第1話 反復横跳びが呼ぶ出会い

 僕の反復横跳びライフが幕を開けた。

 中学時代の僕を知っている人は、懐かしいものを見る目で僕を見た。

 初めて僕を見る人はドン引きしていた。


 周りの目など関係ない。

 僕は反復横跳びし続けた。


 雨の日も、風の日も、雪の日も、近所の中学生に「弟子にしてください!」と言われた日も、ひたすらに反復横跳びし続けた。


 ある日の夕方、その日も公園で反復横跳びをし終え、家に帰ろうとしたとき、一人のおじいさんが僕に向けて拍手していた。


「見事な足さばきだ。差し支えなければどこの家のものか教えてもらえるかな?」


「服部家です」


「なんと……。まさか、あの服部家か?」


「はい」


 おじいさんは目を見開き、やけに大げさな反応をしていた。まるでまぼろしの存在を見たかのような表情だ。


 割と服部さんはどこにでもいると思うのだが、もしかしてレアなのだろうか。


「ワシは猿飛さるとび、とある学園の学園長をしておる」


「はあ」


「ワシの名を聞いても顔色一つ変えぬとは……流石は服部家のもの……」


 おじいさんは一人でぶつくさとなにかを呟き始めた。

 

 よく分からないが、お腹が空いてきたしそろそろ帰ろう。


「すいません、僕帰りますね」


「ちょっと待てい!」


 お爺さんの横を抜けようとすると、お爺さんは見た目からは信じられないほど俊敏しゅんびんな動きで僕の前を遮る。


「遅い」


「なっ!?」


 だが甘い。都内の人がごった返す駅前で反復横跳びをしていた僕にしてみれば、その程度の妨害は公園の前にあるポールと大差ない。


「さようなら」


 素早くお爺さんの前から移動し、再び歩き始める。


 だけど、お爺さんはまたもや僕の前を遮ってきた。


「待てい!! はぁ、はぁ……。ワシですら反応できぬほどのサイドステップは見事なもの。ますますお主が――ま、待てと言っておろうが!!」


 再びお爺さんをかわすが、お爺さんは直ぐに追いかけてくる。まるでストーカーだ。


「ぜえ、はぁ……は、話を聞け! ワシはただお主が欲しいだけだ!!」


 寒気さむけがした。


 間違いない。このお爺さんはストーカーだ。しかも独占欲どくせんよくが強めのタイプだ。

 きっと、僕を監禁かんきんして観葉かんよう植物のように家にかざるつもりなのだろう。


 なんとしても逃げなくてはならない。


「なっ!? こ、これは残像か……? バカな、残像が見えるほどの移動速度など現役時代のワシと同格、いや、速さだけならワシ以上……くっ! 負けていられるかぁ!!」


 僕の本気の反復横跳びを前にして、お爺さんも反復横跳びを始める。逃がすつもりはないようだ。


 それにしてもお爺さんの反復横跳びは見事なものだ。僕の反復横跳びに比べると、滑らかさが段違いだ。滑らかすぎて音どころか土煙つちけむりも上がっていない。


 身体の力が音エネルギーなど余分なエネルギーに変換されていない証拠だ。


 正直、僕は自分の反復横跳びに限界を感じつつあった。だけど、お爺さんの反復横跳びを見て分かった。


「ありがとう、僕はまだまだ強くなれる」


「なっ!?」


 見よう見まねでお爺さんの反復横跳びを真似る。身体への負荷はでかいが、その分これまでとは比べ物にならない速さを僕は手にした。


「は、早すぎる……。まさか、これほどとは……」


 ああ、心地いい。景色が線となり、身体が風と同化したかのような感覚だ。このままどこへでも行ける。


 これなら、あれが出来るかもしれない。残像は残像だ。けれど、余りに鮮明な残像を人は幻と呼ぶ。


 残像を、超えろ。



***<side お爺さん>***



 目の前の光景にワシは思わず足を止め、見惚みとれていた。


「これは、夢か……?」


 ワシの目の前には三体の服部を名乗る少年の姿が映っていた。

 残像よりも鮮明にくっきり写る像は本物と言われても頷いてしまいそうなほど美しかった。


 そう、それはまるで……。


「分身の術……」


 先代の猿飛佐助さるとび さすけから、佐助の名を譲り受けてから早いもので四十年。

 十代のころから天才と呼ばれてきたワシは、あらゆる忍の技を身に着けてきた。


 そんなワシも、初代を除く歴代の猿飛佐助ですらついぞ会得えとくできなかった技、それこそが分身の術であった。


 反復横跳びばかりしている狂人がいると聞き、気まぐれで見に来てみればこれだ。度肝を抜かれたどころではない。


 しかも、こやつはあの服部はっとり家だというではないか。


 我ら、猿飛家の因縁いんねんのライバルである服部家。まさか服部家にこんな異端児いたんじがおったとは知らなかった。


 しかし、経歴を部下に調べさせたがこやつは一人暮らし。これほどのものなら服部家本家に招かれてもおかしくなさそうだが、寧ろ服部家はこやつの存在にすら気付いていないようだった。


 これほどの逸材いつざい、逃すには惜しい。是非とも我が学園に招きたい。なにより、こやつに教えをえばワシも分身の術が使えるかもしれぬ。


 ワシにとって分身の術は夢であった。だが、会得は不可能と諦めかけていた。


 その諦念ていねんをこの少年がぶち壊してくれた。分身の術は習得不可能な技ではない。


 ワシの目の前で今も分身の術を使う少年はいい表情をしていた。

 今この瞬間も己の成長を感じ、気分が高揚しておるのだろう。


 こうしてはおれん。勧誘など後でいくらでも出来る。

 今はただこの少年と同様に、ワシも夢を追いかけたい。


 最近は鍛錬を怠っていたせいか、少年の速さには到底ついていけない。

 だが、楽しかった。

 夢がある。そして、その夢を追いかけることが出来る。


 嗚呼ああ、なんと幸せなことか。



***<side end>***



 ストーカーお爺さんと共に反復横跳びをしていたら、お爺さんは体力の限界が来たのかその場に倒れ込んだ。

 

「あの、大丈夫ですか?」


 いくらストーカーとはいえ、お爺さんだ。

 これで倒れられたら後味が悪すぎる。


 だが、僕の心配が必要なほどお爺さんは柔ではなかった。

 お爺さんは近づいた僕の足首をがしりと掴んできたのだ。


「ふ、ふふふ……やっと捕まえたわい」


 背筋が凍った。


 この世で最も恐ろしいものは幽霊や化け物ではなく、人の執念というが正にその通りだろう。


 逃げられないことはないが、お爺さんを引きずるのは気が引ける。


 逃げることは諦めて、大人しくすることにした。

 僕が大人しくなったことに安心したのか、お爺さんは寝転がったまま呼吸を整えると、ゆっくりと身体を起こした。


「ふう、随分と衰えてしまったもんだ」


「そうですか? めちゃくちゃ元気でしたよ」


「お世辞などいらん。まあ、それよりもお主に頼みが二つある」


 二つも頼みがあるのか。

 監禁させてくれとかの禄でもない頼みだったら直ぐに逃げよう。


「一つ目は頼みというより勧誘だな。この学園に通わないか?」


 お爺さんはそう言うと懐から一枚の紙を取り出した。

 その紙には『伊甲いこう学園入学案内パンフレット~未来のシノビは君だ!~』とでかでかと書かれていた。


 忍び。忍びか。

 失礼かもしれないが、忍びといえば影で暗躍あんやくする地味なイメージだ。

 

 僕も花の男子高校生。そろそろ青春をしたいお年頃である。

 そもそも僕が反復横跳びを始めた最初の理由は三人の女の子に告白されたからだった。

 

 反復横跳びにはまってすっかり忘れていたけど、彼女たちを悲しませることなく仲良くお付き合いしたかったのである。

 既に彼女たちには彼氏がいるみたいだが、僕には彼女がいない。

 これは問題だ。


「すいません。僕にはやらなければならないことがあるので」


 もちろん、やらなくてはならないこととは恋人を探すことである。


「そうか……。残念じゃが、仕方ない。学園には綺麗な子も多いし、お主にはいずれ忍びの家を立ち上げてもらいたいと思っておったんじゃがな」


「行きます」


「は? じゃ、じゃがさっきやることがあると……」 


「行かせてください。お願いします」


 僕の必死な思いが通じたのか、お爺さんは僕の入学を認めてくれた。

 この日を境に、僕は忍者たちが暗躍あんやくする裏の世界と表の世界を反復横跳びすることになった。

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