第11話 ふたり台所

「ふんふふーん。ふふふーん。誰だ、誰だ、誰だー。金色の朝日に黒い影ー。そーれーはーざーんぞうだー、反復横跳びマーン」


 気分よく歌を歌っていると、扉が開く音がした。

 ひょいっと玄関に顔を出してみると、くたびれた表情のナナシさんがいた。


「おかえりー」


 僕を一瞥すると、ナナシさんはため息をついてからカーテンの奥に姿を消した。


「ナナシさん、今日の晩御飯はハンバーグにしようと思っているんだけどいいかな?」


 返事はない。


「要望があるなら早めに言ってね」


 またも返事は無かった。


 まあ、いっか。流石のナナシさんもご飯を食べないわけにはいかないだろうし、ハンバーグが出来たら姿を現すだろう。


「誰だ、誰だ、誰だー。金色の朝日に黒い影ー。そーれーはーざーんぞうだー、反復横跳びマーン。命を懸けて横跳びだー、決めゼリーフは「残像だ」。行け、行け行け反復ー、跳べ、跳べ跳べ横跳びー。残像はみーっつ。本体はひ・と・つ。オー、反復横跳びマーン。反復横跳びマーン」


「なんですかその歌は?」


 気分よく歌っていると、カーテンの隙間からナナシさんがジト目を向けてきた。


「物理忍者隊ガッチマンの替え歌。反復横跳びマンのところだけ語呂が合わないんだよね。どうすればいいと思う?」


「知りません。歌うなとは言いませんが、もう少し静かにしてください。こっちはただでさえ街の人のしつこい宗教勧誘や任務で疲れているのです」


「あー、ナナシさんも勧誘されたんだ。あの人たち、しつこかったよね」


 それ以上会話する気はないのか、ナナシさんはカーテンの中に隠れてしまった。

 そういえば、任務に関することしか話さないって言ってたっけ。


「そういえば、僕のクラスにいたよ。最神美幸さん。思ったよりも普通の子だったよ」


 これなら食いつくだろうと思ったけど、既にナナシさんも知っていることだったのか全然食いついてこない。

 だけど、これは折角の会話チャンスだ。とにかく、任務に関わっていそうなことを口に出していくしかない。


「ちなみに、最神さんとは隣の席なんだ。一緒に昼食も食べたんだよね」


 反応なし。


「あと一緒に帰ったんだ」


 反応なし。


「最神さんを通じて神様に今日の僕の晩御飯を聞いてみたんだよね。なんだったと思う?」


 反応なし。


「あと、僕に彼女は出来ないと言われたんだ。失礼な神様だよね」


 反応なし。

 もうダメだ。これ以上僕に喋ることが出来る情報はない。

 あと、話せることがあるとすれば……。


「最神さんが現状に嫌気がさしてるってことくらいだもんなぁ」


「どういうことですか?」


 あ、ナナシさんがカーテンから顔を出してきた。

 まさかこれで食いつくとは思わなかった。

 しかし、これでナナシさんと会話が出来る。それに、タイミングよくハンバーグも焼けた。


「まあまあ、話はハンバーグを食べながらにしようよ」


「……いいでしょう。私はご飯少なめでお願いします」


「はーい」


 焼きあがったハンバーグを皿にのせる。

 そして、茶碗にご飯をよそう。もちろん、ナナシさんの分は少なめだ。


 ハンバーグがのった皿とご飯の入った茶碗を僕とナナシさんの前に置けば、後は合掌するだけだ。


「いただきまー「待ってください」


 す、と言おうとしたところでナナシさんに止められた。

 なにか不満があるのかナナシさんは机の上に並べられたハンバーグとご飯を睨んでいた。


「この晩御飯はなんですか?」


「え、知らない? ハンバーグ」


「そういうことではありません。野菜も汁物もないではありませんか。これで晩御飯? 笑わせないでください。私を不健康にして殺す気ですか?」


 いや、そんなつもりじゃなかったんだけど……。


 呆気に取られていると、ナナシさんは静かに立ち上がり台所へと向かう。

 そして冷蔵庫の中をあさり、キャベツと人参、玉ねぎとベーコンを取り出した。


「即席ですが野菜スープを作ります。先に食べ始めておいてください」


「待つよ。ご飯は誰かと一緒に食べた方が美味しいからね」


「好きにしてください」


 一先ず、ナナシさんによる野菜スープの調理を待つとして、ご飯は一度炊飯器に戻そう。

 やっぱり温かいご飯が食べたいしね。

 ハンバーグにもラップをかけて、食べる前に電子レンジで温めなおそう。


 それにしても、台所で調理するナナシさんのなんと手際のいいことか。

 それを横から眺めていると、まるでナナシさんと結婚したかのような気分が味わえる。

 思わず口角も吊り上がる。


「その気持ち悪い笑みをやめなさい」


「おっと、ごめんね。つい新婚みたいなんて思っちゃった」


 わあ、すっごく嫌そうな顔。

 そうこうしている内にスープが出来上がったらしい。

 

「話も聞きたいことですし、早く食べましょう」


「うん。ハンバーグ温めて、お米よそうね」


 机の上にハンバーグ、ご飯、スープを並べ、今度こそ合掌する。


「「いただきます」」


 先ずはスープだ。

 うん、コンソメのいい匂いだ。


 早速一口……こ、これは。


「美味しい。野菜とベーコンの旨味がスープに溶け出し、更にコンソメが味をまとめている。なにより、ナナシさんが僕のために作ってくれたという事実が至極のスパイスとなっているッ」


「あなたのためではありません」


 ナナシさんはジト目を僕に向けつつ、ハンバーグを口にする。

 そして、ほんの少し目を大きくしてから何とも言えない顔になった。


「……美味しいですね」


「もちろん。なんて言ったって、ナナシさんへの愛情というとびきりのスパイスが入っているからね」


 爽やかスマイルからのウインク。

 あ、失敗して両目つぶっちゃった。でも、この決め台詞にはきっとナナシさんもときめきクライマックスのはずだ。


 あれ? なんで僕はジト目を向けられているのだろう。


「あなたのいつもの適当発言は置いておいて、先ずはご飯を全て食べましょう。話はそれからです」


「本心なんだけどね」


 ナナシさんは僕を無視して、机の上に書類を並べながら食事を始める。

 書類には『最幸の会』についてや多幸学園の情報、更には最神さんの個人情報まで事細かに記されていた。


「へー、最神さんってカレー好きなんだ。そんなことまで分かるんだね」


「……忍びであればこれくらい誰でも出来ます」


「そうなの? でも誰にでも出来ることじゃないし、やっぱり凄いと思うよ」


「そうですか」


「うん、そう」


 再び訪れる沈黙。箸を動かす音と僕の「美味しいねぇ」という呟きだけが部屋の中にこだまする。

 ご飯が美味しかったこともあり、十数分もすれば僕もナナシさんも食事を終えていた。


 二人で手早く食器を洗った後、ナナシさんが入れてくれたお茶を片手に僕らは向かい合っていた。

 

「では、そろそろ本題に入りましょう」


「そうだね」


「先ず、確認ですが最神美幸は現状に嫌気がさしているとあなたは言いましたが、その現状とは具体的に何のことですか?」


「学園とこの街が『最幸の会』って宗教に染まってて、最神さんが巫女だから皆から特別扱いされていることだと思うよ」


「本人がそう言っていたのですか?」


「いや、僕の予想。でも、最神さんはこの街のことを狂ってるって言ってたね。それと、僕を逃がそうとしてくれた。少なくとも最神さんが『最幸の会』をよく思っていないことは明らかじゃない?」


 なるほど、とナナシさんは書類を見ながら考え込む。

 考えが整理できたのか、「ふう」と息を吐いて僕の目を真っ直ぐ見つめてきた。


「正直、あなたは今回の任務で頼りにならないと思っていました。ターゲットと同じクラスになったとしても、どうせ珍妙な言動でターゲットに避けられるだろうと」


 それは随分と失礼な話だ。これでも、僕は出会って初日のナナシさんとこうして楽しく会話できるくらいには普通のコミュニケーション能力はある。


「ですが、最神美幸はあなたのような人であっても会話したくなるほど、普通の会話や生活に飢えていたようですね」


「いやいや、その言い方じゃまるで普通の人は僕との会話を避けるみたいじゃないか」


「最初からそう言っています」


 え、マジで。

 じゃあ、もしかして僕と会話してくれているナナシさんや斎藤君、キリちゃん先生も普通じゃないということだろうか。

 まあ、でも忍者だし普通ではないか。


「最神美幸が担ぎ上げられている神輿だとしても、巫女という『最幸の会』の中でも重要な役割を任されています。もし仮に彼女を味方につけることが出来れば、任務は断然やりやすくなります」


「つまり、最神さんを口説き落とせばいいってわけだね。任せてよ」


 ドン、と胸を叩くが、ナナシさんは非常に不安そうな顔で僕を見つめていた。


「私たちが忍者であることなど、余計なことは喋らないようにしてください。それと、最初から無理に話を聞く必要はありません。暫くは、会話してください。それこそ、今日の夕飯など中身のない会話で構いません。会話内容は出来れば録音しておいてください」


「心配しないで。僕はこれでも普通の高校生であることには自信があるんだ」


 またも胸を叩いて見せるが、ナナシさんの眉間によったしわは深まるばかりだ。

 なにがそんなに不安なのだろう。


「……よろしくお願いします」


 そこそこ長い沈黙の末にナナシさんは僕に小型の録音機を手渡してきた。


「必ずナナシさんの期待に応えてみせるよ」


 もう一度ドンと胸を叩いてから、僕は録音機を受け取った。

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