第9話(遭遇編)【霊媒師の出る幕はない出来事】Iさんの語り(心霊)
(補足:前回の続きです)
宿の外には、つい先ほど鳥の幽霊を目撃したという前田さんという男性が立っていました。
「こんな若い娘でだんねえのか。やっぱ猟師に頼んだ方が良かったんじゃ無えのか」
前田さんがまさこさんを頭のてっぺんからつま先まで吟味するように眺めます。
「私はまだまだ駆け出しですが、皆様のお力になれるよう、精一杯頑張ります」
まさこさんの発言に「ふんっ」とだけ答えて、前田さんが神社に向かって歩き始めました。その後に村長とまさこさんが続きます。
山道はほぼ森でした。鬱蒼と茂る木々から、前日まで大雨が降ったためか土と葉っぱが湿った自然の匂いがします。徐々に神社に近づいていくまさこさんは、少し不安感を持っていました。
心霊や幽霊、つまり自分がお祓いできるものが相手であれば、その気配がわかります。ただ、今の彼女はそれを一切感じていません。本当に自分がお役に立てるのか。まさこさんの不安は一歩、また一歩と神社に近づいていく度に上がっていきます。
白大山神社に到着しました。やはり彼女は霊的なものを何も感じません。ただ、彼女の鼻には、さっきまでしていた雨あがりの土の匂い以外の何かを捉えていました。
それはただ呼吸しているだけでも口の中まで入ってきて、まるで舌で味までも感じられるような、濃い獣臭でした。そしてすっかり暗くなった境内から感じる、こちらの動きをじっと見張っているような視線。まさこさんは、ひょっとしたらこれは本当に熊や大型犬のような動物が犯人なのでは無いかと思い始めていました。
その時、境内の奥から「ケケッケケケケケ、ケケケケッケケケ…」という、鳥の鳴き声のような、その割には少し低くて野太いような、聞いたことの無い音が聞こえてきました。
山村村長が音のした方を懐中電灯で照らすと、木の床を大人が走るような「バタバタバタバタバタ!」という音が響きました。神社の屋根から音に合わせて水滴がボタボタボタっと流れます。
建物の裏に何かいる!山村さんたちと急いで社の裏に向かいます。急いで懐中電灯で照らすと、真っ黒な水たまりがありました。ムッと濃い血の匂いが鼻腔を刺激し、涙が出そうになります。そしてその水たまりの真ん中には、引きちぎられた法衣をまとった住職の胴体と、何かに噛みつかれジャーキーのようにゴロリと転がっている左腕。そしてこちらをだるまさんのように立って見つめる、口と目を大きく開けた血まみれの住職の首。
前田さんが叫び声を上げる時、まさこさんは住職の死体の更に奥に不思議なものを見ました。
それはガサガサと林に入っていく、1メートルほどの長さの細くてふさふさとした茶色い尻尾でした。
(なんだあれは!?)声を出そうにも、目の前に広がるあまりに凄惨な現場にまさこさん含め誰もが言葉を失っています。
目の前の死体はまさに、何かに食いちぎられたような歯形や喰い跡が残り、柔らかいから最初に食べられたであろう内臓が、ビリビリに破かれた法衣の隙間から覗いています。
「これは…これは…」
前田さんが尻餅をつき、その場でガタガタと痙攣しています。山村さんもわなわなと手が震え、懐中電灯の光が安定せず社の背面や雑木林を照らします。その時にキラッと、雑木林で二つの光が反射したことにまさこさんは気がつきました。
(何かが林の中からこちらを見ている…様子をうかがってる…!)
「早く警察に知らせましょう!早く!」
まさこさんの声に、山村さんと前田さんの身体がビクッと震えます。
「ほ、ほやけど、誰かここに残ってたほうが、いっ、いいんでねえか…?」
山村さんが脂汗を滴しながらまさこさんの方を見ます。
(そうか、この二人はあの尻尾にも、奥から何かに見られていることにも気づいてないんだ…!)
まさこさんはここから離れたい一心で引き続き声を張り上げます。
「もし熊だったら危険です!一旦この場を離れて、警察の人と一緒にまた来ましょう」
前田さんがよろよろと立ち上がります。
「確かにここは危険や。一旦戻ろう…!」
まさこさんが雑木林を照らします。ですが、さっき見えていた二つの光はもう無くなっています。
(「目」に見えたあれは何なんだろう…。目の高さ的には普通の身長の男性ほどだったが…。そしてあの長い尻尾は…。)
まさこさんはまだ膝が笑っている前田さんを山村さんと二人でおぶり、時折後ろを振り返りながら参道を歩いていきます。
まさこさんは森をぬけ、宿の明かりが見えるまで、霊的な何かを感じることは出来ませんでした。
おかみさんに電話を借ります。とは言え時間は既に八時を過ぎており、田舎の町は真っ暗です。
通報から一時間ほどで、山道を二台のパトカーがゆっくりと登ってきました。
「住職が死ぃでるのに、来る警官はこんなに少ないのか」
山村市長が降りてきた警察官に話しかけます。
「昨日までの台風で、川が増水して人手が足らん。我慢しとくんね」
やってきたのは全部で五人。一応ヘルメットと懐中電灯も持っているようです。一番年配の警察官がパトカーのバックを開けます。
「熊やったら、これがあるで」
彼の手には一丁の猟銃が握られていました。まさこさんは、あれは熊ではないと確信していましたが、話の腰を折ることも出来きず、また正直に話した所でバカにされるだけだと思い、結局先程見た尻尾や光る目のことは誰にも言えませんでした。
「それじゃぁ行くか」
年配の警察官が猟銃を担いで神社に向かいます。
まさこさんは正直もう体力的にも精神的にもクタクタでしたが、山村市長と前田さんが是非にと言うので、嫌々では有りましたが警察の方々と一緒に境内に戻ることになりました。
さすがに八人もいると先程参道を歩いていた時よりも安心感があります。あたりは真っ暗でほとんどの人が参道の階段や石畳を照らす中、まさこさんだけは、雑木林を照らして先程こちら見た何かが戻ってきていないかを確認し続けていました。
霊的な物であれば気配や危険度がわかります。しかしあれはそんなものは一歳無く、それ故に(見間違いではない…)という確信がまさこさんにはありました。
ただ、あんなに尻尾が大きい野犬のイメージは出来ないし、熊以外の動物が簡単に人間を殺せるとは思いません。一瞬、動物園からライオンが逃げてきたのかと思いましたが、確か当時動物園はH県にはまだありませんでした。
これはまさこさんの話を受けて私が調べた記録ですが、確かに当時動物園そのものがH県含めたその地方に無く、また動物園からライオン、虎などの人間を狩殺せる動物が逃げ出したという記録はありませんでした。
社が見えてくるにつれ、血の匂いが濃くなってきます。当時の湿気もあってか、血の湧き出る温泉に入っていくかのよな肌のベタつき、吐き気を催すような匂いに、やってきた全員が顔を顰めます。
「こっちや。住職の死体があったのは」
山村さんがハンカチで鼻を抑え、社の裏に周ります。
しかしそこには、先ほど見た血溜まりしかありませんでした。住職の体や腕、頭は全て無くなり、真っ黒な血の池が砂利の上に広がっているだけです。
ですが、その血溜まりの形は先ほど見たものとは大きく変わっていました。血が、すぐそこの森の中まで続いていました。まるで、住職の死体を森の中に引き摺り込んだというように、ズズズと血の擦った後が脇の茂みに向かっており、葉っぱからは雨の代わりに付着した血がポタポタと垂れていました。
「なんで無えんや!さっきはここで住職が…」
前田さんが警察官の肩を掴み、またガタガタと震え始めます。
「何か大きな動物が、ご遺体を茂みに引き込んでいったみたいな…」
まさこさんはつい自分の考えを呟いてしまいました。
「あんたみたいな人でも…、ほんなことを言うんやね…」
と市長が冷めた目でまさこさんを眺めます。
霊媒師としてバカにされたり、軽んじられたりすることには慣れてはいたのですが、来たくもなかった場所に無理やり同行させられた上にそんなことを言われるなんて!
沸々と怒りが湧いてきましたが、当時のまさこさんはまだ若く、とても言い返せるような気力は有りませんでした。
「死体が無えなら確認もできんが、これは一体…」
と年配の警察官が口を開いた時、裏手に見える白大山から(ゴゴゴゴゴゴ…)と低い地響きの音が鳴り響き、地面が揺れ始めました。木々が大きく頭を振り始め、鳥が一斉に空へ飛び立つバサバサという音が、真っ暗な境内にいる自分たちの不安を掻き立てます。
両手を広げながらバランスを取っていた警察官が皆に呼びかけます。
「昨日の台風で、土砂崩れが起きる可能性が上がってるでぇ!今日は一旦このまま避難しよう。関係者以外は神社に立ち入れんようにしといとくんね」
結局その日の調査は打ち切られ、蜻蛉返りのようにまさこさん達一行は着た道を戻りました。
結局住職の死体はどこに行ったのか。そもそも住職を殺したのは何なのか。そして、これは本当に心霊的な、お祓いでどうにかなるような事態なのか。
まさこさんは全く理解できませんでしたが、宿に帰った彼女は移動の疲れと精神的な負担のため、布団に倒れ込むように眠ってしまいました。
ただ彼女は夢の中でも、ずっと茂みから覗いていたあの目に監視されているような気がしていたと言います。
(補足:次回の投稿に続きます)
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