第22話 治癒魔法の力

 リョーコの質問に、フリッツは言葉に詰まった。

「治癒師かと問われれば、そうですと答えるしかありません。ですが、役に立つ治癒師かと問われれば、答えはノーですよ」

「ごめん、フリッツ君。実は私、その辺りの事情ってあまり知らないんだよね。治癒師ってこの国にしかない職業なんでしょ? 少し説明してくれないかな」

「……どこから来たんですか、って聞いても、どうせ答えてくれないんですよね」

「えへへ。ミステリアス路線だよ、少年」

 はあっとため息とつくと、フリッツがかいつまんで説明を始めた。


 役に立たない治癒師がいる、というわけではなく、おしなべて治癒師というものは大して役に立たない、というのが世間一般の評価だ。治癒魔法というものは非常に限定的な効果しか発揮できておらず、それは例えば、浅い切り傷を治したり、ちょっとした風邪の症状を緩和したり、虫歯を抜く際に痛み止めの手助けをしたりといった、いわゆる応急処置的な役割にとどまっているという事である。

 治癒魔法の存在がおおやけになってから約五十年、この間に治癒魔法の素養が認められた者はわずかに三桁を少し超える数である。つまり治癒師は年間に二、三人しか出現しない希少職であるのだが、その全員は例外なく王立の治癒師アカデミーへの入学を義務付けられている。しかしそこで学ぶ知識と言えば前述のごとく、重症の病を治したり、ましてや蘇生などといった人生を決定的に変えることが出来るようなものではなく、いきおい治癒師という職業が大して重要視されないのも致し方なかった。

 市井の人々にもそうした印象は同様で、治癒師はちょっとした便利屋程度にしか認識されておらず、場合によっては薬師や加持かじ祈祷きとう師以下の扱いを受けることすらあった。これは、王立アカデミーまで存在し保護されている職業としては極めて格下にみられていると言わざるを得ず、その点、同じ魔法職であっても戦争や国防までをも左右し得る魔導士などとは比べるべくもない。


 「そして僕は、その並みの治癒師の知識すらありません。半年前までの記憶をすっかり失ってしまっているんですから」

 再びこぼした深いため息で、フリッツは自分の無力さについての話を締めくくった。

 「リョーコさんの言いたいことは痛いほどわかります、治癒魔法でその子の目を治そうというんでしょう? でもそんなこと、とても無理ですよ」

「どうして?」

「リョーコさんも僕たちの内情には詳しくないとは思いますが。こんな深い傷を治せるような治癒師なんて、アカデミーでも教授レベルのごく一握りですよ。少なくとも、僕の知っている治癒師でその領域に到達している人は一人もいません。申し訳ないですけれど、治癒魔法なんてただの大道芸ですよ。それこそ、みんなが思っている通りに」

 自虐的なフリッツの言葉に接しても、リョーコには特に落胆した様子はなかった。

「そっか。で、フリッツ君はどうなの」

 あっさりとした問い返しに、フリッツはわずかに声を荒げる。

「万に一つですが、記憶をなくす以前の僕が彼女の目を治せるような治癒魔法の使い手だったとしても、もはやそれを使いこなすための知識が記憶の根本から失われているんです。今の僕に出来ることなんて、せいぜい咬み傷を消す程度ですよ。いい加減に理解してください、僕は彼女を助けることなんか……」

 言葉を続けようとしたフリッツの手に、腕を伸ばしたリョーコの指先が触れてくる。落ち着かせるようにそっと握ると、リョーコは静かな口調で尋ねた。

「知識があれば、損傷部の構造さえわかれば、治せるの?」

 リョーコの妙な落ち着きに気をそがれたフリッツは、呼吸を整えるとためらいながちに答えた。

「恐らくはそうだと思います。でも繰り返すようですが、僕はそんな知識は持ち合わせていません。この半年間、僕はアカデミーで学んだことも、誰かに師事したこともありませんでしたから。もっともアカデミーをきちんと卒業した治癒師だって、そのほとんどは目の構造なんて知らないと思いますけれど」

 なるほど、重傷を治せないというのは、どうやら治癒魔法自体の限界という事ではないらしい。治癒魔法には未知の可能性がある、ということさえ確認できれば、今の自分達には十分だ。

 リョーコはフリッツの足をぽんと叩くと、明るく笑った。

「大丈夫。いけるよ、フリッツ君」

「え?」

 彼女はウィンクをすると、ショートスカートから伸びた左脚をフリッツの方へと投げ出した。街灯に照らされた白いすねの中央に深い傷が黒い洞穴のように空いているさまは、異様なグロテスクさをもって映る。慣れていない者であれば気を失いかねない自分の無残な足を、リョーコは他人のそれを見るように冷静に眺めた。

「そうね、まずは私のこの左脚で試してみようか。ええと、治癒魔法、か。確か『鎮痛』と『浄化』ってあったわよね?」

 フリッツはリョーコの博識に驚いた表情を見せる。大した興味を持たれていないためでもあろうが、治癒魔法の詳細については、一般人はそのほとんどを知ることはない。

「ええ、よくご存じですね」

「どこかで一度聞いたことがあるのよ。私、忘れたことないからね。じゃあ、まずはその二つを順番にかけてもらおうかな」

「あ、そうか。『鎮痛』があるならすぐに使えって話ですよね、ごめんなさい」

 言われてようやく、フリッツはリョーコが痛みに耐えていることに気付いたようだった。もっと早く痛いって言ってくれればいいのにな、敏感なんだか鈍感なんだか、などとぶつぶつ言いながら魔法を行使しようとしたフリッツに、リョーコがすばやくくぎを刺す。

「とりあえず、左脚だけでいいからね。魔法って、使用には限度があるんでしょ?」

「魔力のことですか? 確かに体力と同じで、どんどん消費していけばいずれは枯渇してしまいますが。でもリョーコさん、左胸も凄く痛そうですけれど?」

「全然大丈夫よ。この子の治療が終わっても魔力が余っているようだったら、その時にお願いするから」

 笑い飛ばそうとしてわずかに顔をしかめるリョーコに、フリッツは小さくため息をついた。

「……わかりました。でも、顔の傷だけは先に治させてくださいよ。それだけは譲れませんからね」

 思わず身を引こうとしたリョーコを引き寄せると、フリッツは彼女の右頬の傷に手をあてた。伝わってくる暖かさが治癒魔法のせいなのか、それとも彼自身の体温なのか、リョーコには区別がつかない。悪魔の爪が刻んだ顔の切創はまたたく間に小さくなり、やがてそれは跡形もなく消えた。

「はい、完了です。このくらいであれば、僕にも出来るんですがね」

「あ、ありがと」

 傷が癒えたにも関わらず、リョーコの頬はわずかに赤みを帯びていた。顔から治してくれたりなんて優しくされると、また勘違いしちゃうんだけれどなあ。

 こほん、と咳ばらいを一つしたリョーコは、自分の脚に再び目を向けた。

「それじゃあフリッツ君、実習を再開しようか」

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