第10話 忘却と救済

 リョーコは内心ぎくりとした。この男は、今しがた見ていたばかりの私の悪夢の内容を知っている。心を読む魔法? しかしそんなものが存在するなんて、ほとんどの魔法を網羅していると常日頃から豪語するヒルダからも聞いたことがない。異世界転移者とかいう奴の自称は、どうやらただのはったりではなさそうだ。そのようなリョーコの反応を楽しむかのように、男は言葉を続けた。

「幼い頃からの出来事をすべて記憶している。そして、それらを忘れることができない。忘却とは神の最高の慈悲であるのに、さぞかしご苦痛であることとお察しいたします」

 リョーコは表情をこわばらせた。その感想については全面的に同意見だが、この男に言われると無性に腹が立つ。

「自分のこれって、私はただの病気だと思っていたんだけれど。こうなった理由が何かあるっていうの?」

「それについては目下調査中ですが、ある程度の想像はできます。あなたはおそらく、人為的に改変されている」

 あまりに違和感のある言葉に、リョーコは戸惑う。

「改変? 改造じゃなくて? 記憶を失わないようにする脳外科手術とか?」

「いえ。遺伝子をいじられている。だから、改造ではなく改変と呼ぶのがふさわしいかと」

 男はそのターコイズブルーの瞳でリョーコをじっと見た。体の中まで見られているような感覚に、思わずぞくりと体を震わせる。それにしても、医学についてはほとんど発達していないと言ってもいいこの世界で、遺伝子などという単語を再び聞くことが出来るとは。

「遺伝子。遺伝子操作で記憶を操れるの?」

「そうです。きわめて最近の知見ですが」

 本当なのか。記憶というものは、脳で制御されているのではないのか。

「驚いた。医学部の授業でもそんなの聞いたことない」

「もちろん、あなたが以前いた世界においても、ぶっちぎりのオーバーテクノロジーですよ。記憶継承型サルベージャーRNAの応用ですが。ああ、記憶継承型、というのはサブタイプのことです」

「記憶継承型サルベージャーRNA……」

 ちょっと、何言ってるのか分からない。

「……にわかには信じがたい話だわ。じゃあ、私が向こうの記憶を持ったままこっちの世界に転生してきたのは、誰かが私の遺伝子をいじったせいだってこと?」

 男はすいと顎に指を当てて考える仕草をした。

「それもねえ、私の同僚が向こうで調査中なのですが。ただ、記憶を保持したまま別世界に転生するというのは、もちろんごく少数ですが自然に起きうる現象なのですよ。アダプテーションDNAと記憶継承型サルベージャーRNAの双方を同一個体内に持ってさえいれば、記憶を保持しながらの異世界転生が可能なのですから。ただしあなたのそれが生来のものなのか、それとも人工的なものであるのかは、現状まだ判明していません」

 こんどはアダプテーションDNAか、とリョーコは頭を抱えた。自分が転生した当事者でなければ、この男の正気を疑う案件だ。もっともこいつが正気だと証明することなどできないし、そんな義理も私にはないのだが。

「じゃあやっぱり、誰かに改造されてここに送り込まれた可能性があるってことじゃない」

「おっと、改造じゃなくて改変、ですね。まあ、それも確かに問題なのですが」

「……それ、も?」

「私たちがより重要視しているのは、あなたが人為的に、過去のことを忘れることができないように改変されてしまっているということです」

 リョーコは頭を振りながらため息をついた。私はどこまでこの男の話に付き合えばよいのだろう。まあ辻褄つじつまの合う妄想だと仮定してこの男の話を何とか要約してみると、異世界転生は自然現象かもしれないが、永続的な記憶保持は明らかに人工的に改ざんされた結果である、ということらしい。転生した後も記憶が残っているということよりも、一度記憶したことを忘れることが出来ないことの方が問題であると。しかし、どちらの現象もあまりに非現実的すぎて、リョーコには事の区別をつけようもない。

 リョーコは男の言葉に、ただあいまいに返事を返した。

「そうなんだ。これ、普通じゃないんだ」

「当然でしょう。そして、それは私にとっても都合が悪い」

「どうして」

 男はわずかに片手を挙げて、リョーコの追及をそらした。

「細かいことは、この際いいでしょう。人は誰でも転生する。多くは自分が今いる世界に再び生を受けますが、まれに別世界に対応したアダプテーションDNAを生まれつき持っていて、その世界での死と同時に異世界へと転生する者もいます。しかしどちらの世界に転生するとしても、ほとんどの場合は記憶の継承などせずに無垢な赤子として新しい記憶を紡いでいきます」

 リョーコは頭を切り替えることにした。何一つ確かなことがないのであれば、こいつの理論にそって考えてみることが、真偽を判断する上で有用なツールになるかもしれない。それにしても、誰でも転生するというのが前提条件なのか。頭がおかしくなりそうな話だが、前世の記憶がないのであればそれは確かめようがない。もういいや、なるようになれ、だ。

「……それが、異世界転生のメカニズムってやつなのね。了解。それで、記憶についてはどうなの?」

 男は肩をすくめると、つまらなそうにリョーコを見た。

「どうやらまったく信用して頂けていないようですが、まあいいでしょう。後から答え合わせをしていただければわかる話ですから」

「信じてる信じてる。だからさっさと続けて」

 男は苦虫をかみつぶしたような表情をすると、商品説明をする訪問販売員のような口調で話を再開した。

「記憶について、でしたね。ごく低い確率ですが、記憶継承型サルベージャーRNAを持っていた場合、転生先の身体に生前の記憶を引き継ぐことができます。しかしそれは一度しか効果を発揮しせず、発動と同時に自壊して消滅します。だから同一世界だろうと異世界だろうと、転生者として前世の記憶を保持できるのはその時限り。転生後に死んでしまえば、それ以上記憶は続かないはずなのです」

 なるほど、生前の記憶の引継ぎというものは、基本的に一度しかチャンスがないということか。コンティニューはワンプレイのみ。それでゲームオーバーになってしまえば、今度はまっさらな状態で最初からリプレイというわけだ。だとすれば、私は。

「……何が言いたいの」

 男は、口の端を上げて笑った。赤いルージュが常夜灯の色と混じり、メノウのようにまだらに光る。

「その顔色の悪さ、私の話している意味がとっくにお分かりなのでしょう? あなたは遺伝子を改変されたことによって、どこに何度転生しようとも、それまでの記憶を継承し続けていくことになるのです。もしかすると、未来永劫に」

 リョーコは、かねてからの不安が現実になったことを知った。いくら死を重ねたとしても、私はこの記憶の輪廻から逃れることができないのか。それはきっと、死よりもはるかに恐ろしいことに違いない。無限にコンティニューできるけれどやめることができないゲームを、嬉しがる奴はいない。

「……なるほど、うんざりする話ね」

「そうでしょうとも。そしてそれは、多元世界のルールに反することなのです」

 突然にリョーコは激しい怒りを覚えた。お前はアウトサイダーなだけではなくアウトローでもあるのだ、と言われたところで、ルール違反をしたのは私ではない。何の目的かは知らないが、私を改変したとかいう奴らには、しかるべき報いをくれてやらなければ。

 リョーコは顔を上げると、射貫くような視線を男に投げた。

「それであなたは、何をしに来たの? 話の流れから察するに、私の存在を抹消したいってところかしら」

 男の赤い唇から、わずかに笑みがこぼれる。

「率直に申しあげれば、その通りです。もちろん悪いのはあなたではなく、あなたを改変した者ではあるのですが。かといって、その結果を放置しておくわけにもいきません」

 リョーコはふんと鼻で笑うと、身体に巻き付けていたシーツを脱ぎ捨てて、下着姿のまま寝台から下りた。眼前の男に冷ややかな目を向けると、いつかフリッツに言った言葉をそのまま放つ。

「死ぬのはいいけど、殺されたくはないわね。もっとも、死んでも記憶が残るってんなら、死よりももっと恐ろしい消され方をされるんでしょうけれど。せいぜい、抵抗させてもらってもいいかしら?」

 男は腕を組んだまま、身じろぎ一つしない。

「ご懸念けねんには及びません、レディ。我々は、この世界の人間に直接干渉することはできません。残念なことですが」

 重たげなまつげを持ち上げると、男はリョーコを上目遣いに見た。

「そこで、あなたにひとつプレゼントをさせていただきます」

「何? 自決用の爆弾?」

 男は初めて、さも面白そうに笑った。

「素晴らしい例えです、あなたは実にユーモアにあふれた方だ。確かに、どんな道具も使い方次第。あなたが今おっしゃったような用途に使うかどうかも、ね」

 男は、いつの間にか壁に立てかけてあった、細い竿のようなものを指さした。

 わずかに反ったその形状、つばつか

 刀だ。

 長い。黒いさやに納められてはいるが、その刃長は恐らく一メートル以上はあるだろう。分類でいえば大太刀だ。しかしその言葉のイメージに反して、目の前の刀は実に細かった。リョーコはそのアンバランスさに眉をひそめる。あんな細くて長い刀、実用性あるの? 取り回しも強度も、武器としては非常にピーキーな代物であることは想像に難くない。

 リョーコの反応に満足したのだろう、男は大仰にお辞儀をすると、きゃしゃな白い指をひらひらと振った。

「それでは、私はこれでおいとまさせて頂きます。お休みを妨げたこと、お詫び申し上げます」

「ちょっと待って。まだ全然、状況つかめてないんだけれど」

「言葉だけでお分りいただけることなんて、それ程ないんです。極論すれば、いままで私がお話したことは全て嘘かもしれませんよ? あなたはあなたで、私の言った事を鵜呑みにするつもりはないのでしょうし。この先は、ご自分で試してみてどうぞ」

 男は、くっくっと含み笑いをもらした。

「そうそう。私からもう一つアドバイスさせていただけるならば、その道具は常に肌身離さず持っておかれることです。今のあなたは、あなたが思っているよりも、ずっと危険な状況ですよ」

 その言葉を最後に、男の姿はかき消すように消えた。同時に部屋全体が一瞬ぶれると、すぐにまたピントが合ったように景色が再構成される。地に足がついたように感じたリョーコは、軽く頭を振った。

 これも夢、だったのかしら。

 しかし彼女の部屋の片隅には、長大な刀がそのまま残されていた。

 常夜灯の淡い光が、その黒い鞘を鈍く輝かせて。

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