第2話 風変わりな王女

 出立当日は良く晴れていた。


「ジェムス皇帝の皇帝陛下はお厳しく、大陸の覇者に相応しい武と威容いようをお持ちですが、法とのりで国を治める、理と智を備えたお方です。我が妹アズミラよ、礼節と誠実、そしてあなたに備わった高潔と矜持を以て帝国宮廷において我らがカテフ・ジェムス王国の威を鳴らしなさい」

「ありがとうございます、王太姫殿下。アズミラはいつでも姉上の幸福を祈っております」


 帝国に向かう馬車に乗り込んだアズミラ王女に堂々とした声でそう言った王太姫おうたいきアンフは、落ち着き払っていて、若いながらもすでに女王の風格を備えていた。その貫禄と言えば、馬車の傍に立った帝国からの迎えの使者たちも驚きあきれたほどである。


 一方アズミラの両親は、決して愚鈍ではなかったし人となりが安定していて廷臣にも民にもよく慕われていたが、別れの言葉を告げたものの、今ばかりはおろおろして落ち着きがなく、あまり国王夫妻に相応しい姿ではなかった。しかし、人質としてやられる娘の心配をする親心を考えると、二人の王女たちのある種の冷淡さと、国王夫妻の態度のどちらを批判すべきか、カテフ人も帝国人もよく分からなかった。


 走り出す馬車の中からアズミラは家族に手を振り、笑顔を浮かべる。その馬車の前後には護衛の兵士、荷駄、そして数人の女官や学者が乗った馬車が並んでいる。護衛をする兵士は大陸盟主ジェムス帝国とカテフ・ジェムス王国の混成部隊だが、列の先頭に立つのは帝国旗で、その次に連邦旗、そして最後にカテフ・ジェムス王国の旗が続く。


「どうして姫様のご出立の列でも帝国旗が先頭なのかしら」

「……仕方あるまい」


 アズミラ姫を一目見ようと王都の沿道に集まった民衆に姫が手を振っていると、その正面に座った侍女が絞り出したような声で言った。間近にいても聞き取りづらい声だった。顔は微笑を保ったまま、カテフ・ジェムス王国の第二王女もまた周囲をはばかり、抑えた声で短く答える。


 王国は王族をひとり人質に差し出せと帝国に言われて断れない。それがこの大陸の覇者ジェムス帝国と衛星5か国によって形成されるジェムス連邦の力関係であった。


 創世の女神が人間たちの前から姿を消し、紆余曲折を経た今、この大陸は6つの国に分かれている。この6か国は独立国である、というていを保っているが、最大領土面積を誇るジェムス帝国が、他の5つの王国を実質的に支配していた。


 この、ひとつの帝国と5つの衛星国家によって構成された連邦体勢をジェムス連邦と呼ぶ。帝国はこの連邦の盟主であるわけだが、連邦が大陸のすべてを支配しているため、ジェムス帝国の皇帝を「大陸盟主」と呼ぶこともある。


 ジェムス帝国がこれだけの影響力を持つことができるのは、ひとえに創世神話に登場した神剣と神盾、「女神の骨」と「女神の皮膚」を帝国が管理しているからに他ならない。神話の時代が終わり、女神なき世となった今でもなお現存するそれらの魔法剣と魔法盾は政治的に大きな意味を持っている。


 そういうわけで、5つの衛星国家間に立場の上下はないが、ジェムス帝国とその他の衛星国家の間には明確な上下関係がある。しかしこの上下関係もそう単純なものではない。

 衛星国家といえどもその王室は王室として、帝室と同様に敬われるべき、という認識があった。帝国側に比べて立場は低いが皇帝一族のように尊重される、という非常に場当たり的で揺らぎの多い存在が、衛星国の王族であった。


「ま、でも物は見方だ」

 衛星国家のうちの一つカテフ・ジェムス王国―通常カテフ王国のアズミラ王女はからりとした声で侍女に言った。40代も半ばのこの侍女は前回アンフ姫の帝国行きにも随行しており、帝国宮廷の雰囲気を良く知っている。そう言えば、あのアンフ姫も、似たようなことを言っていたのを侍女は思い出した。


 そのアンフ姫の妹は、変わらず馬車の窓越しに沿道の人々に手を振ってやりながら、侍女に言って聞かせる。

「第一、これから5年間の帝国での生活費は帝国が負担してくれるし、道中の護衛の兵士だって一部は帝国が供出してくれる。姉上のように帝国宮廷でうまく人間関係を築けば、帰国後も他国の情報を回してもらえる。5年の期限が開けて、そのまま宮廷に残って最終的に帝国の重臣になった人もいたでしょう? 祖国の宮廷内の暗殺から逃げてきた、なんて人もいたはず。まだ帝都でしか出回っていない本や技術に触れることができるし、本を買って母国に送れば皆助かる」


 姉上がそうだったように、と言うアズミラ王女の声は誇らしげだ。あの宮廷からしただけでなく、婚約者という名の帝国とのパイプと、友人という名の他の衛星国家とのパイプを持って帰ってきたアンフ王太姫は、あの繊細そうな顔立ちに反して豪胆であった。


 いずれにせよ、田舎の故郷に飽き飽きして、流行・金融・学芸・政治・通商・軍事、あらゆる物事の中心地である帝都と帝国宮廷に自ら残るという選択をする者もいるくらいなのだ。単純な人質とは一味違う。


「……怖くないのですか」

「どういうこと?」

 見た目こそ姉に似ないものの、姉同様に王族として覚悟を決め切った妹姫の若草色の瞳を見つめて、女官は問うた。行列が王都を出たので、王女はようやく手を休めて首をかしげた。


「前回の五行帰貴ごこうききの期間中、ジェムス連邦の一角をなすトサーク・ジェムス王国が虚偽の会計報告をしていたこと、同王国の王立市場で規定以上の量の混ぜ物をした塩や酒が売られていることが分かりました。その、恐れながら、大陸盟主たる皇帝陛下は、その際、見せしめとして玉座の間に集っていた五貴集ごきしゅうのお一人だったトサーク王家の姫君の首を手づからお斬りになりました」


 その隣に座っていたアンフ姫の腰かけていた絹のクッションに鮮血が飛び、繊細な図案のカーペットに姫君の生首が転がったのを、女官は今でも鮮明に思い出せる。そしてそうするとき、彼女はいつも僅かに肩を震わせるのだった。ちなみに豪胆なアンフ王太姫はその場で唯一、目を見開いたものの叫び声をあげたなかったそうだ。


「怖くないわけではないわ。大前提として、ある意味でそのために集められる私たちなのだから」

 今回の五貴集人質の一人である姫君は落ち着き払った声で言った。


「ただ、その話はそもそも不正をしていたトサーク王国に問題がある。塩や酒の混ぜ物の規定違反は普通に問題だし、会計報告のごまかしは帝国への叛意と思われても仕方ない。それに、当時姉上が手紙をくれたんだけど、帝国が調査に乗り出したのだって、塩がまずい酒がまずい、お金が足りないから特別給付金をくれってトサークの国民や官吏から直接帝国に陳情書が行ってたからなんでしょ?」

 それはトサーク王国が悪いよ、とアズミラは断言した。


 この辺りもまた、ジェムス連邦を形成する帝国と衛星5か国との上下関係の複雑さである。


 衛星国家の民は、時に自国ではなく帝国のために働かなくてはいけないし、祖国と帝国の両方に納税しなくてはいけない。帝国民には「田舎者」と馬鹿にされる。

 しかし一方で、帝国には連邦盟主として、衛星国家とそこに住まう者を守る義務がある。有事の際には食糧庫を開放し、救済や防衛のために兵士を派遣し、時には政治や経済に直接介入して不正を正さなくてはならない。帝国民としては「自分たちが作った食料や金でなぜ他国民を助けなくてはいけないのか」という不満がある。


 いずれにせよ、大陸の民はみな連邦盟主の義務を知っているので、自国の王が頼りないと分かれば、容赦なくジェムス帝国皇帝に直接陳情書を奏上するのだ。


「民は王族が考えている以上にたくましく、そして厳しいよ。彼らは一方的に王族に搾取される存在じゃないし、時に国のシステムの根底にある意識や思想を理解して、それを使いこなす。数も多いから、一致団結して実力行使に出れば王族に勝ち目はない。兵士たちだってそのほとんどは平民だ。親兄弟、友人や伴侶、恋人が王家に苦しめられていると知れば容赦はしない」

 アズミラの言葉には実感がこもっていた。


「シヴォト・ジェムス王国のことですか」

 王女の正面に座った侍女が隣国の名を挙げた。アズミラの故郷であるカテフ王国の隣、シヴォト・ジェムス王国では10年前、市民による反乱がおこった。その当時シヴォト王国からジャムス帝国宮廷に送られた五貴集は、むしろ母国と距離を取ることでこの反乱から身を守ることになったらしい。


「帝国の介入で結局2年後にシヴォトの民は王家と和解に至ったけど、和解に至ったのも、シヴォト王の末の王子の死がきっかけだったでしょう? それを聞いたときには怖かったものだよ、私も」


 自分と同じ年頃の、自分と同じで大きく堅牢な城に住む、自分と同じ王家の末子が、よもや民衆の起こした騒動に巻き込まれて死ぬ可能性があると知り、アズミラは子ども心に恐怖し、直感的に理解した。城壁も、城を守る兵士も、扱い方を間違えれば自分を守ってくれないどころか自分を殺しに来る可能性があるという事実に。


「民にかしずかれ敬われ、ぜいたくな暮らしができる。本当ならきっと野垂れ死にしていた私の人生は、ただの幸運で思いもよらない大逆転を果たした」

 では、自分と同じように捨てられて、そのまま野垂れ死に、あるいは殺され、あるいは物乞いとなりいたぶられる者らの運の無さをただあざけって、自分ひとり安楽をむさぼるのが正しいのか?


 かつて陵墓に捨て置かれて死ぬはずだったアズミラの答えは「否」だ。

「私はその幸運に報いなくてはいけない。王族という地位であるが故に安楽な生活を送れるのなら、せめてその対価として私は民を守り、彼らが安全に生活できるようにする」


 ぐっと拳を握って、勝気な笑みを浮かべた。それを見つめて女官が膝のうえできゅっと拳を握って呟いた。

「姫様が王家の血を引いていない拾われ子であることを揶揄やゆする者も、きっとジェムス宮廷にはおりましょう」

「なら私はより王族に相応しいふるまいをする。それでもって私の王族たるの証明とする」


 いずれにしてもね、と五貴集のひとり、アズミラ王女は明るい声で言った。

「これから5年間、帝国宮廷でうまくやって行けるか不安だし万が一の時には首を斬られる身だけど、そういうのが怖いのと同じくらいワクワクしてる」


 アズミラの若草色の大きな瞳が輝きに満ちた。何せ、これから向かうのはこの大陸の中心、ジェムス王国の帝都ジェムシーナ、その宮廷である。故郷のカテフ王国では見られなかったもの、感じられなかったこと、知らなかったこと、体験できなかったことがあるはずだ。それを思うと、彼女の身体は武者震いした。


 それに、なんとなく気恥ずかしくて長らく姉にすら秘密にしていたが、10年前のあの金髪の少年との約束もある。別に、アズミラも本当に彼と再会できるとは思っているわけではない。あの子供は泣きべそをかきながら交わした約束など忘れているだろう。


(……ただ、帝国宮廷に行けば、あの時ずっと泣いていたあの子が、自分の思い出の中で笑ってくれる気がする。私があの日から「立派な大人」とやらになれるように自分なりの研鑽を積み重ねてきたように、あの子が今も元気でやってるって思える気がする)


 もしも彼に再会した時に、自分を恥じなくていいように。

 からくも命を拾った己の幸運に報いるために。

 自分が王族に相応しいことを証明するために。

 自分を王族として認めた母国の正しさを証明するために。


 アズミラは王族の誇りを胸に、6国の連邦の結束を固めるための人質として、ジェムス帝国宮廷に赴くのだ。


***


 ジェムス帝国首都ジェムシーナにある帝国宮廷までの旅程において、カテフ王国からの人質である王女アズミラは、その好奇心で帝国からの迎えの者たちを辟易へきえきさせた。


 アズミラ姫はろくに馬車に乗らず、馬に鞍を置いてそれにまたがり、見慣れぬ物や気づいたことがあると腰に下げた帳面ノートにメモを書きつけて、カテフ人であろうと帝国人であろうとお構いなしに近くにいる者たちにあれはなんだ、これはこういう解釈で合っているのか、と聞いてくる。


 日記を兼ねた王女の帳面ノートには、川で採れる魚の種類や、大陸中に張り巡らされた駅伝制を支える駅家に務める地元役人から聞いた怪談話などが書きつけられている。初めて見る地方の風土や、教師たちから学ぶだけだったジェムス連邦の中央集権制を支えるシステムを目の当たりにしては面白がった。しかし一方で、魔獣が出現した地点やその数、壊れている橋や街の機能のことなども書き添えてあり、帳面ノートはなかなかに奇妙な具合である。


 王家の血を引いていないアズミラ王女のこういった態度は、帝国人たちには胡散臭く見えた。一方でアズミラ王女の、つまりカテフ人の兵士や女官たちはそういった帝国人のまなざしを言葉には出さずとも不快がっており、こういう具合で当初はカテフ人と帝国人の間に気まずさが漂っていた。


 それが雪解けを迎えたのは、最初の山越えの折だった。

 細い山道を歩く一行の頭上に、鳥型の魔獣の群れが現れたのだ。巨大な身体に鋭いかぎづめ、大きな翼をはためかせれば、風が舞い上がり、砂煙に人々は顔をしかめる。皇帝への贈り物を乗せた荷台や女官たちの馬車を引く馬たちも混乱し、鼻息荒く頭を振り、前足を鳴らす。


 浮足立ったのは帝国人たちだった。一方で、カテフ人たちは焦りながらもわきまえている。

「全員頭を下げよ! 迎撃用意!」

 誰よりも早く、轟くような声を上げたのは王女アズミラだった。

「炎よ!」 

 魔法を使うための簡易詠唱をすると、天を示す彼女の指先から炎がほとばしって、頭上の魔獣たちを牽制した。彼女が生まれ持った炎の魔法である。この隙を利用して、カテフ王国兵の将軍が号令をかける。


「迎撃用意! カテフ全兵、整列!」

 将軍の傍にいた角笛兵が独特のリズムで角笛を吹き鳴らせば、それを合図にカテフ兵は整然と隊列を組みなおす。


「長槍、構え! 突け!」

 今度は角笛が構えと突きのリズムで鳴り響き、それに合わせて刃の林がぐわんと盛り上る。火と、角笛の奇怪な音、とどめの槍の刺突で、さしもの鳥型魔獣たちもひるんだようだった。翼をはためかせて高度を上げ、再襲撃をかけるか否か様子見している。だが、王女アズミラは魔獣に考える余地を与えず、左手で空をなぞった。

「炎よ!」

 簡易詠唱と手の動きに合わせて炎が吹きあがった。


「魔獣ども、この列を妨げるというのなら容赦はせんぞ!」

 間髪入れずアズミラが怒鳴ると、ひとたまりもない、と鳥たちは翼を打って空の高いところに向かって逃げ出していった。


 ようやく脅威が去って、帝国人たちは誰もが感じ入ったようにアズミラを見つめていた。迷いなく応戦して見せた彼女の度胸と、僅かに魔力を込めて発せられた彼女の声に、「拾われの姫」、「死にぞこないの赤子」の王女たるゆえんを見出したのだ。


 しかし当の王女本人は呑気なもので、ぼんやりと空を見上げていたかと思うと、ぽつりと呟いた。

「しまった。捕まえたら今日の夕飯の足しになったのに、うっかりしていた」


 帝国人たちがぎょっとするのもお構いなしで、カテフ人たちは自分たちの失策に気づいて頭を抱えて、前方の偵察に行った者たちの帰りを待ちながらわぁわぁと盛り上がりはじめた。本来は「だらけている」と一括されるようなカテフ兵の振る舞いであるが、和気あいあいとした様に唖然とし、帝国人たちは咎めることすら忘れている。


「しまったなぁ、ありゃあ大きいからがあるんだが」

「羽もちぎれば活用できたのに」

「あの鳥型魔獣はもも肉が美味い」

「野趣がつよいけど、実質鶏肉だよな。熟成させたソースに漬けてカラッと揚げてさぁ」

「あの調理法には酸味の強いワインが合うな」

「私はむね肉にたっぷりの香草と塩コショウで焼くのが好き。麦酒が合うわよ」

「姫様もあれ好きですか? 私もです、シンプル故のおいしさですよねぇ。調理も簡単、野営も盛り上がる良い料理です」


 魔獣の調理方法を語り合いながら笑みを浮かべる田舎者たちに、帝国民はなんとも言えない顔をしている。むしろそれに対して、田舎国の姫君は意外そうな顔をして、行軍を再開しながら自国の兵たちに問いかけた。


「そんなに驚く? 結構おいしいし危なくもないわよ。誰か、魔獣の肉食べて死んだ人の話、聞いたことある?」

「まだ聞いたことないですよ、姫様。きもはやばそうなんで食べませんけど」

「不味い肉ってのはありますけどね、基本どの魔獣の肉も食えますよね」

「今度王都の印刷所が魔獣の調理レシピをまとめて小冊子にして売るらしいぜ、捌き方とかもまとめてさ」


 再び盛り上がる自国の兵士たちを見て嬉しそうに笑ったアズミラ王女は帝国人たちの方を見た。そんなにっこり微笑まれても、と帝国人たちは妙に気安い姫君に戸惑いを隠せずにいる。  

「は、はあ、さようで……」

「王女殿下が壮健のようで何よりです」


 文明国を自認するジェムス帝国では、創世神話において女神とその騎士を殺したおぞましい生き物である魔獣を食べるなど、野蛮なことはしない。


 だが、食べられるものは何でも食べるのが人間のさがでもある。その上ジェムス帝国も広い。

 毒虫を毒抜きして食べる地域もあるし、逆にかつての帝国宮廷では美食追及が過ぎて、触感を楽しむためだけにアヒルの産毛を飲み込んでから吐き出すというようなおかしな食べ方がまかり通っていた時代もあった。

 皇太子になったばかりだった現ジェムス皇帝は、血肉にもならず後で吐き出すような不衛生な食事はやめろ、というお触れを出したのだが、このような「馬鹿げた」お触れを出したのが宮廷人として最初の仕事だったことについて、皇帝は今でも言葉に表しがたいささやかな鬱憤を抱えているという。


 まあそんな具合なので、文明人を自称する帝国民も田舎者のことは強く言えない。そういうお互いの妙な「しようのなさ」が帝国人たちの警戒を緩めた。


「それにしても、さすが星降る山岳の籠ですな、カテフ・ジェムス王国は。この山道において上空から襲ってくる相手にああも冷静に対処できるとは」

 話題を変えて、この一団の総責任者である帝国官吏ポーム卿がカテフ王国の将軍とその兵卒を評価した。星降る山岳の籠、というのはカテフ王国の美称で、周囲よりも標高の高い盆地にあるという地理的条件から生まれたものだ。


「我が国は主要都市とその周辺以外での勤務だと、基本的に山岳地帯警備になりますからな。特に、ここにいる者たちはつい最近まで山岳警備にあたっていた者たちです。それに、先ほどは姫様が魔獣をけん制してくださいましたからな」 

 帝国貴族に褒められ、カテフ人たちは一兵卒から王族まで嬉しそうに腕を突きあげたりしている。実際、彼らの冷静さと統率は見事なものだった。


「さすがに皇帝陛下が毎年山岳部隊の訓練をカテフ国に頼むだけあるということですか」

 カテフ王国将軍の言葉に、ポーム卿はまるっこい顎に生えた短いひげを撫でつつ感心したように頷いた。


 ポーム卿は四十代半ばの帝国貴族で、10代から20代のあいだに5つの衛星国家を旅して回っていた。そのころの経験を活かし、30代になって始めた宮廷への出仕では、衛星五か国から来た皇帝の客人をもてなし、世話をするような役目を担っている。

 話し上手だが聞き上手、明朗な性格とあって、宮廷内での人望も厚い。他人の要望の本質を理解することができる点で仕事ぶりも確かである。旅の中で護身のために磨いた武術の腕はさび付きつつある、と自嘲するものの、馬を乗るときの身のこなしの鮮やかさや、先の魔獣を相手に迷わず剣の柄に手をかける姿などにはカテフ王国の将軍が軽く目を見張るほどだ。

 そしてもちろん、その経歴に由来して、アズミラ王女の好奇心に応えてやれるだけの、大陸中の地理的・文化的・風土的知見に富んでいた。


 ポーム卿や彼の部下たちはこの王家の血を継がない王女への評価を改めつつあった。この王女はまず目下の者への寛容という、貴人の美徳を備えている。決して部下を罵らないし、苛立って叱りつけることも無い。鷹揚に構え、トラブルで行列が足を止めた時には迂回を提案した。決して豪華とは言えない道中の食事や宿にも文句は言わず、食事量が足りないと感じれば黙って馬上で魔道弓を構えた。巨大な魔獣を狩れば、カテフ人だけでなく、帝国人たちにも振舞い、共に食卓を囲んだ。


 結果、旅立って2週間ほど経ち、隣国シヴォト王国を通過する頃にはポーム卿ら帝国人たちがカテフ王女アズミラに向けていた呆れは、好意に変わった。彼女の王女としての資質を疑う者もいない。不思議と、カテフ兵と帝国兵の間にも何やら友誼ゆうぎめいたものが芽生えるようになった。


(私としてはずいぶん楽をさせてもらっているが、ふむ、アズミラ殿下が我慢しておられないと良いが)

 ポーム卿はそのようなことを考えながら、料理係に、姫君の皿に肉を一枚多く乗せるように頼む。アズミラは配膳される食事に文句を付けないが、その実、健啖家けんたんかであった。


(良い王女殿下だ、好奇心も強く、私にあれこれと質問するときの口ぶりからしても、多くの本を読み知識を蓄えている。母国に帰ればあの肝の座った次期女王を良く支えそうだ)


 当の王女は昼の休憩に入ったのを良いことに、そこら辺にいた帝国兵と、魔法を使った模擬試合をしている。轟々と燃える炎が兵士たちを圧倒したのを見ると、ポーム卿はそちらに声をかけた。

「アズミラ殿下、お食事の用意が整いましたよ!」


 王女は元気よく返事したものの、侍女が用意した水で顔を洗いながらさっきの帝国兵と何やら話し込んでいる。兵士の方が身振りだけで抜刀の構えを取ると、目を輝かせた王女は手や顔をびしゃびしゃに濡らしたままその横で構えを真似まねて見せる。兵士が何も持たない右手を素早く動かして前方の低い位置に大きな半円を描くと、魔力由来の強い風が吹いて青々とした草が千切れて舞う。王女がその動きをなぞって、腰を低くして見えない剣を抜いて見せると、炎が半円状に噴き出して千切れた草を焦がした。


(アズミラ殿下の魔法は良く練りあげられている。馬も乗りこなし、剣や魔道弓も扱う。平民出の一兵卒から教えを乞うことができる。王族とは血ではなく育ち、か)

 ふとポーム卿が思い出したのはジェムス皇帝の言だった。彼が直接聞いたわけではないが、カテフ王国が捨て子を王女に冊立さくりつしたことを報告した際に、大陸盟主はそう言ってこの第二王女を寿ことほいだらしい。


「殿下、お肉が冷めますぞ」

 懐かしさに目を細めつつポーム卿がもう一度声をかけると、とたんに王女は本気で焦ったような顔を見せ、兵士と別れて自分の食卓へと駆けだした。

 

 青草を掻き割る七分丈の白いズボンが風を受けてたなびき、白い麻の開襟シャツは夏の陽を反射して、アズミラ自身が光を放っているように見えてポーム卿は目を細めた。暑気に耐えかね、王女の長い赤茶の髪は高いところで一つに結ばれている。炎の熱気と夏の暑気で、濡れていた肌はすっかり乾いているらしい。


「すまん、待たせたようで」

 王女はさわやかに笑って簡素な卓に就く。それでようやく官吏たちや将軍たちも昼食にありつけることになった。


「姫様は楽しいことがあると寝食を惜しむタイプですが、侍女がしっかり見張っておりますので、帝国宮廷でもきちんと睡眠と食事を取るようにしてください」

 付き合いの長い将軍の小言にアズミラは眉をハの字にして笑い、話題を変える。

「さっき、魔法を扱う時の腕や手の動きと、武器を扱う時の動きをもっと融合させた方が良いんじゃないかってアドバイスをもらってさ、有難かったよ」


 そう言いながら、木陰に流れ込む風に気持ちよさそうに目を閉じる。その横顔を盗み見ながら、ポームは10年前のことを思い出していた。

(陛下が手づから斬首なさったトサーク王国の姫とはこうも違うか……)


 ポーム卿は前回の五行帰貴ごこうききの際にも、今のように帝国に向かう五貴集ごきしゅうの行列を取り仕切る役を負っていた。当時の彼はトサーク王国の担当で、今回そうしたようにトサーク王国の姫を迎えて共に王国首都を出てジェムス宮廷に向かった。


(そう、思えば違和感は最初からあったのだ)

 トサーク王家の紋章を掲げた姫君の馬車が通ると、民たちはそれを見送っていたものの、白けた顔をしている者が多かった。大きな店構えの酒店や塩の屋台の者たちは歓声を上げて姫君の無事を祈っていたが、買い物をしている客たちは形ばかりの礼をするのみだった。

 後で分かったことだが、その当時すでにトサーク王国市民や一部の官吏は秘密裏にジェムス帝国に陳情書を提出していた。おそらく市民たちは、姫君の末路をすでに予見していたのだろう。


 だが、当時のポームはそんなこと知る由もない。疑問に思いつつ任務の遂行に集中した。しかしトサーク王国の姫の旅程は苦難が多かった。半ば仕方ないことなのだが、彼女は五貴集人質として帝国に行くことを嫌がって何度も脱走を試みた。王宮とは全く違う旅の宿や食事にも不満は募っていたらしい。その上、トサーク兵のやる気も無かった。平民の彼らもまた王家への不満を募らせ始めていたのだろう。寝ずの番をしていたトサーク兵が「いっそ脱走して狼にでも食われちまえばいい」と言っていたのを、ポーム卿は聞かなかったふりをした。


 帝国にたどり着くとトサークの姫はようやく抵抗をやめたが、皇帝直下の調査組織「巡視局」や市場監査官の3年の調査を経て、彼女は見せしめとして首を切られた。5年の年季が明けて母国に戻ったトサーク王家の馬車には、王女の遺品だけが乗っていた。葬列のような一行を率いなければならないポーム卿の気の重さといったらなかった。


 とにかく、この五貴集を迎えに行く役目には心労が多い。陽気なポーム卿も、今回カテフ王国第二王女の行列の責任者に指名された時にはさすがに気を揉んだ。だが結果として、ポーム卿の不安は杞憂に終わった。


「これも訓練みたいなものですし、慣れてしまえば平気です。毎日違う景色を見られるのも楽しいです。私は小さいころ、冒険譚や英雄譚が好きでしたから、少しなりともそれを直に体験しているみたいで」

 日よけのヴェールから顔をのぞかせ、馬上の王女カテフ・アズミラはこの往路の旅についてそう評価した。


 昼休憩を終えて再び動き出した行列の中、王女はふと思い立ったように首をひねった。

「そういえば創世神話では最後、創世の女神の骨は剣に、皮膚は盾になったというけれど、じゃあ女神の肉や臓器はいったいどこに行ったのかしらね? 騎士は死んだと明言されてるけど、その後の女神のことは何も書かれてないのがずっと気になってるの」


 諸国の事情に通じたポーム卿とは言え、人の身であるゆえに、創世の御代のことは創世神話のこと以上は分からない。だが、彼はもはやアズミラを相手に分からない、と突っぱねることはできそうもなく、代わりの言葉で返事をした。

「殿下は生々しいことを気になさいますな」


「獣を狩って皮を剥ぐと、肉が出てきて、肉を切り分けると臓腑や骨が見えるものだから」

 しかしアズミラとて、答えを知る者はもうこの世にいないことを知っている。世話になっている者を困らせる趣味もない。

「いや、女神の玉体を人間や獣の規格で語るほうが不敬か」


 そう言って笑うと話題を変えて、ポーム卿に、今回の五行帰貴で衛星五か国から帝国に参上する五貴集たちについて問うた。これは彼が最も得意とする問いである。


 五貴集として帝国に赴くにはいくつかの条件がある。

 王族であること、重病人でないこと、自身及び配偶者が妊娠していないこと、結婚1年未満でないこと、国王・女王及びその配偶者でないこと、など色々あるのだが、その結果、今回の五貴集として集うのは、奇しくも全員が10代から20代前半の未婚の王女だという。


 ポーム卿がアズミラ以外の4人の王女たちについて説明すると、王女は足だけで馬を操りながら、腰に下げた帳面ノートにその内容をメモしていく。彼女の筆記速度に合わせてポーム卿は語りの早さを調節しながら、最後に自国の皇女の名を上げた。


「皇帝陛下は、ご息女である、第三皇女ティチェ内親王ないしんのう殿下を、五貴集ごきしゅうの輪に加えるとおっしゃっておりました。内親王殿下の御歳はちょうど、アズミラ殿下と同じ18歳であらせられます」


 内親王、というのはジェムス帝国の皇女にのみ許される敬称である。その内親王ティチェ姫が同い年、と聞いてアズミラは帳面から顔を上げて好意的な表情になった。その分かりやすい変化に苦笑しながらポーム卿は知りたがり屋の姫に語って聞かせる。


「ティチェ内親王殿下を、五貴集の方々と同列にぐうするのです。今回の場合は、ティチェ殿下も女神の御座への参拝に向かう姫君のうちの一人、ということですな」


 その他、五貴集たちの勉強会や武術の鍛錬などにもティチェ内親王が参加するということらしい。それ以外にも、状況と各人の年齢によっては官吏に交じって仕事をするときにも内親王が加わるということらしい。


「帝国の宮廷のお仕事に他国の王族が関わるって大丈夫なの?」

「どこの王族であろうと十分な教育を受けた人間を遊ばせておく気はない、との陛下のお達しです」

「……なるほど」

 いずれにせよ、ティチェ内親王が大陸盟主の娘として、各国への理解を深める足掛かりになれば、という皇帝の意図もあるらしかった。


 そう説明しながら、顔には出さないが、ポーム卿はなんとなく気が重い。二人の兄と二人の姉を持つジェムス皇帝の末娘ティチェ姫の生活ぶりと言えば「大陸盟主の姫君」の肩書を裏切らない華やかさで、侍女や貴族令嬢たちと宮廷内で歌や物語をして時を過ごすことが多く、半面、宮廷と帝都の外のことには興味が薄い。


 自宅というべき宮廷に、10年おきにやってきたかと思えば5年も滞在する、五貴集たる衛星国家の王族たちのことも気に食わない様子で、父王からの命令には渋々といった様子で頷いていた。皇帝が10年前に当時18歳だった少女の首を切り落としたことを考えれば、純粋に父親への嫌悪感もあるのだろう。


 しかしそんなことは露知らず、アズミラはにこりと笑った。

「それは楽しみですね。私はティチェ殿下について詳しく存じ上げませんが、内親王殿下の兄君と姉君はそれぞれ帝国山間部の警備部隊の仕切っておいでだったり、文書館の館長、商取引の監督官や巡視局の局長としてご活躍なさっているとか」


「アズミラ殿下はよくご存じで。ティチェ内親王殿下だけご姉弟から少し年が離れておいでなのです」

 私と姉上の関係に少し似ていますね、と朗らかに答えたアズミラ王女に、帝国宮廷人のポーム卿はぎこちなく笑うだけだった。


***


 隣国シヴォト・ジェムス王国を抜ければ、帝国領に入る。アズミラ王女の故郷にある山々から流れる水は川となり、シヴォトの地を貫く大河となって、ジェムス帝国にたどり着いて海に還る。


 海が見えると、星降る山岳の籠の者たちは歓声を上げた。

 右見て山、左見て山、選択肢が山側と山側しかないカテフ・ジェムス王国の民は、海を見ずに一生を終える者も多い。王女であるアズミラですら、まだ幼いころに両親に連れられて姉と4人でジェムス宮廷の式典に参加した時以来である。


 海なし国の王女は漁業をはじめとする海に依存した産業について聞きたがり、帝都の宝飾店に行きたがった。珊瑚や真珠といった奢侈品しゃしひんの価格が母国と比べてどの程度違うのか知りたいらしい。さすがに寄り道するわけにもいかず、代わりに帝国貴族のポーム卿がだいたいの値段を言うと、アズミラは分かりやすく顔をしかめた。輸送費などを考えても母国とあまり変わらなかったのだ。その表情の変化の屈託のなさに、誰もが思わず笑みをこぼした。


 そうして、カテフ・ジェムス王国から出発したアズミラ王女の行列は、約1か月の後に大陸盟主であるジェムス皇帝のおひざ元、帝都シジェムシーナの宮廷に到着した。旅の開始とともに書き綴られていた、覚書や日記を兼ねたアズミラの手元の帳面ノートも全ページが埋め尽くされていて、それをめくると満足そうに笑って顔を上げ、カテフ兵たちを率いてきた自国の将軍を見据えた。


「将軍、ここまでの道中、大変世話になった。どうか帰路も気を付けて、皆一人も欠けず帰国するように。カテフ・ジェムス王女の命令である」

 王宮の大門前にたどり着き、旅の最後の最後になって、初めてアズミラ王女は臣下たちに命令を下した。将軍とその麾下にある騎士や兵士たちは皆揃って王女の前に深く頭を下げた。


「父上や母上、姉上たちにも宜しく伝えてくれ」

 将軍に手紙を預け、そのまま姫君は兵士たち一人一人と握手して別れを惜しむ。返礼として、カテフ兵たちは姫君に魔道弓を差し出した。アズミラは丁寧に礼をしてそれを受け取り、大切そうに抱きしめて礼を言った。


 それが終わると、カテフ兵たちは一か月の旅路を共にした帝国兵たちと握手や抱擁を交わし、時に連絡先を交換し、互いへの感謝を伝えた。帝国兵はカテフ兵に帰路の食料を都合してやり、個人的に仲の良かった者に旅の無事を願うお守りを手渡し、互いの無事を願い合った。

 ジェムス連邦という体制を取ったことで国家間の戦争が起きないため、この大陸では兵士が死ぬようなことは少ないのだが、昨今の魔獣の出現を考えればそうも言っていられなかった。

 兵士たちは最後に自国の姫をポーム卿らに託し、そのまま帝国側から指定された帝都の宿へ向かった。明日の朝には彼らは帰路につかねばならない。


 アズミラは南の風に吹かれながら、兵士たちの背が見えなくなるまで彼らを見送り、贈られた魔道弓を握りしめていた。旅のさなかにも彼女が握っていた弓は本来、軍の共用装備だった。それを、腕に覚えのある者たちが、旅の短い休憩時間に特別な加工を施し、装飾を加え、アズミラのための装備に仕上げた。職人の手による逸品というわけではないが、軍の共用品になるだけの扱いやすさと頑丈さを備えた品である。


 それをぎゅっと握りしめ、傍に寄った女官たちに微笑みかけると一連の流れを見守っていたポーム卿と頷き合う。それを合図に、帝国兵たちは王女が持参した皇帝への贈り物の入った箱を持ち上げた。こうして、カテフ・ジェムス王国第二王女アズミラ・カテフは大陸盟主の本拠地であるジェムス宮廷へと足を踏み入れた。

 夏も終わりの頃の、夕方であった。

 

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