第34話 同床異夢
街はずれにあるうち捨てられた廃屋にはまるで似つかわしくない、壁も床も純白に塗られた一室。調度といってはやはり白い椅子が二脚あるだけの殺風景な空間の中では、二つの人影がめいめい着座して対面していた。
一人は、茶色い長衣を頭からすっぽりとかぶった長身の人物。フードの隙間からわずかにのぞく口元は固く引き結ばれているが、口角の片方がわずかに上がっているのは、緊張からなのかそれとも皮肉めいた笑いゆえなのか。
そしてもう一人は、細い瞳と筋の通った鼻立ちを持つ長い黒髪の美しい女性、の頭部を持った異形。面積の小さな布地で形ばかり覆われただけの体躯から伸びる四肢は、剛毛に覆われたラバのそれである。背から生えているクジャクの羽は後光のように大きく広げられ、音もなく静かに揺れていた。
その部屋にふさわしく白々しい沈黙を破ったのは、長衣の影。
「ご無沙汰しております、ご機嫌麗しく。キュニフォルメ様におかれましては、日頃のお役目、誠にご苦労に存じます」
声色からすると、茶のローブに顔を隠した人物はどうやら若い男のようである。キュニフォルメと呼ばれた女悪魔は、獣の脚を組んだままで
「あなたも励んでおられるようですね、同志ランディ殿。して、仕事前にも関わらず改まって私にお話とは、どのようなご用件なのでしょうか」
ランディと呼ばれた男はわざとらしく周囲をうかがうと、声を落とした。
「お聞きになりましたか? ナイル様に続いて、昨夜新たにカクシクス様が滅ぼされた件」
キュニフォルメは持って回った言い方を好まない。強大な力と引き換えに削り取られた自分の残り時間を、一秒たりとも無駄にしたくないのだ。女悪魔は、いら立ちを巧みに隠しながら答えた。
「むろん、存じておりますとも。私が動揺しているかどうかを確認したいがために、そのような質問で反応をお試しになられているのですか?」
恐れ入ったように、ランディはフードごと頭を垂れた。
「いえ、めっそうもございません。ただ、あれからここ半年は静かなままであったのに、最近になってあなた様の同族がお二方も滅ぼされた。これが何を意味するのか、キュニフォルメ様ならご賢察いただけるかと」
悪魔は遠い目をすると、記憶の中を探った。その名だけは聞いたことがあるが、いまだ相まみえたことのない不死の
「……フリッツとかいう悪魔殺しですか。半年前に死んだそ奴が、復活して本格的に活動を再開したというのですか」
「まだそうと決まったわけではありません。何分、現場を目撃したものがおりませんので」
キュニフォルメは、ランディの話に初めて興味を示したようだった。
「これは面妖な、まるでフリッツ以外にも我々を滅ぼせるものが存在するかのような物言い。我々悪魔が誕生してからこの方、天敵と呼べるものは奴一人のはず」
ランディは両手を組むと、わずかに身を乗り出した。
「キュニフォルメ様も気づいておられるのではないですか? フリッツ一人であれだけの数の我々の仲魔が倒されるのはおかしいと。奴の所在と実際に戦闘が起きた現場が、距離的にかなり離れている例もありましたし」
キュニフォルメはしばらくの間沈黙していたが、やがてうっすらと笑った。
「なるほど。もはや悪魔だからといって、フリッツとやらだけをマークしてあぐらをかいているわけにはいかなくなったという事ですね。だから私は以前からセルビカ様に提言しておりましたのに。人知れずこの世界を守るなど、限界があると」
ランディは警戒心を呼び起こされた。この面会を通して試されているのは、彼女ではなくどうやら自分のほうらしい。
「……言わんとされることは、私にもわかります。して、あなた様ならばどうされると」
「王を倒して権力を握るのですよ。人間を守るものが必ずしも人間である必要はないでしょう?」
「それがあなた様だと」
「そうは言いませんよ。やる気がある者ならば、誰でもいいんじゃないかしら。セルビカ様が煮え切らないのであれば、ほかの誰かが」
大きく広げたクジャクの羽がたてるざわざわと耳障りな音が、さして広くもない室内に響く。女悪魔は微笑すると、ラバの爪先でランディを指さした。
「切り札を手に入れたものが最後に残る。それが私ではない理由がありましょうか? できることならば、あなたとは末永く手を取り合いたいものですね。ランディ殿」
ランディは沈黙したまま、深く頭を下げた。その
「ランディ殿。あなたこそ悪魔におなりになれば、もっとご自分の理想が追求できますのに。力ですよ、力だけがすべてを解決するのです」
ランディは身を縮めると
「私はこのままのほうが、何かとあなた様のお役に立てますでしょう。木を隠すには森の中、というわけでして」
「ふむ、殊勝な心掛けですこと」
へりくだったランディの態度に大して興をそそられなかった悪魔は、その細長いラバの脚を組み替えた。
「ところで、私達の本来のお仕事の話をしましょうか。例の件、もう少し手っ取り早く処理することはできないのですか?」
ランディは腰に下げた金色の鈴を鳴らしてみせた。
リン、リリン。
澄んだ音色が白い室内に反響する。
「我々の活動が目立たないためには、面倒でも一人ずつ誘い出すのが手堅い方法かと考えておりますが」
それを聞いたキュニフォルメが、ふんと鼻を鳴らす。
「無知な民衆に目撃されたところで、特に問題はないのでは? 一般の人間には悪魔と魔物の区別すらつかないでしょうに。どこからか湧き出した魔物が子供たちを殺した、という表面上の理解で事は運ぶ。目撃者は……まあ、そうねえ、それなりに」
ランディはそのとび色の瞳に一瞬強い怒りをひらめかせると、口調を強めた。
「可能な限り無関係なものは巻き込まない、というのが我らが盟主との契約でございましょう? あなた様のおっしゃり様は、この世界を守るという我々の使命と矛盾しているように聞こえますが」
キュニフォルメは白亜のような顔をさっとこわばらせると、ぎりりと奥歯を鳴らしてランディの抗議に答えた。
「あなたの無礼、今回だけは見逃してあげましょう。しかし今後一切、私の心持ちを少しでも疑うような真似をしたら容赦はしませんよ。自ら求めたこの醜い体こそが、守護者たらんとする私の、この世界に対する忠誠の証」
「……軽率な発言でした。お許しください」
ランディはみせかけではない謝罪の言葉を口にして、頭を深く下げた。キュニフォルメのやり方はともかく、その動機については揺るぎなく本物だ。それは他の悪魔たちについても、例外なく同じであるに違いない。
深呼吸をしたキュニフォルメは、表情を和らげるとランディにうなずいてみせた。あるいは自分こそが上位種だという自負が、彼女に余裕を取り戻させたのかもしれない。
「あなたの気持ちもわかるのですよ。人間の犠牲は最小限に。私も肝に銘じておりますし、人間のあなたにはさらに無理もないこと」
そして女悪魔は、にっこりと笑って付け足した。
「もっとも私は悪魔ですので、同族を守る気など毛頭ありませんが」
それはもちろん俺も含めてだろうな、とは、さすがのランディも口にはしなかった。
羽を折りたたんだキュニフォルメは、艶やかな黒髪を払うとゆっくりと立ち上がった。
「それでは仕事に出かけるとしましょうか。カクシクスのことで一喜一憂する時間など、我々にはないはずでしょう?」
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