第37話 襲撃の予感

 「スプリッツェ」に続いて「破瑠那」とは。これまた刀にはまったく不似合いな名前を、とリョーコはそのネーミングセンスを疑った。

 はるな、って。女の子かよ。

 問いただす気力も失せたリョーコは、男の言葉に含まれているもう一つの違和感に気付いた。

「あなた、この刀の事をずっと『道具』と呼ぶわね。それには何か意味があるの?」

 ほう、と感心したように、男は整った細い眉を吊り上げた。

「あなたの想像通りですよ。それは本来、刀として作られたものではありませんからね。使い方としては、刀と同じですが」

「よくわからないわね。斬ることには変わりないでしょう?」

「あなたには、手術道具と言った方が理解しやすいかと。メスで人を斬る、とは言わないですよね。切る。つながりを切断する。そういう事です」

 リョーコは舌打ちしたい気分だった。私の前世が医師であることまで知っているとは、どうやらこの男には個人情報の保護という概念は無いらしい。

 結局大して有用な情報は得られなかったな、と落胆したリョーコは、早々に話を切り上げることにした。

「さて、あなたとこれ以上言葉遊びをしている暇はないわ。私、忙しいの」

 男は妙に真剣な顔をしてうなずいた。

「そうでしょうとも。でも私に言わせてもらえば、すぐにもっと忙しくなるかもしれませんがね」

「へえ。あなたが今から、お客さんをたくさん呼びこんでくれるのかしら」

「緑竜寮」

 男の口から出た単語は、リョーコに衝撃を与えるのに十分な効果があった。

「……ちょっと。いきなり、何言ってるのよ」

「彼、時々あそこへ子供たちの慰問いもんと往診に通っているそうですよ。優しい少年ですね。ところで最近、子供たちが襲われているという噂を耳にしましてね。いやはや、何事も起きなければ良いのですが」

 リョーコの頭にかっと血が上った。こいつ、とぼけるにも限度がある。

「どうして、それを早く言わないのよ!」

「先に剣の話をしておいた方が良いと思いましたから。彼にはきっとこれが必要になります」

 男は剣を銀色の鞘に戻すと、カウンターの上にごとりと置いた。

「それでは、引き換えにクロワッサンを頂いていきますよ。ごきげんよう、ミス・リョーコ」

 男は陳列棚からクロワッサンを一つ手に取るとポケットに押し込み、からんという音を残して店を去って行った。

 フリッツ君が、襲われている。

 リョーコはエプロンを投げ捨てると、奥にいるレイラに声をかけた。

「レイラさん、ごめんなさい! 私、ちょっと行ってくる!」


「はい、準備出来やしたよっと。団長」

 シャギーの金髪に青い瞳を持つ精悍な若者が、両手にミトンをはめて、湯気の立った鍋を台所から運んできた。

「おう。昼からかも鍋とは、これまた豪勢だな」

 無精ひげを生やした彫りの深い中年男、自警団長のリカルドは、椅子に座ってもみ手をすると、食欲をそそる鍋の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

「何言ってるんですか。昼食はどうしても鴨鍋じゃなきゃいやだって、団長が駄々をこねたからでしょうに」

「わっはっは、そうだったかな。いつも世話をかけてすまんな、ニール」

 ニールと呼ばれた若者は、大仰にため息をついた。

「すまないと思うんなら、鴨鍋なんていう材料の調達に思いっきり手間がかかるものを、しかも昼食に頼まないでくださいよ」

「まあそう言うな。長くもない人生、食事をする回数は決まっているんだ。だったら、まずいものを食って無駄にその回数を減らすのは実にもったいないことだと思わないかね、ニール君」

「はあ、そういうもんですかね」

 ニールはそれぞれの皿に鴨肉を取り分け、山椒さんしょうを薬味として軽く振りかけると、それをリカルドに手渡した。待ってましたとリカルドが肉を口に運ぼうとした瞬間、詰め所の扉が勢いよく開かれる。何事かと振り返った彼は、入り口いっぱいに立ちはだかるリョーコを見て、めったにないことだと皿を置いた。

「よう、リョーコちゃんがこんなところに来るとは珍しいな。ちょうどよかった、一緒に鴨鍋でもつつくかい?」

 汗でぬれた前髪を額に張り付かせたリョーコは、乱れた息を整えながら詰め所の中を見回した。

「ごめんなさい、急ぎなの。今ここにいる自警団の団員さんは、リカルドさんたち二人だけ?」

 リョーコが黒い長刀と銀の長剣の二本を携えているのを見て、リカルドは眉をひそめた。

「ああ、あいにくと他の連中は巡回に行ってるが。どうかしたのか」

「詳しく話してる時間はないんだけれど。とにかく、一緒に緑竜寮に行ってくれない?」

 リカルドは、すぐにその施設の名を思い出した。

「緑竜寮ってのは、この前ヒルダちゃんが話してた、子供たちのグループホームの事か?」

「うん。思い過ごしだったらいいけれど、もしかしたら襲われてるかも」

 単なる憶測に過ぎないことを自分は頼んでいる、と思いながらも、リョーコは必死の想いで自警団の二人を見た。あの男が言ったことを真に受けるのはしゃくだけれど、嘘を言う理由もまたあの男にはない。

 リカルドとニールは互いに目配せをすると、何も言わずに立ち上がった。二人は壁に掛けてあった革製のベストを羽織ると、それぞれの武具を装着し始める。こまごまとした理由を聞かれると覚悟していたリョーコは、予想外の反応に戸惑った。

「あの……」

「急ぎなんだろ、話は向こうに着いてからでいいさ。ニール、準備はいいか」

「いつでも」

 リョーコの肩を軽くたたいたリカルドは、湯気の立った鴨鍋もそのままに、ニールと共に屋外へと飛び出していった。

 リカルドさんたち、戦い慣れしてるなあ。渋くて、ちょっと格好いいじゃない。

 いやいや感心している場合じゃないな、と二本の武器を背負い直したリョーコは、彼らの後を追って緑竜寮の方角へと駆け出していった。

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