第20話 夜に吠える

 長刀を正眼に構えなおしたリョーコは、自分でも驚きを隠しきれない。

 ちょっと、どうなってるのよ。私の攻撃、ばっちり効いてるじゃない。

「この刀が何かって? 知らないわ、ただのプレゼントよ」

 からかわれたと思ったのだろう、カクシクスは距離を取りながら怒りをあらわにした。

「話が違うぜ、セルビカの旦那に文句の一つも言ってやらなきゃ収まらねえ。フリッツ以外には無敵だっていうから、安心して仕事ができていたのによ」

「なに? あなた、フリッツ君を知っているの?」

「当り前だろうが、俺たちの唯一の天敵なんだからな。……ちょっと待て、この間ナイルさんを殺ったのは、ひょっとしてお前じゃねえだろうな? 当然フリッツの仕業だと考えて、誰一人疑いもしなかったわけだが」

 ナイルさん、とはあの半人半山羊の女悪魔の事だろう、と話の流れからリョーコは見当をつけた。青い微粒子を絶えず放出している自分の長刀をちらりと見やると、素早く頭脳を回転させる。フリッツ君の血液を叩き込めば、悪魔は崩壊する。そして、私の刀でも同じことができる。だとしたら、その二つの共通点は何なのか。分からない、今は少しでも情報が欲しい。そのためには、もう少しこいつのおしゃべりに付き合う必要がある。

「あなたの言うナイルさんって、あの悪趣味な格好の人? 結構なお知り合いね、あなたと違ってなんだかほとんど会話にならなかったわよ。彼女、ちょっと混乱してたんじゃないかな」

 これで頭に血が上ってくれれば、というリョーコの思惑とは裏腹に、カクシクスは沈痛な面持ちを浮かべた。

「それじゃあ、彼女の最期を見届けたのは姉ちゃんだってことだな。あまりひどく言ってくれるなよ、ナイルさんはもう寿命の限界だったのさ。意識が混濁した中で、ぎりぎりの瞬間まで自分の使命を果たそうとしていたんだろう。見苦しいと思うのは姉ちゃんの勝手だが、きっと俺だってそうしたと思うぜ」

 ああ、とリョーコは思わず天を仰いだ。こいつら本気だ。覚悟を決めて、自分の身を犠牲にして、人を殺している。聞くんじゃなかった、憎むだけならこんなに楽なことはないのに。

 刀をぶるんと振るうと、リョーコは一歩前に踏み出した。

「あなたの仲魔を倒したのはフリッツ君だけれど、彼には彼の言い分があるはず。そして私も、そこに倒れている子をあなたに殺させるわけにはいかない」

 カクシクスは無事な左腕を前に突き出すと、膝を深く曲げた。その顔には、先ほどまでの憂いは微塵もない。

「そうかい。まあ姉ちゃんには死んでもらうしかないとして、その刀はフリッツと同じくらい危険な代物のようだからな。仲魔の為にも、回収させてもらう!」

 翼をはためかせながらの、猛烈な跳躍。単純な突進だと判断したリョーコは、突き出された悪魔の左腕をすれすれでかわすと、そのまま横へと転がり避けた。反撃のために立ち上がろうとした彼女の左脚が、突然に支えを失ってくたっと崩れる。わずかに遅れてやってきた、激痛。左すねをちらりと見やったリョーコは、そこにあるはずの筋肉が皮膚ごとごっそり削り取られ、折れて曲がった自分の白い骨が飛び出していることに気付いた。

 そうか。悪魔なんだから、尻尾を持っていてもおかしくはない。さっきまでは確認できなかったから、恐らくは自在に伸長できるのだろう。

 すれ違いざまにリョーコの左脚を半ばもぎ取ったカクシクスの長い尾羽は、棘付きの鉄球にも似た先端から深紅の血液を滴らせている。リョーコに背を向けていた悪魔は慣性を無視したような動きで旋回すると、再び彼女に肉薄した。

「隠し武器、ってやつさ。姑息かもしれねえが、頭の固い普通の人間様には、こんな風に意外と有効でね」

 リョーコの前髪から汗が滴る。まずい、骨が砕けていて立つことができない。せめて方向だけでも合わせることができれば。

 うずくまったままのリョーコの顔面に、振り上げられたカクシクスの足先が迫る。すんでのところで身をひねった彼女の左のわき腹に、悪魔が放った蹴りが容赦なく喰い込んだ。

「ぐうっ!」

 宙を飛んだリョーコは、レンガ造りの民家の壁に激突してようやく止まると、ずるずると地面に落ちた。喉の奥から血がこみ上げ、激しくせき込む。そのたびに左胸に走る、焼け串を突き込まれたような痛み。左肋骨の多発骨折、左肺損傷、恐らく血気胸。加えて、左下腿の開放粉砕骨折。画像検査をするまでもなく、医師だったリョーコには今の自分の状態が容易に想像できた。

 それでもまだ機能している彼女の右手は、燐光を放ち続けている長刀をしっかりとつかんで離すことをしない。そしてリョーコが蹴り飛ばされて落ちた地面は、黒光りした刀の鞘をあらかじめ置いていた最初の場所だった。リョーコは歯を食いしばりながら鞘を手に取ると、ようやく刀を納める。

 勝利を確信したカクシクスが、ゆらりとリョーコに歩み寄ってきた。紫の瞳が戦いの興奮と欲望に酔う。

「悔しいかい。だがな、こちらもお前らの仲間には散々なことをされてきたんだぜ。いかした身体が真っ赤になる前に、裸くらいは楽しませてもらってもばちは当たらないんじゃねえかな。俺達が受け続けている屈辱、姉ちゃんにも経験してもらうっつうことで。戦争ってのは、いつだってそういうもんだ」

 リョーコがうつむいたままでつぶやいた。

「……女は戦利品、か。それ、なんて中世?」

 残った右脚だけで、片膝を立てながら起き上がる。肺から上がってきた血が口腔こうくうを満たして、その鉄分の苦さにリョーコは思わず顔をしかめた。

「キスなら経験済みだけれど、そこから先は、まだとっておきなんだから。……あなたには、あげられないわね」

 カクシクスは大きく息を吐くと、跳躍一閃、鋭利な刃物と化した爪をふるった。首だけをわずかにかしげたリョーコの右頬が一筋、すぱりと切れる。痛みに無反応のまま体を大きく左にひねった彼女は、右脚一本だけで地を蹴った。

「いええええっ!」

 鞘走りで速度を倍加させた長刀が、狭い街路の隙間からのぞく夜空に青い珠を飛び散らせながら、悪魔の左腕を斬り上げ。返す刀で、頭部を斬り下げる。

 居合による、抜き付けからの二連撃。

 じわりと脳漿のうしょうがこぼれ落ちると、カクシクスは声もなく前のめりに沈んだ。

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