第16話 世界の守り手

 窓の外の闇は入店時のそれよりも深みを増し、それに比例するように店内の密室感の高まりを感じる。それでもリョーコは、いくばくかの物足りなさと寂しさを抱えたままだった。自分語りばかりで、目の前の少年のことについてはほとんど分かからない。この世界についての知識を得ながら、なおかつフリッツ君の事情についても引き出したいとは思うのだが、転生してもやはり自分は自分のままだ。会話のパスの仕方なんてどこで学ぶのだろう、前世? それならすでに手遅れじゃない。

「……キスの件は、まあ了解だけれどさ。もう一つ質問してもいいかな」

「どうぞ」

「あの悪魔って、何なの? 」

 フリッツはつかの間視線をさまよわせたが、返答を待つリョーコに根負けしたように肩をすくめた。

「まあ、僕と同じ化け物ですよ。悪魔なんて大層な呼び名ですが、伝説上の、あるいは霊的な存在などではなく、れっきとした生物であることは間違いありません。何しろほら、倒すことができるんですから」

 自虐的に聞こえたフリッツの言葉をリョーコがたしなめる。

「もう、自分のことを化け物なんて言ったりして。さっき、自分で吸血鬼じゃないって宣言したばかりじゃない」

「……吸血鬼ではないですよ。ですが、本質は大きく外れていませんね」

 薄く笑ったフリッツに、リョーコはぞくりと身を震わせる。あの夜に彼が見せた、暗赤色の眼光。半人半山羊の悪魔との戦いを思い出したリョーコは、ためらいがちに疑問を呈した。

「そういえばフリッツ君、素手の一撃で悪魔を倒してたよね。君って超強い格闘職か何かなの? それとも、歯だけじゃなくて手にも何かの魔法を付与しているの?」

 フリッツはくっくと笑うと、自分の握りこぶしを掲げて見せた。

「いえいえ、僕は一介の治癒師に過ぎませんよ。あれには実は秘密があって、僕の血液を少量でも悪魔の体内に叩き込めば、奴らの肉体は崩壊するんです」

「は。何それ」

「この前僕が悪魔と戦っていた時、僕の手から血が流れているのに気づきませんでしたか? あれは、僕が自分でちょっと傷をつけて、わざと出した血なんです」

 どうやら魔法というわけではなさそうだが、単なる物理的な破壊でもないということか。何かの化学反応? 血液で相手を崩壊させるなんて聞くと、昔取った杵柄きねづかで、どうしても拒絶反応だとか抗体反応だとかを連想してしまうのだが。異なった血液型の血液を輸血すると赤血球が崩壊してしまうように。

「そうか、だから素手で戦ってたんだ」

「まあ、これって本来の戦い方ではないんですけれどね、さすがに格闘だけでは限界がありますから。攻撃範囲だとか貫通力だとかの問題で」

 戦い慣れしている者の発言だ、つまりは彼がかなり長期間にわたって悪魔と闘争を続けてきたことを暗に示している。

「ふうん。それって、フリッツ君だけが持っている能力なの?」

「知っている限りは自分だけですね」

 ということは現状、悪魔を倒すことが出来るのはフリッツ君だけということになる。それならばやはり、今後も彼にデーモンハンターをやってもらうしかないわけだが。

 リョーコはこれまでのフリッツの言葉を頭の中で反芻はんすうしてみたが、そこに嘘や矛盾点は特に見当たらなかった。話の内容についてはもちろん現実離れしているのだが、それらの説明についてはきちんとつじつまが合っている。

「それじゃあフリッツ君、奴らの目的って何なの?」

 フリッツはグラスを運びかけた手を止めた。うつむいた彼の表情からは、それまでの笑みは全く消え失せている。

 「……この世界を守っている、というのが、奴らの主張です」

 話にならない、とリョーコは憤然として聞き返した。別にフリッツ君が悪いわけではないのだが。

「冗談じゃないわ。子供たちを殺しておいて、何が世界を守るよ。それに第一、誰から守ってるっていうのよ」

「悪魔よりも、もっとたちの悪い存在がいるってことでしょうね」

「へえ。フリッツ君はそれ、本気で信じているの?」

「……何にしろ、二つの勢力が争っているのは間違いないと思います。そうであれば、どちらかの主張を一方的に鵜呑みにしたり、反対に頭ごなしに否定したりするのは危険じゃないですか?」

 フリッツの返答は論理的だが、その歯切れは悪かった。納得がいかないリョーコは、ぐっと言葉に詰まって押し黙る。悪魔の非道ともいえる行動を明快に否定してくれると思っていたのに、フリッツ君がまさかその主張とやらに理解を示すような発言をするとは、全くの予想外だ。

「それじゃあ君、なんで悪魔と戦ってるの?」

 責めるような口調になったことに少し後悔しながらも、リョーコは聞かずにはいられなかった。そして今度のその問いに対しては、フリッツは即答した。

「それは、最初にお話ししたとおりです。子供たちを守りたかったからですよ」

「ただ、それだけ?」

「それ以外に理由が必要ですか?」

 必要ない。まったくもって、ない。

 けれど。

 リョーコに不審の念を抱かせたことを後ろめたく思ったのか、フリッツはテーブルの上に身を乗り出すと、より前向きな議題を提示した。

「一つ気付いたことがあります。奴らが狙っていたアンナちゃんの、髪の色」

 フリッツの指摘に、リョーコは無機質な輝きを放っていた銀髪を思い出した。

「髪。そういえば、あの時のアンナちゃんの髪は確かに銀色だったわよね。でもレイラさんは、彼女の髪は栗色だって……」

「ええ。それにこの間はお話しませんでしたが、あのサミー君の髪の色。路地裏の奥で僕が見つけた時って、ちょうど銀髪から赤毛へと色調が少しずつ変化している最中だったんですよ。どうやらあの銀色って、一定時間が経過すると本来の髪の色に戻るようなんです」

「ん。じゃあ、いったいどういうことになるのかな」

 額に手をあてて考え込むフリッツを、リョーコは上目遣いにちらりと眺めた。いかん、まともに顔を見ると集中できん。慌てて目をそらしたリョーコを怪訝そうに見たフリッツは、やがて自分の考えを確かめるように話し始めた。

「ちょっと、まとめてみましょうか。まず、鈴の音が鳴る」

「あ、鈴か。そうだ、それがあったわね」

「そして、悪魔が現れて子供たちを襲う。その時、子供たちの髪の色は銀色に変化している。これ、どう思います?」

「……悪魔が鈴を鳴らして、髪が銀色に変化した子供を、何らかの理由で襲う」

 フリッツが感心したようにうなずいた。

「ご名答です、リョーコさん。悪魔たちは、ある特性を持った子供だけを探し出して殺そうとしていると考えて間違いないと思います。あの鈴の音は、その特定の子供たちにだけ聞こえ、彼らを屋外に誘いだす役目も果たしているんじゃないでしょうか」

 リョーコにも彼の話は十分に納得できるものであった。フリッツ君の推測は、恐らく正しい。しかし問題はその後だ。

「で、肝心の『ある特性』って何よ。あの鈴の音はレイラさんたちには聞こえていなかったみたいだけれど、フリッツ君にはもちろん聞こえているのよね?」

「はい」

「私にも聞こえた。それは何故かしら」

 フリッツの瞳が、一瞬強い輝きを帯びた。

「僕たちが、彼らの敵だからですよ」

 それきり黙り込んだフリッツは、リョーコの表情の変化を見逃すまいとするかのように鋭く凝視している。私が悪魔の敵? 恐らく昔から戦い続けているフリッツ君はともかく、私が、ましてや年端も行かない子供たちが悪魔に敵視される理由なんて想像もつかない。いや、それよりもフリッツ君は、悪魔が行っているのは無差別殺人ではないと語っている。この世界を守るために特定の子供たちを殺す必要がある、と主張しているわけか、あの悪魔どもは。

「……フリッツ君。あなた、私の何を知っているの?」

「何も知らないですよ。ただ、記憶を失わないというリョーコさんにはとても興味があります。今日お誘いしたのも、極論からいうとそのただ一点が気になって」

 興味を持ってもらうのはうれしいのだが、私自身の魅力にではないところはちょっとどうなのか、とリョーコは複雑な気持ちになる。

「わからないなあ。君、どうしてそんなに記憶にこだわるの? これは私の問題でしょ」

「記憶を失わなくてすむ方法があるのなら、それをぜひ知りたいんです」

「なぜ」

「僕が、記憶喪失を繰り返しているからですよ」

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