第8話 リビングデッド

 やや沈んだベーカリー内の雰囲気を、張りのある声が破った。

「ねえ、リョーコ。こちらのワイルドで素敵なお兄さん、紹介してくださらない?」

 それまで黙って二人の話を興味深そうに聞いていたヒルダが、ちょいちょいとリョーコをつつく。努めて弾むようなその口調は、私とリカルドさんを元気づけようとした彼女なりの気遣きづかいなのかもしれない、とリョーコは隣にいる親友に感謝した。そう、確かに感謝はしたのだが……

 そらきた、とリョーコは返事をするのをためらった。ヒルダってば、少年から初老の紳士まで守備範囲が広すぎるからな……あえて紹介を避けていたのだが、やはりそういうわけにもいくまい。

「リカルドさん。こちら、私の友人のヒルダです」

 先程からちらちらと横目でヒルダを観察していたリカルドは、改めて彼女に向き直った。姿勢を正して会釈しかけた彼だったが、面と向かってヒルダの顔をまじまじと見ると、何かを思い出したようにいきなり素っ頓狂な声を上げた。

「き、君は。ひょっとして、ヒルダちゃんじゃない!?」

 ヒルダはきょとんとして、自分の顔を指さした。

「え、何? お兄さん、私のこと知ってるの?」

「おっと、申し遅れました。俺はリカルド、この街の自警団の団長をやっています」

 すでにリカルドはその大きな両手でヒルダの手を包み込むように握っていたが、彼女は別段気にする様子もない。

「それで俺、団員のやつらを連れて、ちょくちょくデッカーズに繰り出してるからさ。知ってるも何も、みんなヒルダちゃん推しだぜ。ご本人と話せるなんて、いやあ実に感動だなあ!」

「あ、そうだったんですか。いつもありがとうございます!」

 ヒルダは、ぱあっと飛び切りの営業スマイルを放った。舞い上がっているリカルドは、推しのダンサーの身体の隅々にまで遠慮のない視線を配る。

「いやあ、やっぱり間近で見ると違うなー。特にヒルダちゃんのド迫力の胸と折れそうに細い腰のくびれのコントラストは、他の子の追随を許さないからなあ」

 やたら早口で感想を口にする歴戦の勇士を、リョーコは冷たくにらんだ。

 このエロ中年、本人の前でそんな品のない評価を口にする奴があるか。もっともヒルダのクラブでの衣装も、挑発的すぎて大概なのだが。

 しかしセクハラまがいの言葉を贈られたヒルダもさるもので、

「あら、お兄さん。今着てるこのジャケットとミニスカートなんかも、お好みではないですか?」

 などと、くるりと一回転してからかう。

 リカルドは片方の眉を挙げてにやりと笑うと、意味ありげにうなずいた。

「もちろん、ヒルダちゃんにはよく似合ってるぜ。その魔導士アカデミーの制服は」

 ぴたりと動きを止めたヒルダは表情を消すと、それまでと打って変わった冷ややかな口調で尋ねた。

「……お兄さん、この服が魔導士アカデミーの制服だって、良くお分かりになりましたね。アカデミーの詳細については国の最高機密のはずですが?」

 ヒルダの鋭い眼光にもひるむことなく、リカルドはおどけた調子で答えた。

「軍をやめたって言っても、それなりにコネがあるからな。それに以前俺がいた部隊ってやつも、結構変わった職場でね。こうしてぶらぶらしている今でも、いろんなことが嫌でも耳に入ってくるってわけだ」

 リカルドをじっと観察していたヒルダは、ふっと息を吐くと、元の笑顔に戻った。

「なるほど、リカルドさんって一筋縄ではいきませんわね。熱心なファンの方って、プライベートなことにまでご興味を持たれるから怖いですわ」

「もちろん、こいつは誰にも話したりしてないぜ。推しの秘密を知っているという優越感も大切にしたいが、なにより機密を明かすような真似をして、ヒルダちゃんの魔法で灰になりたくはないからな」

「ご賢明な判断です。私が魔導士であるということを知っている一般の方は、リョーコだけですから」

 驚いたリョーコがヒルダに聞き返す。

「え、そうなんだ。ヒルダってば初対面で、魔導士アカデミーの最上級生でーす、なんて私に軽く自己紹介してくれたじゃない」

「それはあんただけ。私にとって、リョーコは特別なんだから」

 やばい、ヒルダの愛が重い、と赤面しながら頭を抱えるリョーコ。二人のやり取りを見ていたリカルドは苦笑すると、軽い調子で身を乗り出した。

「それにしてもヒルダちゃん、魔導士とダンサーを両立ってすごくないか? ちょっとレアキャラすぎるんだが。俺、ますます君のことが知りたくなっちまうなあ」

「そうでしょー、よく言われますう。ほんの少しご援助いただければ、もうちょっとお話しできましてよ?」

 リョーコは苦虫をかみつぶしたような顔で、しなを作っているヒルダを見やった。こいつ、なんてきわどい営業してやがる。自分の武器を最大限に利用している奴の台詞だ。リカルドさんもリカルドさんだ、まったくだらしない顔しちゃって。さっきの渋い会話が台無しじゃない。

「そ、そうなの? 援助かー。俺独身だから、自分の金はそれこそ自由に使えるけれど。いわゆる投げ銭ってやつか、それもやぶさかじゃないが」

 早くもふところの財布を探ろうとしたリカルドに、ヒルダが慌てて手を振った。

「あら。私にじゃなくて、子供たちのグループホームにご援助いただければ」

 ヒルダはそう言って、にこにこと笑う。おや、と顔を上げたリカルドは、その施設について心当たりがあった。

「子供たちのグループホーム。ひょっとして、街の郊外にある緑竜りょくりゅうりょうのことかい?」

 まあ、とヒルダは驚きの声を上げた。

「そうです。よくご存じですわね」

 リカルドは親指で、左胸にある双頭の蛇の紋章を指し示した。

「あの辺も、俺たち自警団の管轄だからな。特にこんな事件が多発している昨今だ、あそこは重点的に警備すべき対象のひとつなのさ」

 そうでしたか、と表情を和らげたヒルダは、椅子に座り直すと深く頭を下げた。

「あの子たちを守ってくださってるんですね、ありがとうございます。今度クラブでサービスさせていただこうかな」

 感謝の気持ちをにじませたヒルダの言葉には、計算高い魔女のてらいは微塵も含まれていなかった。よしてくれ仕事だからよ、と照れたリカルドは、咳ばらいを一つすると真顔になった。

「サービスしてくれるのはありがたいが、なんだってヒルダちゃんがグループホームの援助をつのってるんだい?」

 ヒルダは、笑顔を絶やすことなく答えた。

「私、あそこの出身なんですよ。両親いないので」

 リョーコも以前に、ヒルダから緑竜寮の話を聞いたことがあった。何らかの理由で一人で生活しなければならなくなった子供たちを受け入れ、養育している施設である。死別や乳児の置き去り、幼小児期の虐待など個々の事情は様々であるが、リョーコはヒルダの両親の事は聞かなかったし、ヒルダもあえて話そうとはしなかった。親友の二人には、それで十分だった。

 リカルドは視線を落とすと、顎の無精ひげを撫でた。

「……そうか。そこからあの魔導士アカデミーに入るたあ、まったく凄いぜ。ホームの子たち、鼻が高いだろうな」

「守秘義務があるので、魔導士アカデミーじゃなくて普通の大学に行ってる、って嘘はついちゃってるんですけれど、それでも自分の事のように喜んでくれています。私にとってはみんな、かわいい弟や妹みたいなものなんですよ。だからお兄さん、ご援助いただけませんか?」

 感動で上気した顔を上げたリカルドは、厚い胸板を自分のこぶしでばんと叩いた。

「くー。よし、任せてくれ。ヒルダちゃんの助けになれるのならこのリカルド、毎日仕事してばんばん稼ぎまくって、がんがん援助させてもらうぜ!」

 無駄に漢気を見せるリカルドに、リョーコは再び冷ややかな視線を送った。

「なに馬鹿なこと言ってるのよ、いい中年が女子学生に入れあげて。レイラさんに言いつけるわよ」

 レイラの名前を聞いて、リカルドの動きが止まる。

「う。レイラさんに軽蔑されるのは、冬の夜勤よりもつらいものがあるなあ……」

 我慢しきれなくなったヒルダは、腹を抱えて笑いだすとリカルドの背中を叩いた。

「あはは。リカルドさん、冗談ですよ。お金もそうだけれど、私は踊りたいから踊っているだけなんです。私のダンス、最高でしょ? これからも応援、よろしくお願いしますね!」

 リカルドもつられて笑い出すと、柔らかな眼差しをヒルダに向けた。

「なんだか俺、ますますファンになっちまったぜ。推しがいるからこそ、今夜の宿直も乗り切れるってもんだ。ようしリョーコちゃん、夜食用にサンドイッチを三つ頼むぜ!」

 リカルドはカウンターに代金を置くと、食料がぱんぱんに詰まった大きな紙袋を抱えて立ち上がった。

「それじゃあヒルダちゃん、またデッカーズでな。リョーコちゃん、レイラさんによろしく!」

 そう言い残すとがちゃがちゃと金属音も高らかに、リカルドは意気揚々と店を後にした。


 リョーコは腕を組むと、ヒルダを横目でにらんだ。

「ちょっと、ヒルダ。純粋な中年の人生を狂わせたりしちゃ、だめじゃない」

「あら。私、嘘は言ってないし。それにね、リョーコ」

 ヒルダは、前を向いたままで言った。

「人に希望を与えるのも、一種の魔法よ」

 預言のようなヒルダの言葉に、リョーコは一瞬言葉に詰まった。

 希望、か。それが本当にあるのかどうかは、たいして重要じゃないのかもしれない。希望があると信じて探し続けることが、生きるということなら。

 ねえ、今の私は。

 生きてる?

 それとも、死んでる?

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