第16話 俺は人を愛してはいけないのだろうか
狭い穴を抜けると、森の中に出た。
出口は岩陰に作られており、表からはバレないように落ち葉でカモフラージュした蓋がされていたようだ。
握っているネックレスを見る。
透明な水晶を包むように銀の装飾が施された物で、どこか懐かしい気持ちになる。
「どこかで同じような物を見たことがあるような」
しかし、ハッキリとは思い出せない。
だが今は、そんな事を悠長に思い出している場合ではない。エリがせっかく時間を稼いでくれているんだ。早くどこかへ身を隠さなければ。
しかし、この辺りの地形が全く分からない。どのあたりに村や町があるか分からない状態で、むやみやたらに歩き回るのは得策ではないだろう。
ここは帝国領の最南端だ。南下すれば共和国領に戻ることも出来るが、その考えは無かった。
キースが俺の事を追って来ているかも知れないし、川を隔てた国境には検問所が敷かれているそうだ。それに、通行許可証がないと帝国領と共和国領を行き来出来ないとエリは言っていた。
だから、南下するという選択肢は無い。
北に行けば帝国の中心部に行く事が出来るはずで、途中に村や町などがあるかもしれない。
だが、見渡す限り木々が生い茂ってるこの森で、方角など全く分からない。北はともかく、どこか街道に出なければ。
空を見上げようとしても、葉っぱで覆いつくされ殆ど見えない。遠くの方で鷹の様な鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。
「ん? これは」
視線を下に戻すと、抜け穴の近くの木に、枝で作られた矢印の様な物が引っかかっていた。思わず見逃してしまいそうなほど溶け込んでるが、よくよく見ると少し不自然だった。エリが作ったのかも知れない。
とりあえず当てのない俺は、その矢印が指し示す方向に行ってみることにした。
暫く歩くと、無事に街道に出ることができた。村の方角とは反対側に向けて歩き出す。
だが、街道に出たのは失敗だったかもしれない。背後からものすごい邪悪な気配をした何かが迫って来るのを感じた。
逃げ切れない事を悟った俺は、立ち止まり振り返る。すると、勇者マティアスはすぐ近くに来ていた。
片手に何かを持っている様だが、後ろ手にしているため何かは分からない。
「よぉ、お前がタツって奴だな? 街道を見張っていれば、いずれ姿を現すかと思ってたんだよ」
「いや、人違いだ」
そうだ。俺はタツなんて名前ではない。エリが勝手にそう呼んでいて、それに合わせていただけだ。
「ああっ!? 嘘つくんじゃねーよボケ! お前がタツって名前で、俺様のトロを殺したってのは裏が取れてんだよ!」
自信満々のその発言は、とてもブラフには感じなかった。エリが口を割ったのか、それとも……。
「それにあの年増の田舎臭い女がかくまってて、しかも逃がしたんだ。お前以外に誰がいるってんだ」
「エリは、無事なのか?」
「ああん? もしかしてお前、あの女に気が有ったのか? 親戚だか何だかって言ってたけど、どうせウソなんだろ?」
「彼女は無事か、と聞いている」
しかしマティアスは答えない。
「しっかしまぁ、昨日夜の相手をさせたが、今までで最低の女だったなぁ。下手くそだし、全然反応しねーし。そりゃあ、行き遅れるわけだ。ははっ!」
怒りのボルテージがあがっていくのを感じる。エリとはたった数日過ごした間柄でしかないが、命の恩人である事は変わりない。そんな彼女を侮辱するコイツは腹立たしくて仕方ない。
「それ以上彼女を侮辱するのは止めろ! さもないと――」
「さもないと、なんだ?」
マティアスが凶悪な殺気を放ってくる。思わず俺は口を噤んでしまった。
「お前、勇者である俺様に勝てると思ってんの? 見たところ怪我が癒えていないし、レベルが低くて弱そうなんだけど。それに勘違いするなよ? お前は俺様の大事なペットを殺したんだ。お前はこれから処刑される立場なんだよ」
すると邪悪な笑みを浮かべる。
「たっぷりと絶望を味わってもらわないとなぁ」
マティアスはそう言うと、後ろ手に持っていた物を目の前に掲げた。
「これ、なーんだ?」
俺はそれを見た瞬間、頭が真っ白になった。
「あっ……あ、ああ……」
息が苦しい。
鳥肌が止まらない。
血が煮えたぎったように感じる。
マティアスが持っていた物。それは、エリの頭部だった。
「ぐぅぅぅぅっ! 殺す! 殺す! 殺すころすころすコロスコロスころすコロス!!」
もう感情を抑える事は不可能だった。目の前のコイツを殺す。頭にはそれしかなかった。例え再び魔王に身体を乗っ取られたとしても。
身体がどんどん竜化していくのを感じる。その感覚に身を委ね、精神を開放する。それに合わせ意識も遠のいていく。
「なんだお前? その身体どうなってんだ? ハハッ、おもしれ~」
黒く肥大していく身体。どんどんと至る所が竜の鱗に覆われ硬質化して行く。
(さぁ来い、魔王。お前にこの体を譲ってやる)
だがその瞬間、『ダメ!』というエリの声が聞こえた気がした。
すると、手に握っていたエリから預かったネックレスが光りだした。
巨大化しかけていた身体が一旦止まると収束し、暖かい光に包まれる。失いかけていた自我が戻り、体は元の大きさに戻った。
しかし、戻ったのは大きさだけで、体の一部は竜と同化している。
「人型の、竜? お前、その力どこで手に入れた!」
マティアスがエリの頭部を放り投げ、背中に背負っていた大剣を突進しながら抜くと、こちらに叩きつけてきた。
しかし、遅い。
振り下ろされた大剣を左腕で弾く。
ギィンと金属が激しくぶつかり合う様な音が響いた。
「俺様の剣を、素手で弾いただと!?」
体勢を崩しかけたマティアスが、体をひねり剣を構え直すと、驚いた様な表情を浮かべた。
いや、驚いているのはマティアスだけではない。俺自信もだ。
一体、何が起こっている?
だが、相手はゆっくり考える時間を与えてはくれない。後ろへ少し跳躍すると、呪文を詠唱し始めた。
「俺様のしもべのサラマンダーよ。目の前のこのくそったれを焼き付くしやがれ!」
片手をこちらに向け叫ぶ。
「ファイアーゾイル!!」
すると、俺の足下に幾重にも重なった魔法陣が出現し、振動と共に巨大な火柱が立ち上った。
「ふはははは! 俺様の全魔力を込めた魔法だ! 消し炭になれ!」
全身を炎の柱に飲み込まれたが、全く持ってダメージを受けていない。体を覆う鱗にどうやら炎に対する耐性があるようだ。火にあぶられることによって、少し冷静さを取り戻した。
ゆっくりと火柱から出て行く。
「き、効いてないだと! ――っふざけるな! 俺様の全魔力分だぞ!」
「お前は本当に、勇者アルガスの血を引いているのか? 俺の知っている奴は、他人のために自分を犠牲に出来る、反吐が出るほどのお人好しだ!」
「何だと!? 勇者の本当の子孫がいるのか!?」
「あぁ。いずれ俺の手で殺してやるがな。しかし、お前は民を救う存在じゃないのか?」
「はっ! 民なんて家畜同然だ。能力のある者が居なけりゃ何も出来ない虫けらどもだ。そんな虫けらの命なんて、いくらでも刈って問題無いんだよ」
「お前に、正義は無いのか?」
俺は小さい頃から勇者として生きて来た。常に勇者たろうと行動していた。強気をくじき弱気を守る。それが勇者であり、正義だと思っていた。
「何を勘違いしてるんだお前は。トロを殺したお前が悪なんだから、俺様は正義だ。その正義を貫くために邪魔をする奴は容赦しない。ただそれだけだ」
「あれは村人を襲っていた」
「だからって殺していい事にはならないだろ! トロは俺の大切な家族だ!」
「お前がそれを言うかっ!」
地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。
「一撃で仕留めてやる」
心臓を目掛けて右腕を突きだす。
「――っく!」
吹き飛ぶマティアスの左腕。どうやら寸での所で躱され、心臓を貫くことは出来なかったようだ。
後ろへステップされ、距離をあけられる。
肘から先が無くなった左腕を右手で押さえ、回復術を施している様だ。全魔力とは言っていたものの、少し回復するぐらいの魔力は取っておいたらしい。
左腕の傷口が塞がると、ピュイっと口笛を吹き両手を挙げた。
「待った待った。お前がそんなバケモンだなんて知らなかったんだ。俺様が悪かったよ。なっ? どうだ、俺様と一緒に帝国を乗っ取らないか? お前のその力が有れば余裕だろ?」
命乞いか、はたまた回復するための時間稼ぎか、妙な事を言い出した。しかし、答えは決まっている。
「お断りだ」
「そうかそうか。残念だよ」
ワザとらしく残念そうに首を振ると、いきなり高く跳躍した。
すると、それに合わせたかのように、巨大な鷹がものすごい速度で降下してくると、マティアスの体を掴んだ。そして一気に空へ舞い上がる。
「あばよ! 今度会ったらぜってー負けねーからな。そんで、体を隅々まで解剖して、その力の秘密を調べてやっからな!」
叫びながら離れていくマティアス。もし俺に翼があったならば逃がしはしないが、残念ながら生えていない。この力をもっとうまく使いこなせれば、翼を手にする事が出来るのだろうか。
マティアスの姿が見えなくなり気を緩めると、体は完全に元の人間の姿に戻った。
「しかし、何なんだこの力は」
改めてエリから託されたネックレスを見る。彼女はこれを『邪悪な物から守ってくれるお守りなんだ』と言っていた。これのおかげで、魔王に意識を乗っ取られずに済んだのだろうか。
もし、意識を乗っ取られずに魔王の力を使えたとすれば、マティアスを殺すことが出来るかも知れない。
俺はマティアスが置いていった大剣を拾うと、無造作に投げ捨てられたエリの頭部をそっと拾い上げる。
涙は出ない。
苦しまずに逝けたのだろうか。
悲しくは無い。
数日しか過ごしていなかったから。
いや、今はただ、現実を受け止めたくないのかも知れない。
俺は人を愛してはいけないのだろうか。どうして俺が愛した人間は命を落とさなければならないのだろうか。
体に魔王を宿しているからなのか。そういう星の元に生まれたのだろうか。
あぁ、憎い。
勇者が憎い。
この世のスベテが憎い。
ならば、俺が愛する者が命を落とすことのない世界を作ろう。
そう固く決意し、エリの頭部を抱え、俺は歩き出した。
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