第42話 僕はもう死なない

「……嘘でしょ。リョーコ、あなた」

 驚きの声を上げるヒルダに、リョーコはキュニフォルメを長刀で牽制しながら謝罪の言葉を口にした。

「ごめん、ヒルダ。剣士だってこと、別に隠してたわけじゃないんだけれど。私、今でも本業はベーカリーの店員だと思ってるし」

 言い訳だ、とリョーコは自分を恥じた。ヒルダは自分が魔導士であるという事を始めから打ち明けてくれていたのに、臆病な私は自分の全てを彼女に見せることをずっと怖がっていた。剣士だからといって、ヒルダが私から距離を置くことなどあるはずがないのに。

 記憶だけは膨大にあるくせに心が隙間だらけのままで異世界転生した私には、この世界で巡り合えたものがあまりにも眩しすぎて、そばに近づいてはいけないものだと錯覚していた。そんな私から親友と呼ばれるなんて、ヒルダにとっては失礼な話だろう。

 目を合わすことが出来ずにうつむくリョーコに、ヒルダはふるふると首を横に振ると、うるんだ瞳で彼女を見上げた。

「ううん、剣士だとかはどうでもいいわ。そんなことよりも、私のことをガールフレンドだって公認してくれたのが何よりもうれしくて」

 悪魔の眼前であるにも関わらず、リョーコは激しく脱力した。それと同時に、冗談に紛らわせたヒルダの優しさに心の中で感謝した。

 リョーコは頬を赤くすると、わざとむくれて見せる。

「こら、勘違いするな。仲のいい友だち、って意味でしょ」

「あー聞こえない聞こえない。恋人が助けに来てくれるなんて、ピンチに追い込まれた甲斐があったわね」

「何くだらないこと言ってるのよ、ひどい怪我してるくせに」

 半ば心配し半ばあきれているリョーコに、ヒルダは笑顔で返す。

「いやあ、リョーコが剣士じゃないかってのは、実は前からちょっと思ってた。だっていつもその刀持ち歩いてるじゃない、逆に剣士じゃなければ何なんだって」

「え、ひょっとして気付いてた? なるべく目立たないようにと思って、布に包んでこっそり隠してたんだけれど」

「いや、その長さでそれは無理があるでしょ……」

 天然か、と突っ込みを入れられたリョーコは不本意そうにしていたが、すぐに目の前の戦場に注意を戻した。

「それより、フリッツ君どうしてる? やっぱり怪我してるの?」

 ヒルダとキュニフォルメの戦いに割って入った時点で、リョーコの目は、離れた場所で黒いボディスーツの男と相対している黒い姿をすでにとらえていた。軽い嫉妬にヒルダはふんと鼻を鳴らすと、離れているフリッツを指さす。

「まだ生きてはいるけれど、あなたの彼氏くん、ちょっと切れがないみたいね。何か気になることでもあったのかしら」

 ひざまずいて動かないフリッツの姿を見て、リョーコは焦燥感にかられた。ふとした時に見せていた、彼の憂鬱な表情を思い出す。きっとフリッツ君の過去の何かに悪魔たちが触れたのだろう、それこそ傷口に塩を塗り込むように。

 いてもたってもいられなくなったリョーコは、目の前の相手を睨みつけたまま、大声で呼びかけた。

「フリッツ君、大丈夫? 私のこと、忘れてないよね?」

 フリッツは弾かれたように顔を上げた。声の主がリョーコだと気付いた彼の表情に当惑と後悔が浮かんだように見えて、彼女は一瞬言葉につまる。リョーコのその様子にフリッツは慌てて笑顔を作ると、心配ないというように軽く片手を挙げた。

「もちろんですよ。リョーコさんみたいな変わった女の人のこと、忘れようがないじゃないですか」

「えー、ひっどーい」

 リョーコは安堵あんどすると同時に胸騒ぎも感じた。こういう時の彼の笑顔は、くらい闇を隠している。あの夕暮れの時のように。

 唇を引き結んだリョーコはぐっとこぶしを握ると、自分を見ているフリッツに向けて強く突き上げて見せた。

 君が今までどんな業を背負ってきたのか、私にはわからない。

 けれど私は、今の君だけを信じてるよ。


 フリッツは頭を大きく振ると、ふらつきながらも立ち上がった。記憶を失うことに不感症になっていたことに、ようやく気付いた。それは仕方のないことだとあきらめていた今までの自分が、ひどく情けないものに思えて仕方がなかった。

 今こそ、はっきりとわかった。

 僕はリョーコさんのことを忘れたくはない、そうだろ?

 だったら、もう二度と死ぬわけにはいかない。

 赤髪ゴーグルのランディが、フリッツをめがけて疾走してくる。

「しぶといねえ、アンデッド。もうお前と遊んでる場合じゃないんでね、おとなしく寝てな!」

 低い角度からの、顔面を狙った跳び蹴り。ランディの靴底が鼻柱を砕く直前、フリッツの瞳が再び暗い赤を帯びた。治癒魔法で硬化させた右の拳を、狂暴な速度で相手の脚に横殴りに叩きつける。ランディの膝からごきりと鈍い音が響き、減殺されることのない拳圧はその身体を虚空へと弾き飛ばした。

「何!?」

 ランディはかろうじて着地しようとしたが、手負いの膝ではさすがに踏ん張ることができず、ざざっと背中から落下して、砂煙を上げながら地面との摩擦でようやく止まる。唇を噛みながら起き上がったランディは、ゴーグルの奥からフリッツに憎悪の視線を放った。

「……どうして抵抗しやがる。てめえはてめえでこの世界を守ってるつもりかも知らんが、お前がいる限りこの戦争は続く。不死と治癒師、お前は二重の意味で今の混乱の元凶なんだよ!」

 フリッツはあらがった、ランディの言葉の向こう側にある真実に。奴の言っていることにはきっと根拠がある、奴には奴なりの使命感がある。

 それでも、僕は。

 ダメージを受けているはずのランディは、それを感じさせない動きでフリッツに迫ると、そのあごに膝蹴りを叩き込んだ。フリッツの頭が後方にのけぞり、再び膝から崩れ落ちかける。ランディは脚絆の裏からナイフを取り出すと、ぱちんと音を立てて刃を飛び出させた。

「心の臓だ。その動き、止めさせてもらう!」

 視界がぶれて定まらないフリッツには、やいばを払う余裕もない。せめて急所を外そう、と身をひねりかけたフリッツの目前に迫ったナイフを、突然に横合いから現れた金属製の手甲が無造作につかんだ。ばきりと音を立ててばらばらに砕かれた刀身を前に、フリッツとランディの二人は慌てて飛び退しさる。

「自警団権限だ、殺人未遂の疑いで拘束させてもらうぜ」

 無精ひげを生やした中年の男が、革製ベストの左胸に焼き付けられている双頭の蛇の紋章を親指で示しながら、型通りの口上を述べた。

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