中毒が発生したらしく、運転手が全員動けない状態にあるらしい。


 自動運転が普及した世の中であるが、学校や養護施設の送迎バスなど、安全性が重要視される乗り物には乗務員兼運転手として人がいることもあるのだ。


 携帯の画面を下へスクロールすると、学校付近のバス停の情報が映し出された。二人はスクールバスの代わりに市営のバスへ乗ることにした。


「俺んちに向かうバスはっと………、ここからバス停まで歩いて10分くらいするじゃん!」


 アオイは携帯で帰り道を調べると、そう白鳥さんへぼやいた。彼の家は坂を上った先にあるのだが、坂の方面へ向かうバスの本数は決して多くない上に、その他の方面と比較して乗り降りできるバス停が限られている。アオイは昔からこの交通の便の悪さが気になっていた。


「私の家は坂の手前くらいだし、一緒に乗ろうかな」


 白鳥さんから提案が出た。


「本当?俺んちの方面に行く人って少ないから嬉しいよ!」


 そう言ってアオイは顔をほころばせた。実のところ、一人で帰ることが退屈に思っていたのである。


 下駄箱で外靴に履き替えて校舎の外に出ると、青空にうっすらと白い雲が広がっていた。梅雨明けの爽やかな風が頬を撫でていく。確かな夏の近づきを感じさせる空気が広がっていた。


「いい天気だね、たまにはバスに乗らないで歩くのも悪くないのかも」


 白鳥さんが黒い前髪に手を当ててそう告げると、アオイも「うん」と相槌を打ち、空を見上げつつ目を細めた。


 学校前の信号を渡り、二人はバス停までまっすぐ向かっていく。アオイの手には携帯端末が握られており、そこからバス停までの方向を示す矢印が空間に投影されている。


移動のためのナビアプリが実行されているのだ。ちなみに、設定をいじれば目的地までの所要時間を表示したり、リアルタイムで交通状況などを調べて最適な経路を自動表示してくれるらしい。


「そういえばさ、白鳥さんとこうやって話すのって初めてじゃない?」


 アオイが疑問を投げかける。白鳥さんとは小学1年生のときから5年生になる今までずっと同じクラスだったのだが、実はあまり話したことがないのだ。


「うん…あんまり私おしゃべりするタイプじゃないしね…」


 白鳥さんが少し気まずそうに笑って答えた。アオイはふと休み時間中の彼女の様子を思い出したが、一人で本を読んでいる姿ばかりが思い浮かんでくる。彼女が人前で


大口を開けて笑っている記憶は彼の頭の中にはなかった。


「うん、白鳥さんって本読んでるイメージ!俺さ、本とかあんまり詳しくないし、読まないからさ、あんなに本読めるのすごいと思うよ!」


「そ、そんなことないよ、私はみんなと比べて『本を読める時間』が多いだけだよ……」


 一瞬照れくさそうにした白鳥さんだったが、その後すぐにそう言ってうつむいてしまった。顔の角度を変えたせいか、彼女の黒くて大きな縁の眼鏡がやや下にずれる。


(ありゃ…あんまりよくないこと言っちゃった?)


 アオイは気まずそうに頬を掻いた。ちょうど目の前の信号が青から赤に変わり、二人は立ち止まる。


 自然と気まずい空気が二人の間に流れた。だが、そんな空気を感じ取ったのだろうか、白鳥さんが口を開いた。


「だからさ、私、委員長に立候補してみたんだ。みんなやりたがってなかったし、人の役に立つようなことをやったら何か変わるかもって思って…」


 アオイは驚いて目を丸くした。寡黙な白鳥さんが心の中ではそう考えていたとは。


「実際は、『早くだれか立候補してくれよ』って感じの空気に耐えきれなくて、立候補しちゃったのもあるんだけどね」


 白鳥さんが首元まで伸びた黒髪を抑えつつ、そう付け加えた。


「えらいよ白鳥さん!俺はだれか立候補してくれないかな~って思ってる側だったし!」


 そう言ってアオイは笑った。つられて白鳥さんも口元を抑えて笑う。信号が青になり、目の前を左から右へとバスが通り過ぎていく。バスには細長いモニターが付いており、『海鳥小学校スクールバス』と表示されている。


「……海鳥小学校?今日って運航休みのはずじゃあ」


 アオイが違和感を感じてそう呟いた瞬間、パトカーのサイレン音が急に聞こえてきた。


『そこのバス、止まりなさい!』

 パトカーから男の声でそう呼びかける声が聞こえてくる。だが、バスは走行を止めることなく直進していく。


「ね、ねえアオイ君、あれって……」


 白鳥さんがそう言いつつ、二人から見て左側の方向を指さす。


 そこには白いパトカーがサイレンを鳴らし、ランプを点滅させながら走る姿があった。しかし、そのパトカーの後ろにはまた『海鳥小学校スクールバス』の表示のあるバスが走っている。


「さっきのバスとはまた違うバスだ!しかも結構スピード出してる!!」


 パトカーとバスがぐんぐんとスピードを上げて二人のいる方向に向かってくる。


(いったい何が起きてるんだ?でもまあ大丈夫、俺たち歩道にいるし安全だろ……)

 アオイがそう思った時だった。バスが急にゆらゆらと蛇行運転をし始めたのだ。まるで紐を切られた操り人形のように。


「やばくない!?これ!?」


 アオイがそう叫ぶと白鳥さんもバスの進行方向とは逆に逃げるようにして走り出した。


 バスの蛇行運転は次第に激しくなっていく。幸い車通りの少ない車道だったおかげで車との正面衝突は避けられた。だが、幸か不幸か、暴走するバスを止めるものは何も存在しない。徐々に二人にパトカーとバスが迫ってくる。


『君たち!!落ち着いて!今助けるからね!!』


 パトカーから男性の声でそう呼びかける声が聞こえた。パトカーが走る二人に近づいてくる。


 突如パトカーから二本のマジックアームが飛び出した。アームが二人に向かって伸びて行くのが見える。


『今からこのアームで二人をキャッチするから!そのまま走って!!お巡りさんが助けるから!』


 しかし、その後ろでバスが速度を上げて近づく様子がアオイの目には映っていた。


「白鳥さん!パトカーのアームが俺たちを掴んで連れてってくれるから大丈夫!このまままっすぐ走るんだ!!」


「うん!」


 アームとパトカーが二人のすぐそばまで近づく。アームのが二人の体の横まで伸び挟み込むようにして開かれる。アームの中は柔らかいゴムっぽい素材でできている。


 アームが閉じようとする、その一瞬だった。白鳥さんが足をもつれさせて転んだのだ。


「わっ…!」


 無慈悲にもアームは彼女をつかみ損ね、アオイはもう一つのアームにキャッチされる。


 バスは走ることを止めずに近づいてくる。アオイは最悪の事態を想像する。


──このままじゃ白鳥さんが死んじまう!

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