第19話 アー・ユー・オーケイ?

 カクシクスはいらだっていた。この世界のために掃除をしてやっているのに、事情を知らない馬鹿たちが、自分勝手な正義感を勘違いしながら振りかざしてくる。

 王政なんてちゃちな体制じゃ、この世界を守ることなんてできやしない。いっそのことセルビカの旦那がこの国を掌握しょうあくしてくれれば話は早いのに、彼はそれを何故か実行に移そうとはしない。だからこうして、子供を殺すなんていう回りくどい真似をする羽目になる。

 生きるためにやりたくもない仕事を渋々やってる奴なんて、もちろん俺だけじゃない。そんなこちらの事情なんか、どうせ分かってはくれねえんだろうなあ。目の前にいる、このピンク髪の姉ちゃんは。

 それにしても鈴の音に誘われてここにたどり着いたからには、自覚しているにせよそうでないにせよ、こいつは部外者だってことだよな。ちょっと好みなところは実に惜しいが、私情を挟んでひいきするのは俺の正義に反する。るしかないってことだ。


 リョーコからの返事がないことを確認して、悪魔カクシクスは彼女を指さした。

 「おいおい、どうした。黙っているのなら、鈴の音が聞こえたって解釈させてもらうぜ? だったら姉ちゃんは、この世界に本来あってはならない存在だということになるんだが。それについては自分で理解しているかい?」

 悪魔の言葉の一つ一つを咀嚼そしゃくしながら、リョーコは頭を巡らせる。こいつのおしゃべりのおかげで、思わぬ手掛かりをひとつゲットできた。奴の言う事を信じるならば、あの鈴の音はこの世界におけるイレギュラーな存在にだけ聞こえるということになる。

 異世界転生者の私がイレギュラーなのは当然として、フリッツ君もイレギュラーなのか。そうなると、銀髪に変えられた子供たちは一体何なのか。そもそも、何をもってこの世界のイレギュラーだと定義しているのか。

 しかし、一つ言えることは。子供たちを殺す奴が、正しいはずがない。

「冗談でしょ。あんたみたいな悪魔こそ、この世界のことわりから外れているんじゃないの? さっさとぶっ倒させてもらって、その子を返してもらうわ」

 男は、ひゅうと口笛を吹いた。右腕がたちまちのうちに黒い剛毛に覆われ、指の一本一本が赤熱を始める。

「姉ちゃんも、誰もかれも、俺たちを悪魔って呼びやがる。まあ、それを自称している俺たちも大概だけれどな。められることじゃない、ってのは自分たちでも分かってるんで、多少の反省を込めてはいるんだが」

「愉快犯じゃなくて確信犯か、余計にたちが悪いわね。いますぐその目、覚まさせてあげるから」

「威勢がいいのはますます俺好みだが、感情だけで噛みついてきても俺達には何も響かないぜ? 子供のうちに殺しておくってのは、さんざん議論して出した方針なんだよ。争いの芽は出来るだけ早く摘んでおく、最小労力で最大効率を得る。どうだい、道理だろう?」

 リョーコは長刀を静かに抜くと、黒い鞘を地面に置いた。軽く振られた刀身がちりちりと光をまとい、無数の青い微粒子が帯を描いてたまのように散る。半身でゆっくりと息を吐くと、右手をつかの前に、左手を柄の後ろに運び、頭の右横に刀を水平に構えた。両腕を交差させた、上段のかすみ

「言いたいことはそれだけ? この前会ったばかりの派手なロック歌手さんいわく、言葉でわかることなんてそんなに多くないらしいわよ。アー・ユー・オーケイ?」

 カクシクスはうっすらと笑った。

「ふは、姉ちゃんやる気? この前は、俺が男の子を殺しても見逃してくれたじゃん。それが今日は、どういう風の吹き回しなの?」

 その一言は、リョーコを激怒させた。

「……許せない。昨日までの自分も、お前らも。そんな自分勝手が自分も他人も不幸にするって、いい加減わかれ!」

 カクシクスは大きくため息をつくと、救いがたいというように頭を振った。

「盗人猛々しい、とはまさにこのことだぜ。他人の家に土足で上がり込んだ上に、説教れるなんざあな!」

 え、どういうこと、とリョーコが疑問に思う間もなく、ごおっという不吉な音とともに悪魔の右腕が顔面を襲う。両ひざを折って地をうようにかがんだ頭上を死の旋風が通過すると、髪を束ねていたリボンが風圧で切れて、サーモンピンクの長い髪が渦を描いた。空振りした右腕越しに見えるカクシクスの紫の瞳が、凶暴な輝きに燃える。

 通常の攻撃はほとんど効かない、か。とりあえずは手持ちで何とかするしかないわけだけど、たとえ時間稼ぎをしたとしても、傷ついた少女は自分からこの場を逃れることはできないだろう。ひるませてからかついで逃げる? それは現実的じゃない……

 見上げた頭上には、カクシクスの伸びきった右腕が無防備にさらされている。立ち上がりざま横なぎに振り切られたリョーコの長刀は、青い弧の残像を残すと、剛毛に覆われた前腕を肘の部分で見事に断ち切っていた。赤い体液を飛ばしながら宙を舞った悪魔の醜悪な右腕は、鈍い音とともに路上に転がると、泡立ちながらぐずぐずと崩れていく。

 刀の攻撃など眼中になかったカクシクスは、思いがけない激痛に驚愕の叫びを上げた。

「う、うっそだろ、傷が埋まらねえ!? それどころか、上の方まで拡がってきやがる……!」

 カクシクスは苦痛をこらえながら左手で手刀を形作ると、右肩に打撃を加えて自らの上腕を落とした。腕が再生するかもしれない、というリョーコの最悪の予想は現実にはならず、真新しい切断面は盛り上がってきた皮膚で覆われるのみにとどまる。隻腕せきわんとなった悪魔は、苦痛と憎悪に顔をゆがませながら、残された左手の人差し指をリョーコに突き付けた。

「……クソが。何だよ、その刀ァ!」

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