第41話 悪魔を破壊する者たち
腹部の大部分を吹き飛ばされたキュニフォルメは、それでも体勢を立て直すとクジャクの羽を大きく広げ、二本の長剣をヒルダに突き付けながら距離をとった。どうして、どうしてという疑問符だけが、彼女の頭の中で渦巻く。
セルビカが私に施した遺伝子改変とその結果としての悪魔の肉体を、この世界の技術で崩すことは不可能なはずだった。だからこそ、私たち悪魔はこの世界では無敵でいられた。
その事実が今も有効であるのならば、目の前にいるこの女は、この世のものならざる知識と力を持っているということになる。現に、先ほどの呪文には「核」という文言が確かに含まれていたが、その理論を理解しているのは我々悪魔か、そうでなければあの忌々しい……
キュニフォルメはそれまでとは異なる激しい憎悪の炎を両眼に宿らせると、強い口調で詰問した。
「あなた、ただの魔導士ではありませんね。その奇妙な魔法、誰に学びましたか?」
くっと小さく笑ったヒルダは、
「誰にもなにも、『核撃』は私のオリジナル・スペルよ。ここまで教えてあげれば、鈍いあなたにも私の素性について何となく想像がつくんじゃないかしら?」
「……『核撃』とな。これで確定ですね、ついにあちらから実戦部隊が送られてきたというわけですか。それでは、昨夜カクシクスを倒したのもあなた?」
ヒルダはきょとんとすると、さも心外だというように肩をすくめた。
「は、誰よそれ。昨夜は私、テスト明けで友達とちょっとしたお楽しみだったし。お仲魔さんが殺されたのなら、それはあちらのフリッツ君に聞いてもらった方がよくはない?」
会話をしながら思考を巡らせていたキュニフォルメは、一つの結論にたどり着いた。八つ裂きにしても飽き足らぬ存在だが、今は生かしておいてやろう。仲間がどれだけ紛れ込んでいるのか、「核撃」なる魔法に代表されるような我々悪魔を破壊できる手段が一般化しているのか、拷問して情報を吐き出させるべきだ。その結果いかんで、この世界がとるべき今後の対応も変わってくる。
キュニフォルメはこきりと首を鳴らすと、じわりと前に踏み出した。破壊された腹部はわずかに残った脊椎と皮膚でつながっているのみであったが、その動きは損傷を受ける前と違わずなめらかさを保ち続けている。
「まあ、どちらでもいいわ。昨夜の一件があなたの仕業じゃなくても、過去に私たちの仲魔をあまた滅ぼしていたことには違いなさそうだし。おかしいとは思っていたのよね、フリッツ殿一人に十五柱以上もやられるなんて」
「ふふ、やっと気付いた? 今まで全部フリッツ君のせいにしてきて、彼には申し訳ないとは思っているのよ、これでもね」
そう言いながらコートを脱いだヒルダは、黒いインナー一つの身軽な装いになると、にやりと笑った。
「でも、全然バレなかったわねえ。何しろあなたたち、倒したら溶けてなくなっちゃうんだもの。証拠隠滅の手間が省けて簡単だったわ。おっと、今回はお目付け役の格闘青年が一緒だから、彼も殺さないといけなくなっちゃったかな」
軽口をたたきながらも、ヒルダは自分の目論見が外れたことに内心で驚きを禁じ得なかった。一撃で決めるはずだったのに、この悪魔は判断が実に早い。左わき腹ではなく胸の真ん中を狙ったにもかかわらず、とっさに危険を察知した奴に的を外された。無効とわかっていた通常魔法をわざと見せた後に「核撃」を使うことで、初手でこそ油断を誘えたものの、手の内を知られ、なおかつ一対一のこの状況では、魔導士の自分は圧倒的に分が悪い。
一方で、キュニフォルメとヒルダの戦いを遠目に見物していたランディも、自分のこれまでの考えを改めざるを得なかった。カクシクスを倒したピンク髪の女の刀といい、この女魔導士の魔法といい、これまでとはあまりにも勝手が違いすぎる。
「核撃」とはまたド直球な、とランディはヒルダのネーミングセンスに呆れながらも妙に感心した。対悪魔戦に特化したチームが編成されるとの噂は、むこうでちらりと聞いたことがあったが、彼女がその一員であるのだろうか。
だが何にしても、選択肢が増えるのは良いことだ。フリッツを「本当に」殺せる可能性のある女が、一度に二人も現れたのだから。
そして今やその冷静さを取り戻したキュニフォルメは、冷たい笑みを浮かべると背の羽を大きく広げた。
「なるほど、この傷は私の慢心が招いた罰ということですね。なれど二度目はありませんよ、ヒルデガルトさん」
目玉模様を持つ孔雀の翼が一度大きく震えると、上空に向けて大量の羽根が射出された。その軌道は放物線を描いてヒルダの頭上を大きく越えると、ジュディと二人の子ども達へと雨のように降り注ぐ。
「!」
ヒルダは迷うことなくキュニフォルメに背を向けると、三人の元へと駆け出した。走りながら左手の指で小さな輪を作り印を結ぶと、息を乱すこともなく呪文を紡ぎ出す。
「君、烈舞の
瞬間、ジュディたち三人の周囲を包む空気の動きが変化した。強制的に創られた気温差と気圧差が急激な対流を発生させ、増幅されたつむじ風が無数のキュニフォルメの羽を巻き込んで四方へとことごとく散らしていく。
「ヒルダ、後ろ!」
ジュディの声と同時に、ヒルダの両のふくらはぎに激痛が走る。放たれたキュニフォルメの羽が自分の脚を後ろから貫通し、鋭く尖った根本が皮膚を突き破ってすねの前方へと飛び出してくるのが、スローモーションのようにはっきりと見えた。
「……くうっ」
さしものヒルダもそれ以上進むことはかなわず、前のめりにどっと地に伏した。キュニフォルメは今度こそ油断することもなく、ゆっくりとヒルダの背後へ歩み寄っていく。復讐と殺りくに取りつかれた、狂気の瞳。
「自分の姿や選択する手段がどんなに醜かろうとも、私は必ず守ってみせる。私は、自分が生まれたこの世界を心の底から愛している。それを汚す
ヒルダは両腕でかろうじて仰向けになると、キュニフォルメへ視線を向けた。
「……無防備な者を狙うなんて、さすが悪魔。発想が悪魔的ね」
静かに笑うキュニフォルメは、ヒルダの挑発に乗ろうともしない。
「あなたの先ほどの魔法、どうやら密着しないと効力を発揮できないようですね。そうでなければ、遠距離からとっくに私を攻撃しているはず」
ちぇっ、ばれたか、とヒルダはキュニフォルメの質問にあえて苦笑で答えた。接触型の「核撃」は、防御力がほぼゼロに等しい魔導士の攻撃方法としては、当然ながらリスクが高い。いずれは改良したいところだけれど、さて、この私に次があるかしらね。
キュニフォルメは左手の長剣を持ち上げると、ヒルダの右肩を剣先で指した。
「魔法の行使には、発声と同時にトリガーとなる動作が必要。危険のないように、四肢を切断してから持ち帰らせていただきます。あなたに聞きたいことは、それほど山とありますので」
オーケーと小さくうなずきながら、ヒルダは覚悟を決めた。手足を失っても、首さえ動かせれば「核撃」は発動できる。奴に抱えられたところで、魔法を発動させて相打ちに持ち込むかな。もう一人のゴーグルの男に運搬されたなら、それはもう詰みだが。
キュニフォルメは、舌で静かに唇を湿した。
「可愛い女魔導士さん、まずは右腕からいただきますよ」
悪魔の剣筋が、ヒルダの右肩へと正確に走る。鈍く光る切っ先から思わず目を背けたヒルダの耳に、高い金属音がこだました。
「私のガールフレンドに手ぇ出してんじゃないわよ、この年増女」
聞き違えようのない、凛とした声。はっと顔を上げたヒルダの眼前で、サーモンピンクのポニーテールが炎のように揺れた。
周囲に渦を巻く、青い粒子。「破瑠那」と名付けられたそれは、キュニフォルメの銀色の長剣を真っ二つに切り飛ばしていた。
「ハーイ、ヒルダ。もしかして、お昼まだ? だったらちゃっちゃと片付けて、一緒に遅いランチしようか」
ひゅんひゅんと長刀を振りながら、振り向いたリョーコが笑った。
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