第13話 隠れ家でのランデブー
家々から漏れる窓明かりが、行き交う人々の横顔を幻想的に彩る。とっぷりと暮れて暗くなった街路を足早に通り抜けると、リョーコはステンドグラスで飾られたドアを押し開いた。メイド服を着た小柄な女の子が、笑顔を振りまきながらカウンターの中から出てくる。
「こんばんは、いらっしゃいませ。お一人さまですか?」
リョーコは緊張を隠しながら、おずおずと尋ねた。
「あの。フリッツ、で二名、予約が入ってますか?」
メイドはぱらぱらと台帳をめくると、一点で手を止めてうなずいた。
「はい、確かに承っております。ご予約のフリッツ様は先にお越しですよ。ご案内させていただきます、どうぞこちらへ」
きちんと予約が入っていたことにリョーコは安堵した。からかわれた、とまでは思わなかったが、やはり疑念はあった。フリッツの年齢についてはわからないが、見た目はどう考えても未成年である。年下の男の子に誘われた年上女子としては、どこかに多少の引け目を感じてしまうのも無理からぬことであった。
奥に案内されながら、外観から予想したよりもずっと広い店内を見渡してみる。間接照明が効果的に使われた屋内の明度は全体的に暗く抑えられており、低い天井と相まって落ち着いた雰囲気を演出している。おしゃれ、あるいはきらびやか、などという事前の想像とは異なって隠れ家的な居心地の良さがあり、それはリョーコの好みによくかなっていた。フリッツ君てば、若いくせになかなかよくわかっているじゃない、などと勝手に論評しながら心の平静を保つ。
やがてメイドは、リョーコを窓際の一角に案内した。
「フリッツ様、お連れの方をご案内いたしました。後ほど店主がご注文を伺いに参りますので、それまでどうぞごゆっくり」
一礼したメイドがカウンターへと引き上げていくと同時に、通路に背を向けて座っていた白いタートルネックの少年が、振り向きながら立ち上がった。
「来てくれたんですね。お待ちしてました、リョーコさ……」
言いかけて硬直したフリッツを見て、リョーコは不安にかられた。自分では普段通りのつもりだが、どこかずれてる、とはよく人に言われてきたことではある。
「あの、フリッツ君。私の顔に何かついてる?」
我に返ったフリッツは、しどろもどろに答えた。
「え、あ、いや。お店の時と、雰囲気違うなって」
リョーコは自分のいでたちを確かめてみる。サーモンピンクの髪はストレートにおろしてリボンで軽くたばねただけだし、チェック柄のネイビーブルーのネルシャツ、黒いショートスカートとそれに合わせたハイカットのブーツも、ばっちりだってレイラさんが太鼓判を押してくれたし。そこまで奇抜な格好ではないと思うのだが。
「どこが、どう違うっていうのよ」
フリッツは言葉に詰まった。髪をアップにしてエプロンをまとったベーカリーでの仕事姿とは全てが違っていて、気合が入りすぎているのが誰の目にもありありとわかる。
「ええと、その。単純に、きれいだな、と」
ぼん、とリョーコは顔を赤くすると、頬を膨らませながら視線をそらす。やっぱりフリッツ君は子供だ、大人になるとストレートな言葉なんて口には出せなくなるものなのだから。
「……いつもと違ってきれいだなんて、うまい誉め言葉とは思えないけれど。それにね、フリッツ君」
リョーコは視線を戻すと、びしりと人差し指を突きつけた。
「な、何でしょうか、リョーコさん」
「女の子に簡単にきれいだなんて言っちゃだめよ。それを言われた子って、たいてい誤解するから」
フリッツは、少しむきになって言い返した。
「僕、言いたいことはその場で言いますよ。そうでないと、次にいつ言えるか分かりませんからね。それに僕、そんなに簡単にきれいだなんて言ったりしませんし。それこそリョーコさんの誤解では?」
フリッツの思わぬ強い口調にリョーコは面くらった。またいつもの悪い癖だ。自分を卑下してしまうのは、むしろ相手を軽んじているからではないのか。どうせあなたには私のことなんかわかるはずがない、なんて。しかし、フリッツ君のことを良く知らないからと言って、彼の言葉をないがしろにしていいはずがない。
そうね、とつぶやくと、リョーコは小さく頭を下げた。
「ごめん、素直じゃないのは昔からだから。こういうところ、本当に可愛くないなって自分でも思う」
沈んだ口調に慌てたフリッツは、ばつの悪い表情で頭を下げ返す。
「僕の方こそ、生意気言ってすいません。もうちょっと自信持ってもいいのにな、なんて思ったもんですから」
リョーコは口元に手をやると、くすりと笑った。
「ありがとう、来てよかった。なんだかお待たせしちゃったみたいだね?」
「うーん。こういう時って、僕も今来たばかりです、っていうのが正しいんでしょうね……いや、実はけっこう待ちましたよ。でも、なに話そうかなってずっと考えてたら、あっという間でしたから」
「へえ。それ、昨夜の私と同じじゃない。おかげでほら、マジ寝不足」
リョーコとフリッツは顔を見合わせると、同時に吹き出した。相手のことを何も知らないのに壁を意識することがない、互いにそのような経験がない二人は自分たちの戸惑いに気付くことが出来ない。
とりあえず座りましょうか、とリョーコのために椅子を引きかけたフリッツは、おや、とその背中に目を留めた。周囲の客も、彼女のスマートな装いよりも、嫌でも目立つその長い得物に好奇の目を注いでいるのは明らかだった。リョーコは思い出した様にそれをおろすと、笑いながら目の前に掲げて見せる。
「あ、これ? ほら、フリッツ君が夜は危ないって言ってたでしょ? だから護身用にと思って」
フリッツは驚きに目を丸くしながら、眼前の白い包みを凝視した。一般的に女性が護身用に携帯するとなればダガーかせいぜいショートソードだが、彼女が携えているそれはあまりにも長すぎる。
「なんですかそれ。まさか、槍でも持ってきているんですか」
「ばっかねえ。普通の女の子がそんなもの持ち歩くわけないじゃない」
フリッツは何か言いたそうにしていたが、これ以上は触れない方がいいと思い直したのか、あははと愛想笑いを返して話を先に進めた。
「まあ、とにかく何か頼みましょうか。リョーコさんもおなかがすいてますよね? ここの料理、本当においしいんですよ」
二人が座ると間もなく、白いコック帽とコックコートに身を包んだ
「いらっしゃい。久しぶりだな、フリッツ。この前はうちのせがれが世話になったな、礼を言うよ」
フリッツは椅子から立ち上がると、
「ご無沙汰してます、ブルーノさん。ルカ君はあれから元気ですか?」
「元気も元気。ほれ、今日も厨房を手伝ってもらってるぜ」
ブルーノと呼ばれた男は破顔しながら、親指で奥のキッチンを指し示す。フリッツは大きな油鍋を振っている若者を遠目に見ると、満足そうにうなずいた。
「なるほど、問題なさそうで良かったです。それにしても顔半分の油やけどなんて、シェフっていうのも危険な職業なんですねえ」
「もう一人前だなんて調子に乗ってたからな、ルカにはいい薬になったろうさ。でもお前さんの治癒魔法がなけりゃ、ひどいことになってたのは間違いないな。あの顔のままじゃ、嫁のなり手も来なかっただろうし。お前さんには感謝してもしきれないよ」
親しく話しこんでいたブルーノは、隣で黙って聞いているリョーコに気付いた。咳ばらいを一つすると、彼女の方へと向き直って丁寧に会釈する。
「『アングラーズ・ネスト』のオーナーでメインシェフのブルーノです。本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」
型通りの挨拶をすると、ブルーノはあごをなでながら感心したように二人を見た。
「フリッツがこの店に誰かを連れてくるなんて初めてだな、しかも大変な美人さんときたもんだ。お前さんも相当いい男だし、目立ちすぎるなこのカップルは」
それを聞いたリョーコは、どぎまぎしながら答える。
「あ、あの。フリッツ君とは、ただの知り合いで」
厳然たる事実に心の中でため息をつく。彼氏、どころではなく、友達すら未満だ。
ほう、とブルーノはとたんに目を輝かせ始めた。
「本当ですか? じゃあ、うちのルカなんかどうです? 料理の腕は俺仕込みだし、お嬢さんさえよければ、将来この店のおかみさんになってもらって……」
徐々に興奮してきた店主を、フリッツが慌てて
「ちょっと、ブルーノさん。初対面の女性に失礼なこと言ってないで、早いところ料理の方をお願いしますよ。僕たち、空腹で倒れそうなんですから」
その言葉にブルーノは我に返ると、豪快に笑いながら思い出したようにメニューを差し出した。
「おっとそうだった、悪い悪い。今日はおすすめは……そうだな、ハゼのフライとアサリのワイン蒸しなんかどうだい?」
「いいですね、その他は適当にお任せします。リョーコさんは、何か嫌いなものは?」
「あ、えと。ぜんぜん大丈夫」
「じゃあさっそく。後、レモンソーダを二つお願いします」
「かしこまりました、しばらくのお待ちを」
上機嫌で厨房に戻っていくブルーノの後ろ姿を見送ると、フリッツはやれやれと肩をすくめた。
「ごめんなさい、リョーコさん。彼、いい人なんだけれど、ちょっとお気楽なところがあって」
……お気楽、か。そうだよね、せっかく君が誘ってくれたんだから。転生してからの半年間、迷い込んだ獣のようにずっと気持ちを張り詰めてきたけれど、この辺りで少し肩の力を抜いてみてもいいのかもしれない。
リョーコはふっと息を吐くと、笑いがら首を横に振った。
「ううん、いいんじゃない。私、こういう雰囲気、好きよ」
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