第24話 隠し事

 骨折の整復まで終えたリョーコは、いよいよ治癒魔法の実際について試してみることにした。皮膚が修復できるのならば、骨だろうと神経だろうと治せる道理だとは思うのだが。

「よし、フリッツ君。百聞は一見に如かず、人体の構造については実践で一つ一つ覚えていこうか。今私が説明した脛骨と腓骨、これって治癒魔法で接合できる?」

 「要は、目標とする組織を同じ物質で置き換えて充填じゅうてんしてやればいいんですよね? 組成構造と復元するべき場所さえイメージできれば、恐らくは可能だと思いますが」

 ぱちん、とリョーコが指を鳴らした。実にスマートな返答だ、頭のいい男の子は嫌いじゃないよ。

「ふふ、簡単に言ってくれちゃって。でもこれさえ出来れば、私たちの勝利は約束されたも同然だよ。それじゃあよろしくお願いしますね、私の主治医さん」

 上機嫌に笑うリョーコを、フリッツは胡散臭そうに見る。

「僕が記憶喪失だからって、さっきから意味不明な単語で意地悪してくれてるわけですが。しゅじい、って僕のことを呼びましたけれど、それって何です」

「私のことを一番よく知っている治癒師さん、ってことだよ」

 不意打ち気味なリョーコの言葉に顔を赤らめたフリッツは、まだ知り合ったばかりじゃないですか、などと言いながら、そそくさと魔法の集中に入った。黙って見つめるリョーコの眼前で、骨折部の断端どうしが早送りした発芽の映像のように伸びていく。そして湧き出した新しい骨がすき間を埋めることにより骨折線はその境界があいまいになり、ついに二本の骨は完全に癒合して元へと完全に復した。

 魔法的な組織再生を目の当たりにしたリョーコは息をのんだ。先ほどの感想の続きではないが、これほどヤバい能力がどうしてこの世界では発展していないのか。私の元の世界の住人が治癒魔法の力を知ったなら、万難を排してでも手に入れたくなるに違いない。

「……わーお。治癒魔法、凄すぎでしょ。頑張って手術したって、骨が完全にくっつくまで二か月以上はかかるのに」

 傷から露出したままではあるが元に戻った自分の骨を、リョーコは目を輝かせながら嬉しそうに見つめた。そんな彼女を、フリッツが引き気味に眺める。

「骨がつながったとはいえ、かなりショッキングな光景であるのには変わりありませんが。女の子の目の傷もそうですが、リョーコさん、そんなにじっくり見ていて大丈夫なんですか?」

「そりゃあ最初は血を見るのも駄目だったんだけれど、やっぱり慣れてくるんだよね。あ、何よその目。私だってか弱い女の子なんだから」

 フリッツから向けられた視線に対して、リョーコが不服そうにねる。

「いや、そういう情緒的な話ではないんですが。傷に慣れてる、って言いましたけれど、それってリョーコさんが剣士だからですか? いや、そもそもお姉さんが剣士だったというのが驚きですが」

 フリッツは傍らに転がっていた抜き身の長刀を拾い上げた。青い微粒子の放出を止めている刀身は、月光を反射してただ冷たく光っている。黒い鞘にそれを納めたフリッツは、リョーコに手渡しながら嘆息した。

「護身用っていうから何かと思ったら、こんな長い刀を持ち歩いているなんて。どうしてベーカリーの店員さんが剣士なんてやっているんですか?」

 リョーコはフリッツを見上げながら、いたずらっぽくウィンクを返した。

「若いフリッツ君にはわからないでしょうけれど、女の子って違う顔をいくつも持っているものなんだよ。どう、私の意外な一面にきゅんときたかな?」

「……確かに意外性という意味では満点ですが、その特技が異性を引き付けるうえでプラスになるかといえば難しいのでは」

 ふうむ、と腕を組んで考え込む。

「そうか、剣士はフリッツ君の趣味ではなかったか。やっぱり錬金術師とか人形使いとか、そういうマニアックなクラスの方がよかったかな。踊り子だったら、身近に一人いるんだけど」

「なに馬鹿なこと言ってるんですか。それにしても」

 フリッツが、わずかに身じろぎした。

「僕以外に悪魔を倒せる人がいるなんて、正直驚きましたよ。……ひょっとしてそれって、リョーコさんの能力じゃありませんよね?」

 街路の暗さが、青ざめたフリッツの表情を隠す。先ほど斬った悪魔の痕跡はほとんど消えていたが、そちらを眺めていたリョーコは彼の表情の変化には気付かない。

「まっさかあ。あの刀ね、凄いのよ。切り口を中心に悪魔の身体を崩壊させることが出来るんだから。悪魔を倒せるのが君だけじゃないっての、けちゃう?」

 冗談を言いながら隣を向いたリョーコは、フリッツの泣きそうな笑顔と向き合うことになった。

「……そうですか。リョーコさんが悪魔を倒せたのは、その刀のおかげだったんですね。妬けるだなんてとんでもない。……本当に良かった」

 尋常でないフリッツの安堵を見て、リョーコは狼狽ろうばいした。

「どうしたの、何がそんなに良かったのよ?」

 目を閉じて首を横に振ったフリッツは、何でもないです、とつぶやいて座り込むと、リョーコの肩に自分の頭を寄せた。

「リョーコさんが、ただのか弱い女の子で良かったなあって」

 刀を振るような女に嫌味なのだろうか、とそっと横目で見ると、フリッツは顔をこちらにむけてじっと見つめている。

「な、何?」

「これからもよろしくお願いします、って僕は目で語っていますよ?」

 ばあか、とリョーコはデコピンを飛ばした。何故言ってくれたのかはよくわからないけど、私が一番欲しかった言葉には違いない。

 あ痛、と笑ったフリッツは、黒光りする長刀に目を向けた。

「でもその刀、最初に出会った夜には持っていませんでしたよね。あの時は家に忘れて来たんですか? だとしたらリョーコさんも迂闊うかつな」

 ナイル、とかいうあの半人半山羊の女悪魔と戦ったときか。確かにあの時にこの刀があれば、ずっと有利に立ち回れていたはずだが。

「いやいや、あの時は私の手元にはなかったんだ。レストランで話した、私が改変されたとか戯言ざれごとを言ってた奴が置いていったのよ」

 ちらりと刀の鯉口を切ってみると、フリッツが手にした先ほどとは違って、ちりちりと青い光が漏れ出てくる。どうやら私が抜いた時にしか反応しないらしい、と考えたリョーコが刀を収めると、周囲は再び暗さを取り戻した。

「まあでも、この刀だってまったく得体が知れないけれど、おかげで助けられたのは確かなんだよね。まったく、あいつって何者なんだろう」

 あのグラムロックの男が自らを異世界からの転移者だと名乗っていたことについて、リョーコはあえてフリッツに話さなかった。忘れることが出来ない、というだけでも警戒されているはずなのに、この上さらに自分が異世界転生者だなどとほのめかしたら、きっと彼は私から離れてしまうに違いない。

 今更一人になるのが怖いなんて、君に会うまでは想像もしていなかったけれど。

 隠し事してごめん、フリッツ君。

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