第39話 イノセント・ボーイ


 二人の対戦を眺めていた悪魔キュニフォルメは、さもおかしそうに笑った。

「さすがですね、フリッツ殿。でもあなたは、その力でいったい何がしたいのでしょうね? 目の前の人々を守るというお題目も結構ですが、あなたご自身も、そこそこ人を殺しているとうかがっておりますが。覚えてはいなくても、何となくそうかな、というのは分かりますよね?」

 フリッツの顔に明らかな動揺が走った。頭の中に、残されていた過去の記憶が反響する。

 侵略者を、この世界から消して。

 はるか遠い日のその誓いを、僕は忠実に実行してきたに違いない。そして今、キュニフォルメとかいう目の前の女悪魔がその話を持ち出してきたということは。彼女たちが子供を殺す理由というのが僕のそれと同じならば、僕がこの悪魔を責める理由など、どこにもありはしない。

「……たぶん、お前の言う通りだろう」

 自分たちをこのような身体に改変した奴ら。この世界を利用し、蹂躙し、屈服させ、破壊することを是とする侵略者たち。到底、許せるはずがない。

「そうですよ。要は、きれいごとは言うなということです。理由があれば殺すというのは、お互い様なのですから」

 キュニフォルメの瞳には、慈悲の念すら込められていた。彼女からすれば、フリッツは無駄に悩み苦しんでいるようにしか思えない。確固たる意志と力こそが、この世界を守ることが出来る。つまらない感傷など、自縄自縛に陥るだけの単なる足かせでしかない。

「とりあえず私は、自分の仕事を全うさせていただきましょう。あなたとはもう少し話したいこともありますが、それは後程ということで」

 ジュディと子供たちの方へと足を踏み出そうとしたキュニフォルメに、フリッツが沈痛な声を絞り出した。

「確かに僕は人殺しだ。けれど、子供たちを殺すというのは、違うだろう?」

 キュニフォルメはちらりと振り返ると、フリッツに冷ややかなまなざしを向けた。

「違う? 何が違うというのです。まさか、大人はよくて子供はだめだ、とかいう差別主義に陥っているわけではないでしょうね。差別は、私の最も憎むところなのですよ。人種、性別、年齢、社会階級、そして世界。私は自分の敵に対して、平等に攻撃します。平等に、その罪を罰します」

 フリッツはキュニフォルメの言葉を否定するために、何度も首を振った。それが自分勝手で一方的な理屈だったとしても、僕は子供だけは殺せない。またいつものダブルスタンダードか、とののしられ軽蔑されようとも。

「……あの時、僕も子供だった。何も知らないまま巻き込まれた、ただの子供だった。僕のような思いを、これ以上誰かにさせるわけにはいかない」

 ただ生まれてきただけの子供たちに、いったい何の罪があるのか。死ぬために生まれてきたというのならば、それは僕たちではなく、この世界の過ちじゃないか。よもや存在自体が罪であるなどと、決して誰にも言わせない。

 僕もカタリナも、本来何の罪もなかった。

 僕らは無実だったんだ。

 キュニフォルメはあきれ顔でため息をつくと、かたわらのランディに愚痴をこぼした。

「なるほど、度し難い強情さですね。ランディ殿、足止めをお願いしてもよろしいですか?」

「足止めなどと。半年前のようにもう一度くたばってもらって、記憶を失ってもらいますよ」

 ぱきりと指を鳴らして見せるランディに、キュニフォルメは半信半疑の目を向けながら薄く笑った。

「さて、あなたに彼が殺せるでしょうかね? でもまあ、ここはお言葉に甘えてお任せするとしましょうか。五分ほど時間を稼いでいただければ、それで充分です」

 キュニフォルメは両手を軽く振ると、それぞれの手掌から長剣を形成させた。二刀を体の前で軽く交差させると、ジュディと銀髪の子供たちへと歩を進める。我に返ったフリッツは悪魔の元へと駆け出そうとするが、その前に拳を構えたランディが立ちふさがった。

「人に蹴りを入れておいて無視するなんざ、感心しないぜ。記憶だけじゃなく礼儀まで忘れた坊やには、再教育ってやつが必要だな!」

 ランディは片方の口角を上げて笑うと、矢継ぎ早に攻撃を繰り出してきた。足払いから立ち上がりざまの回し蹴り、踏みこんで左右の拳の連打、背を見せてからの裏拳。そのコンビネーションの速さに、フリッツは受け流すことしかできない。

 普段ならば、ランディの連撃などどうにでもなったかもしれない。しかし今のフリッツは、明らかに心の動揺をつかれていた。お前はただの人殺しだと、今まで斬ってきたあまたの魂がフリッツを責めさいなむ。

「どうした、そんなもんか? もっとも俺がこうしてまともに戦えているのは、お前の戦いぶりを昔に見て学習しているからなんだがな。不死相手だ、このぐらいのハンデは許容してもらおうか」

 翻弄されるフリッツの耳に、子供たちを守ろうとするジュディの悲鳴が聞こえた。わずかに気を取られた隙に、ランディの上段蹴りがフリッツの左側頭部に食い込む。

「っ!」

 視界がぐらつき、地面に膝を折るフリッツ。勝利を確信したランディは、しかし次の瞬間、驚愕の声を上げた。

「……嘘だろ、今の右ハイで死なないのかよ。こいつ、打撃を受ける直前に頭蓋骨を硬化させやがった……!」

 やはり治癒魔法なんて認めるべきじゃなかったな、とランディは内心で毒づいた。何も考えちゃいねえ王国の阿呆どもが、あまつさえアカデミーなんか作りやがって。

 肉体の不死。やはりお前は、この世界に存在しちゃあいけないんだよ。

 両膝をついたまま動けないでいるフリッツに、ランディはゆっくりと歩み寄った。

「しかし、だ。入れ物は頑丈に出来ても、どうやら脳震盪しんとうまでは防げなかったようだな。お前を殺すには、脳か心臓を一撃で破壊するか、全身の細胞を一気に焼き尽くすか。焼くのは面倒だしな、やはり心臓か?」

 朦朧もうろうとする意識の中で、フリッツは子供たちの方へと顔を向けた。立ち上がろうとするたびに、両脚ががくがくと震える。

 フリッツの脳裏に蘇る、炎の中で焼かれながらも彼に呼びかける少女の姿。

 またしても、僕は守れないのか。

 心に残ったわずかな燈火ともしびが絶望と憎悪に吹き消されるのは、もはや時間の問題かと思われた。

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