第11話 ちょろくてごめん
左肩から右腰にかけて斜めに背負った長刀をおろし、左腰に引き付ける。左手で
瞬間。
右手を伸ばして鯉口を切ると、腕を大きく前方に伸ばしながら円を描くような動作で抜刀し、左下から右上へとすくい上げるように大きく斬り上げる。すぐに切っ先を目の前の小木に向けて残心を示すと、わずかに遅れて斜めに切られた幹が白い断面を見せ、秋の紅葉をつけ始めていた枝たちがそのまま地面にざあっと落ちた。
途方もなく軽い。刀身の細さのなせる業でもあろうが、それを差し引いても通常の
リョーコはふうっと息を吐くと、長刀を黒い鞘に戻した。一連の流れを頭の中で
私が転生して来る前のこの身体の元の持ち主さん、そうとうな腕だったんだろうなあ。一度も学んだことがないのに、身体がすべての剣術動作を覚えているよ。
半年前に森の中でリョーコが意識を取り戻したとき、数少ない自分の携帯品の中に、簡素だが堅牢なつくりの一本の小太刀が含まれていた。刀身はまだ真新しい血に濡れており、それがただの装飾用ではなく、直前まで実際に戦闘に用いられていたことが知れた。恐らく私は、その場で戦って
しかしそうだったとして、中身が全くの別人となったのに戦闘技術が継承されるなどという事があり得るのか。ひょっとしたら、元の持ち主の記憶の断片がどこかに残っていて、彼女の反射的な動作を別の自分が眺めているだけではないのか。実際、確かに奇妙な感覚はあるのだ。精神が身体から切り離されて、自分を
自分の肉体に触れて、改めて確かめてみる。上腕二頭筋や大胸筋、腹直筋、下腿三頭筋など、体幹から四肢に至るまで鍛え上げられた肉体は、半年前のままで今も維持されている。リョーコは己が剣士であることを自覚してから、剣術の鍛錬を毎日欠かさず続けてきた。元の所有者が今まで続けてきた努力を自分が無駄にするのは、彼女に失礼な気がしたからだ。
きっと、真面目ないい子だったんだろうなあ。どうして死んじゃったんだろう。
臆病な私なんかより、ずっとたくさんの人に必要とされたはずなのに。
「おかえりなさい、リョーコ。あなたにお客さんが来てるわよ」
長刀を背負って店に帰ってきたリョーコに、厨房から顔を出したレイラが声をかけた。いつの間にか常に身に帯びるようになった刀について、レイラは特に問いただすこともない。彼女はいつだってそうだ、相手が自分から話すまで、何も訊かずに辛抱強く待っていてくれる。
「え? 私に?」
カウンターの内側に刀を立てかけてエプロンをつけたリョーコは、ちらりとカフェの中をのぞいた。窓際のテーブルに一人で座っていたのは、果たして。
「あ……」
黒いショートコートをハンガーにかけ、最初に会った時と同じ白いハイネックのセーターを着たフリッツは、目の前のクロワッサンをちぎっては口に運んでいる。驚いた表情のリョーコに気付くと、小さく片手を挙げながら照れたように微笑んだ。
「お邪魔してます、リョーコさん。このクロワッサン、本当においしいですね。もう三個目なんですけれど、全然飽きないなあ」
ぼうっと突っ立っていたリョーコの脇腹を、レイラが笑いながら小突いた。
「ほらほら、リョーコ。お店の方は私一人で大丈夫だから、ゆっくりとお話ししてきなさいな」
レイラはリョーコのエプロンを無理やりに脱がせると、さっさとカウンターの方に戻っていく。後に残されたリョーコは、ぐっと唇を噛むと覚悟を決めた。
今の彼はお客さんなんだ、ここは開き直って接客するっきゃない。何てことはない、剣術の稽古と同じ。平常心よ、私。
リョーコはおずおずとテーブルに近づくと、うつむいて顔を赤らめながら小さくつぶやいた。
「あ、あの。いらっしゃいませ」
フリッツはきょとんとすると、ぷっと噴き出した。
「やだなあ、リョーコさん。お仕事中はそんな感じなんですか? キャラ設定、間違ってませんかね」
そう言って笑い転げるフリッツ。リョーコは、別の意味で顔を赤くして怒鳴った。
「どういう意味よ。この前は悪かったなあって、これでも反省してるのに。何よ、心配して損しちゃった」
フリッツは笑うのをやめると、リョーコの顔を上目遣いにのぞき込んだ。
「心配? ぼくの事を?」
「失言。いまの、忘れて」
怒ったようにそっぽを向いたリョーコに、からかいすぎたと思ったのか、フリッツは素直に謝った。
「ごめんなさい、リョーコさん。とりあえず、ここ座りませんか? 店長のお姉さんも、ああ言ってくださったことですし」
むう。悔しいけれど、うれしい。キャラ設定というなら私はツンデレ属性だったのか、とリョーコは新しい自分の発見に驚く。
「し、仕方ないわね。フリッツ君がそこまで言うのなら」
こうなればもはや、このキャラで押し通すしかない。気が進まないふりをしながら対面に座ろうとするリョーコを、フリッツが押しとどめた。
「あの。僕のとなりの席が、空いてますよ?」
「え」
「隣の方が、一緒にクロワッサンが食べやすいし」
「そ、そうか。うん、そうよね」
言われるがままに、流されるままに、リョーコはいつの間にか隣の椅子を引いていた。
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