第一章 転生女医と不死の治癒師
第1話 始まりは鈴の音に乗って
リン。リリン。
嘘でしょ、また急患?
今夜はこれで、救急車何台目かな。まったくついてない。
寝台の中でまどろんでいたリョーコは、どこからともなく聞こえてくるその音で、がばりと跳ね起きた。枕元に置いてある常夜灯が淡いオレンジ色の光を放って、
年季の入った石造建築の二階にある彼女の自室には電化製品などは一切なく、調度といってはクラシカルな木製のサイドテーブルと壁に掛けられた鏡が目立つばかりである。さきほどの音が院内電話のコールではなかったことに気付くと、リョーコの唇から
ばかねえ、私。当直室なんか、この世界にはどこにもないっていうのに。それでもいまだにうなされるなんて、これも職業病ってやつかな。
鈍い頭痛を感じてこめかみを指でもむと、リョーコは改めて耳を澄ました。まだ聞こえる、やはり幻聴などではない。金属同士が触れ合うようなそのかすかな物音は、どうやら屋外から響いてくるらしい。
鈴かな、とリョーコは不快気に眉をひそめた。非常識な人もいるものだ、住人の決して少なくないこの辺りで真夜中に鈴の音とは、はた迷惑この上ない。
二度寝しようとシーツを首元まで引き上げかけたリョーコは、不意に胸騒ぎを覚えた。
……呼んでいる。私を?
扉へと向かおうとして足を踏み出すと、編み上げブーツの底が石床に当たってこつりと硬い音を立てた。部屋の中で反響する靴音に顔をしかめたリョーコは、二人の同居人の顔を思い浮かべる。レイラさんとポリーナちゃん、二人を起こさないように、そっと。部屋の扉を静かに開けたリョーコは忍び足でゆっくりと階段を降りると、勝手口から滑るように外へ出た。
いつもはまだ昼の熱を残している初秋の深夜も、今夜に限ってはどこか肌寒かった。街灯の設置されていない裏道は真っ暗で、人どころか猫の子一匹の気配すらない。身震いしたリョーコは上着のえり元をかき合わせると、再び耳を澄ました。
リン。リリン。
鈴のようなその音は、どうやら大通りの方角から聞こえてくるらしい。リョーコは灯りに誘われる蛾のようにふわふわと暗い裏道を歩いていくと、建物の角から顔だけを出して辺りをうかがった。
「永続の光」の魔法を付与された街灯が、石畳の街路を青白く照らしている。例の音はいつの間にかやんでおり、人気のない表通りは墓場のように静まり返っている。
目を凝らしたリョーコは、通りを渡って離れた道の端に、白いナイトガウンを着た少女が座っていることに気付いた。遠目にはっきりとは分からないが、おおよそ十歳くらいか、と見当をつける。ポリーナちゃんと同じ年ごろの、きゃしゃな感じの女の子。ただ目立つのは、その少女の髪が不自然なほどの銀色であることだった。無機質で硬質な銀髪が、月の光を反射して冷たい光を放っている。
そして少女の目の前には長い黒髪の女性が一人、身をかがめてその顔をじっとのぞき込んでいる。こんな真夜中に何をしているのだろう。好意的に見れば、行き場のない少女を心配して優しく声をかけている親切な若い女性、といった構図なのだが。紫の長衣に身を包んだその女を、もっとよく見ようとわずかに身を乗り出したリョーコは、思わず総毛だった。
違う。女、は恐らく正しいのだろう。しかし、人、というのは間違っていた。彼女の背中から突き出している、光沢のある黒い革でできた傘のようなもの。あれは翼ではないか、まるで
異形の女は黙ったまま少女を見下ろしていたが、やがて右腕をゆっくりと彼女に伸ばし始めた。その手。左半身をこちらに向けていたので先程までは分からなかったが、女が伸ばした右腕は全長にわたって黒い剛毛にびっしりと覆われており、そこだけ白く細い指の先端には、あり得ない長さの爪がざわざわと揺れていた。その爪の一本一本が、リョーコにはまるで鋭利なメスのように見える。それもカーブの付いた円刃刀ではなく、先のとがった尖刃刀。表面を切るのではなく、深く、刺すための形状。
リョーコは頭を振って、その場違いな考えを追い払った。ばか、メスの事なんて思いだしている場合じゃないだろうに。
街灯に照らされて鈍く光るその爪が、徐々に、しかし確実に少女の胸に近づいていく。銀髪の少女は恐怖の為か声一つあげず、ただ目を見開いてがたがたと震えているばかりである。予想できる惨劇を前に、リョーコは自分の胸を押さえつけて荒れる呼吸を鎮めようとした。
どうする。もちろん、答えは一択。逃げよう。
どうせここは私の世界じゃない、違う世界の人のことなんか構っている余裕なんてない。それにここで出しゃばって私が転生者だってことが誰かにばれでもしたら、それこそ厄介事に巻き込まれるに決まっている。
しかしそのような打算とは裏腹に、リョーコの足は自分の意思に反してじりじりと前に踏み出していた。胃液がせり上げ、緊張で吐きそうになるのをこらえる。自分が何を考えているのか分からず、リョーコは混乱した。あんな化け物、自分独りだけで、いったいどうしようっていうのよ。
リョーコは裏道に転がっていた手近な棒をつかむと、漆黒の路地裏から月光が降り注ぐ街路へと進み出た。
次の更新予定
2024年11月30日 11:45
転生女医は二度初恋をする 諏訪野 滋 @suwano_s
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